漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(16)

それにしても実作者と編集者を、もっとも高度な領域で兼ね備えるというのは、いったいどういうことだろうか。個を強烈に表わすものと、個を群衆の中に沈めるもの、それは一個の人格の中で、共存できるものなのか。――僕にはやはりわからない。
 
長谷川さんは、冒頭に書いている。

「森鷗外にも、永井荷風にも、編集者としてのすぐれた資質はあった。鷗外には評論雑誌「しからみ草紙」をはじめ「めさまし草」「藝文」「スバル」などの創刊があり、「東京方眼図」のアイデアマンでもあった。荷風は……雑誌「文明」を発刊したりもした。與謝野鐵幹は詩誌「明星」を創刊する。」
 
たしかにこういう人たちは、編集者という機能を兼ね備えていた。けれども、その編集は、あくまで実作を推進するうえで、両輪として役に立つものだったのである。

「吾輩は猫である」から、絶筆の「明暗」に至るまで、作家・漱石はじつに勤勉に、「ホトゝギス」、朝日新聞に連載し続けた。
 
しかし一方、編集者としても、必ずしも実作とは関わりないところで、「ホトゝギス」と朝日新聞の大立者として、大活躍したのだ。
 
結局、僕なんかには、どういうことだかよくわからない、及びもつかないことなのである。
 
長谷川さんは「あとがき」に、十年ばかり前のこととして、こんなことを書いている。

「詩人の平出隆さんに誘われて根岸・子規庵を訪ね、近くの会場での子規をめぐるシンポジウムに参加した。その一、二年前に平出さんがそこで編集少年・正岡子規という展示を企画したと聞いたとき、瞬時に子規が漱石の内面に潜んでいた編集機能を目覚めさせたのだと直覚した。」
 
十年前、僕もこのシンポジウムに、聴衆とした参加していた。そしてただボンヤリと、子規と漱石の友情に思いを馳せていた。このとき、覚醒するかしないか、そういうことである。

「これはたんに友情などという語では表わせない。交流は濃密に過ぎる。……陰影に富んだ心理の深い淵、不可知の領域を覗くために、「無意識」という不明瞭な一語を頻用せざるを得なかった所以である。」
 
長谷川さんも、「無意識」を用いることについては、補助線であることを、分かっていたのだ。これは、いま仮に「無意識」というものを仮定すれば、こういう話ができるということなのだ。
 
それにしても漱石は巨大だ。巨大といって悪ければ、たいへん複雑だ。小説家と編集者の両方が、最初から当分の比重がかかっているものとして、よく納得されたのち、初めて漱石は、今よりも我々に、少し親しくなるのかも知れない。
 
そのためには、もう一度、漱石の小説を頭から読み、そして長谷川さんの『編集者・漱石』を読み返すほかはない。

(『編集者 漱石』長谷川郁夫、新潮社、2018年6月30日初刷)

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