奈落の底は見えない――『出版の崩壊とアマゾン―出版再販制度〈四〇年〉の攻防―』(5)

それなら新聞はどうか。新聞も、ある年代から下は、ほとんど取ってないだろう。
 
たとえば年に2回、芥川賞という文学賞、というかショーがある。かつては該当作ナシという、厳しい結果に終わることもあったが、近年は「純文学」が売れないから、何でもいいから与える。
 
これはまず、テレビニュースで取り上げる。そして翌日の新聞で、大々的に報道する。最後に、翌月の『文藝春秋』で、選評も含め該当作を載せる。
 
つまりテレビ、新聞、雑誌が連動しているのだが、近年はそのどれにも、興味は持たれていない。

まあこれは、「純文学」という名の、ちょっとした「伝統芸能」という感じですね。だからたまに、芸人が受賞したりすると、ニューウェイブということで、盛り上がったりする。

でも大勢に影響はない。これはつまり、「マスコミ」が機能していない、崩壊しているということだ。
 
そんなこと、だれでも知っている。それはそうだが、でも必ずしも、みんながそれを自覚的にわかっている、ということではないんじゃないか。
 
ここから、さらに話は飛躍する。
 
今年は、日本に住む外国人への規制が変わったので、国内に入ってくる外国人は、空前の規模になりそうだ。そのくらい劇的なことをやらなくては、国内の労働人口は確保できない、ということらしい。
 
しかしこれは、実際の局面は、もう変わっているのではないか、という気もしないではない。
 
このブログの『日本の無戸籍者』のところで、「今年から日本は、外国人をさらに受け入れやすくする。いよいよ本格的な、というよりも異次元の『雑種文化』の時代を迎える」と書いたが、実はもうその前に、こんなことが起こっている。
 
直近の新宿の公立小学校では、クラスの2分の1が外国人だった。これはけっこう劇的なことだと思うが、どうか。
 
今年から、より外国人を受け入れやすくするなら、この新宿の小学校では、日本人はひょっとすると、少数派になるんじゃないか。
 
もちろん、困ったことになると言っているのではない。というか、むしろワクワク、ドキドキしてくる。日本の公立小学校で、日本人が過半数を占めないなんて。
 
そういう「新・雑種文化の時代」には、想像もつかないところから、新しい文化が生まれてくるに違いない。そのときまで、本当にもう少しだ、という気がする。
 
とまあこの辺は、推測というよりも、空想&妄想だけどね。

(『出版の崩壊とアマゾン――出版再販制度〈四〇年〉の攻防』
 高須次郎、論創社、2018年11月20日初刷)

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