漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(10)

漱石は「虞美人草」執筆の直前あたりに、小宮豊隆に当てて、「今のうち修養して批評家になり玉へ」と手紙を書いている。

長谷川さんによれば、「近代文学の出発から二十年。成熟期に向う文藝の新時代にもとめられるものは何か、を漱石は知悉していたのである。」

これは、漱石は思わず唸るほどすごいことだが、それを手紙の断片から見抜く長谷川さんも、じつに慧眼だ。

「活字文化の変革期を迎えて、なによりそこに必要とされるのが批評の機能といえる。それをより明確に、編集のはたらきと言い換えてもよい。漱石は自身がなにをなすべきかを知っていた。」
 
漱石がここまで見通していたことを、おそらくはっきりとは、誰も知らなかった。

これは今もそう言える。ここ数年、小説は不振だ。テレビ芸人が小説を書いて、それがベストセラーになったりするが、全体的な不振は覆うべくもない。それで一生懸命、書き手を探してはいるが、もうどん詰まりで、編集者は疲れ果てている。
 
これは、小説家と対になる批評家を、探してこないからだ。小林秀雄がおり、中村光夫、平野謙がいた時代を思えば、どういうことが起こっていたかは、分かろうというものだ。大江健三郎が、東大新聞に小説を書いたのを読んで、平野謙が褒めなければ、後のノーベル賞作家は生まれていない。
 
漱石がいれば、急場のこととして、自分が批評家になっただろう。漱石は、こういってよければ、かなり変幻自在だ。
 
漱石は、弟子の森田草平が平塚明子(雷鳥)と、心中行未遂で彷徨ったのを見て、これを小説に書かせ、朝日に連載させる。これも考えれば、むちゃくちゃな話で、漱石だからこそできた話だ。

「そこに編集者としての勘がはたらいたことも否定できない。これまでの小説とはまったく異なる、新しい愛のかたちが表現されることが期待できるかもしれないのである。」
 
もちろん、そんなことはなかった。しかし、そこに賭ける漱石の勘は、明らかに小説家ではなく、編集者のそれである。
 
漱石は、「叩きつけるように草平へ具体的な忠告を記した手紙を送る。」それは実に細々とした注意だが、煎じ詰めれば、「読者の存在を鋭く意識せよ」ということに尽きている。これは、朝日新聞文芸欄の責任者としての、編集者・漱石の指示なのである。

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