惜別と郷愁――『新・旧 銀座八丁 東と西』(4)

「銀座二丁目 東」では、文具の伊東屋に重要な目的があって行った、次の引用は、坪内さんが『文藝春秋』に持っている、「人声天語」というコラムから。

「……私はメールもやらないし携帯も持っていないし、いまだに手書き原稿だ。つまり、原稿用紙に、万年筆で、原稿を書く。」
 
これが2006年1月号で、さすがに10年以上たっているから、携帯を持ち、メールをやるようになっている。
 
でも相変わらず、原稿は手書きである。つまり原稿用紙が必要なのである。
 
手に合った原稿用紙を求めて、伊東屋の本館や別館を歩く。結局その日はなくて、代金だけ払い、後日、連絡を待つことにする。

待ったけれども、その原稿用紙は、製造中止になっていた。

嗚呼、原稿用紙がない!

ここでもやはり、結びの言葉を引いておく。

「……私はもう二度と『伊東屋』に足を踏み入れないだろう。
 銀座二丁目東の歩道に『銀座発祥の地』という碑が建っている。つまり銀座でもっとも由緒ある場所なのだ。
 しかし『オリンピック』も『キッチンラーメン』も消え、『伊東屋』にも用がなくなった今、私にとって銀座二丁目東は、ただ通過するだけの場所になってしまった。」
 
これは「銀座一丁目 東」でも、同じ嘆きが繰り返されている。やはり結びの言葉だが、もっと露骨になっている。
 
これは、ホテル西洋銀座の跡地が、どうなっていくか、という話なのだが、調べてみると、コナミの巨大なビルが建つ予定なのだ。

「コナミという会社を、私はスポーツジムあるいはゲーム会社として認識しているが、いずれにせよ私とは無縁だ。『テアトル東京』や『セゾン劇場』にあった文化の香りがまったくない(明治の頃には、その場所に『金沢亭』という寄席があったという)。」
 
そして最後の一文。

「銀座はどんどんつまらない街になって行く。」
 
坪内さんが、銀座らしいところが消える前に、何とか書き残そうとするわけは、「囲いによって形が消えると、人間の記憶も消えてしまうのだ(だから風景を書き残す必要があるのだ)」ということ。
 
だからもう、これはタッチの差なのだ。

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