惜別と郷愁――『新・旧 銀座八丁 東と西』(5)

「銀座七丁目 西」の章では、よし田のコロッケそばが、クローズアップされる。
 
まず、吉田健一の『舌鼓ところどころ』を引いた上で、坪内さんは、それに評を加える。

「『この特製のコロッケ蕎麦を、コロッケの端をちぎっては上の生卵と、下のカレイ南蛮と混ぜこぜにして食べて、茄子の芥子漬けで口直しをする所を丹念に胸に描いていれば、かなりの間気を紛らせていることが出来る筈である。』
 おいしいのかまずいのかわからない感じだが、吉田健一の筆の力で魅力的なものにうつる。」
 
思わず吹き出してしまう。坪内さんの、徹底して飾らないところが出ていて、実におかしい。

それにしても、吉田健一にとって、コロッケそばは、おいしいのかまずいのか。
 
坪内祐三のこの本は、ほんとうは今は消えてしまったいくつかのバーや、それにまつわる作家の話が面白い。
 
でも、そんなことは当たり前。坪内さんのそういう話が、面白くないわけがない。そこはもう、本文を読んでください。
 
ただ常盤新平さんについては、個人的なことを書いておかないわけにはいかない。

私は筑摩書房を辞めるとき、後足で砂をかけるようにして辞めた。常盤さんとの仕事も、その中に入っていた。
 
そのとき進行している翻訳本があり、その先の仕事もあり、途中でやめるわけにはいかなかった。しかし、それを放り投げて辞めた。合わせる顔はなかった。本当にひどいことだった。
 
10年ほどたって、法蔵館の仕事をしているとき、地下鉄の人形町の駅の入り口で、常盤さんとすれ違った。
 
お互いに、あっと声にならない声を上げて、立ち止まり、私はとっさに、「すみません」と言った。反射的に、その言葉しか出てこなかった。
 
常盤さんは、「お茶でも飲みましょうか」と仰り、私は思わず、ついて行きかけた。しかし数歩、歩くと立ち止まり、「すみません」とまた言った。常盤さんは、そうですか、といわれたんじゃないかと思う。
 
私はすぐに、常盤さんが行く方向とは、違う方に足を向けた。
 
かりに、一緒に喫茶店に入ったとしても、私には、「すみません」という以外の言葉が、どうしても浮かんでこなかったのである。

(『新・旧 銀座八丁 東と西』
 坪内祐三、講談社、2018年10月16日初刷)

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