お墓を見てぶつぶつ――『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―』(2)

この本の後書きである「その場に身をおくということ」に、面白い話が出てくる。

「30年前に、ウィーンで変なものを見たのである。
 ふと立ち寄った教会で、日曜日のミサの案内が貼ってあり、その中にハートに矢が射すようなマークがあったのだ。これはなんだ? その案内は、失敬して、後生大事に持っている。」
 
これは図版をそのまま、僕が編集した、養老さんの『日本人の身体観の歴史』に使わせていただいた。ウィーンの教会でミサがあり、そこには案内板として、ハートに矢を射た絵があったのだ。

養老さんは、その奇妙な図版を、ずっと気にかけてきたのだが、それは実は、そのまま心臓信仰を表わしていた。だから例えば、聖心女子大学の「聖心」とは、もともと聖母マリアの御心(みこころ)、すなわち心臓そのものなのだ。

この辺りは、養老さんの推理が、冴えに冴えわたる。

だから「第1章 ハプスブルグ家の心臓埋葬」は、『日本人の身体観の歴史』を、そのまま発展させたものなのだ。

「ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の心臓容れに納め、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット礼拝堂に納める。肺、肝臓、胃腸など心臓以外の臓器は銅の容器に容れ、シュテファン大聖堂の地下に置く。残りの遺体は青銅や錫の棺に容れ、フランシスコ派の一つ、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。つまり遺体は三箇所に埋葬される。」
 
心臓信仰の淵源は、結局わからないが、しかし文化的背景は実に興味深いものだ。
 
と同時に、キリスト教信仰も、ヨーロッパに長く暮らしてみれば、決して明澄なものではないことがわかる。心臓信仰といい、マリア信仰といい、一見わけの分からぬ「土俗」は、西洋にもある。
 
そういうこととは別に、本筋とは関係なく、養老さんの話には鋭い警句、本質を突く話が出てくる。

「石油が現代を作り、おそらく石油の消滅とともにその現代が消えるはずである。……私が育った時代は経済のいわゆる高度成長期で、これを物質的にいい換えるならば、石油を代表とするエネルギー消費の成長にほかならなかった。」
 
湯水のように石油を使い、そのことを一般には、誰も考えていない。しかしもちろん、遠からぬうちに、石油は枯渇する。
 
トヨタと日産・ルノーが、車の出庫台数を競うなど、本当に愚かしい。じっと家で本を読む方が、よほど未来を先取りしていることに、もうすぐ気がつくころだ。

(『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―』
 養老孟司、新潮社、2014年5月30日初刷)

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