トリックはいらない!――『鏡の背面』

これは篠田節子の新境地。とにかく、とびきり面白い。
 
DV被害者や薬物依存症に苦しむ女性たちが暮らすシェルターで、火災が起きる。そこで母子を助け、身代わりになって、小野尚子が焼け死ぬ。
 
小野尚子は長年、「先生」と呼ばれ、誰からも慕われていた。
 
しかし火災事故を検証した警察は、死んだのは小野尚子ではないという。それは半田明美という、誰も知らない女だった。小野尚子と半田明美は、いつのまにか入れ替わっていたのだ。
 
ライターの山崎知佳は、生前の小野尚子に魅了されていたが、実はそれは半田明美であり、しかも調べて行くと、その女は連続殺人鬼だった。

そんなことが、実際にどうして起こったのか。しかも、山崎知佳と会った連続殺人犯は、聖母のような女だった。
 
篠田節子は、たとえば新興宗教教団を描いた『仮想儀礼』のように、閉じた世界で、狂気すれすれまで行くところが、実にうまい。

だからこんども、その方向かと思っていたら、全然違った。
 
ここからはネタバレだけど、でもかまわない。今度の作品は、なんというか、トリックはない。あるのはただ筆力のみ。
 
トリックがないということが、壮大なトリックなのだ。というと何を言っているのかわからなくなるが、でもそういうことなのだ。
 
火災が起こった折り、目の見えない老女が「小野尚子先生」の後に続き、二階に上っていく。その老女は、「そうはさせませんよ」という言葉を残して、先生と一緒に炎に捲かれる。
 
最初はみんな、老女が、目が見えないにもかかわらず、勇敢に先生を助け出そうとし、巻き添えになって死んだと思っていた。

しかしどうやら、老女だけは、「先生」の入れ替わりを、知っていたのではないか。すると、「そうはさせませんよ」というセリフも、意味が変わってくる。

しかし篠田節子は、そこをそれ以上推理し、書き込むことは避けている。それで最後にポツンと、小さな謎が残る。そこがまた、実にうまい。

小説は、今年は本当に読んでいない。にもかかわらず、これは数多ある小説をさしおいて、ベストワンだと言いたい。

(『鏡の背面』篠田節子、集英社、2018年7月30日初刷)

この記事へのコメント