日本語見本帳――『切腹考』(1)

編集者のО君に、伊藤比呂美の『たそがれてゆく子さん』を読んでるけど、面白いというと、ぜひ『切腹考』を読みなさいと言われた。
 
日本語を革新する旗手が三人いるが、そのうちの一人が、伊藤比呂美だと言われた。あとの二人は、聞いたけども忘れた。
 
読んでみると、なるほどすさまじく面白い。今現在の日本語が、何と言ったらいいか、伊藤比呂美においては、びっくりするぐらいどこまでも伸びてゆく。
 
自由気ままなエッセイだけど、本としては骨格がある。まず切腹について、そして切腹関連で、森鴎外の「阿部一族」とその関連、最後に伊藤比呂美の、死にかけている年の離れた夫。そういう構成になっている。
 
それぞれが、それ用の文体になっており、読んでいくと、もうまるで日本語の見本帳だ。冒頭の「切腹考」は、そういうものだということを、あっけらかんと披露している。
 
まず著者は、切腹するのを、実際に見にいく。

「うむと突き刺したとたんに、彼の顔が、さーっと青ざめた。青ざめて、生きている人の顔色とは思われないものになった。驚いた。人のからだの自然の反応だ。死ぬことについての。斬られ、えぐられ、断たれて、滅ぼされることについての。人のからだが、挿入した刃物をみとめ、受け止め、理解して、その場で反応したのである。」
 
最初から、一瞬にして上り詰め、絶好調だ。こういうところに連れてこられると、もう目が吸い付いて、離れなくなる。

「わたしは息を止めて見守った。右脇まで引き回し終えたО氏が、くり返すが本来ならば右まで引き回し、いったん刀を抜いて、返す刀で、みぞおちに突き刺し、そこから一気に下に切り下げて十文字腹にかっさばき、その後、やりたい人は臓腑をつかんで引きずり出し、まあそこまでやらなくても、十文字にかっさばいた後は、抜いた刀でとどめを、自分で首筋を左から右へ刺し貫くとか、心臓を突き刺すとかするのであるが、その前に意識がなくなるかもしれず、出血で目が眩み、ないしは吐き気に襲われて動くに動けなくなっているかもしれず、刀を握りしめた拳は、開こうという意志があっても、どうにも開かなくなっているかもしれず、ここは何としてでも、拳を開いて持ち直さないと心臓に突き立てられない、死にそびれたらこんな恥なことはあるまい、そう焦るが、てのひらは血に滑り、膝も腰も尻のくぼみまでも血に濡れるのが分かる、酸鼻を極めるとはこういうことかと我れながら思いつつ意識が遠のいていくのである。」
 
ふーっ、長い引用だ。でも、文章はたった二つ。何度読んでも、手に力が入って汗をかく。
 
しかし、切腹するОさんは、実際に絶命するところまではいかない。いったら大変だ。Оさんは、いわゆる切腹マニア、そういうのがあることを、私は初めて知った。

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