「投資家」はどこにいる?――『中央銀行は持ちこたえられるか―忍び寄る「経済敗戦」の足音―』(1)

東京新聞でコラムを書いている河村小百合が、そのコラムで『世界経済 危険な明日』(モハメド・エラリアン)を推薦していたので、読んでみたが、面白くなかった。というか、よく分からなかった。
 
そこでこんどは、河村の本を読んでみる。
 
一読した感想を言えば、やっぱり五割方しか、分からなかった。特にヨーロッパやアメリカの、中央銀行が取っている政策の話が出てくると、とたんに分からなくなる。

やっぱり「経済」の話は難しい。これは必ずしも、僕だけがバカなんじゃないと思うが(でもまあ、反省はしてますよ)。
 
しかしそれでも各国で、急場にどういう方策がとられたかは、なんとなく、というか身に沁みてわかる。

「国債の元利払いだけは何とかして継続できるようにお金をひねり出し、その分は他の歳出を大幅にカットするのです。実際には『公務員のお給料を約束どおりに払わない』『国として払うと約束していた年金を約束どおりに払わない』『公共事業をやらせておいて、完成しても後で建設会社に代金を払わない』という具合に、財政破綻の瀬戸際となればどこの国でもやりますし、そのやり方は様々です。」
 
というわけで日本でも、ずるずると借金財政を続けていれば、必ずこういうことが起こる。
 
ところがこれを、まずメディアが理解していない。

「メディアがしっかりと報道してくれない以上、国民の側からは、どうしようもないのかもしれません。そうした国民の無理解をよいことに、今の日銀は、これまでの政策運営に端を発する先行きの問題点に関する説明から逃げ続けているようにも私にはみえます。本来これは、当局として国民に対して誠実に説明すべき事柄のはずです。」
 
これはいつか来た道であり、あのときとまったく同じことだ。1941年12月に太平洋戦争を始め、42年の6月まで戦局は有利だったが、以後、45年8月まで、ずっと負け続けた。

メディアはこれを、軍と一緒になって隠し続けた。そして原爆をはじめとする、悲惨極まりない敗戦。
 
自民党は、このときの教訓を、骨身に染みては分かっていない。だからこれは、かたちを変えて、必ずもう一回ある。

「このままでは、近い将来に間違いなく起こるであろう〝変化〟に備えようとしていないわが国では、危機は起こるべくして起こるのです。」

もう一回と言わず、あと二、三回はある。ほんとうは二、三回ですめばいい方だ。
 
しかしここでは、それとは別の、ある疑問を述べておきたい。

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