漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(8)

漱石をテーマにするとき、いつもあげられるのに文体の問題がある。一般に作家は文章修業をして、自己の文体を切磋琢磨し、一心に完成させることを目標にしている。

しかし漱石は、そうではなかった。

「発表舞台ごとに文体を変えたのを、漱石のゆとり、遊び、また読者へのサービス精神のあらわれ、などともいえるだろうが、それらはいずれ編集感覚の一語に帰結するもの、と私には考えられる。」
 
ここは、どういうふうに言えばいいだろうか。「吾輩は猫である」のときは、ああいう文体、「坊っちやん」のときはこういう文体、また「それから」のときは……、と上げても、どうしようもない。
 
漱石が朝日新聞に入るまでは、そもそも作家という意識は、それほどはっきりしていなかったと思われる。だから「猫」や「坊っちやん」は、ただ身体の中から自然に、溢れるままに書くことができた。
 
それを、漱石は初めのほうがいいとか悪いとか、いろんなことを言われるが、どんなものだろう。書いてしまったものは、書いてしまったもので、もうどうにもならないんじゃないか。
 
先に書いたものがどうの、後がどうのという限りは、それは結局、漱石の読者ではないと思われるけれど、どんなものだろう。
 
ところで朝日にはいってすぐに、大倉書店から「文学論」が出来上がる。これも立派な本で、菊判、天金、七百頁近い大冊である。
 
長谷川さんは、これについてもいくつか考察を述べているが、ここでは「誤植」について考えてみたい。

「文学論」の初版は誤植が非常に多く、再版では弟子による正誤表が八頁も付けられた。漱石は、この誤植の多さがたまらなかったらしい。菅虎雄宛てに、こんな手紙を書いている。

「文学論が出来たから約束により一部送る。校正者の不埒な為め誤字誤植雲の如く雨の如く癇癪が起つて仕様がない。出来れば印刷した千部を庭へ積んで火をつけて焚いて仕舞いたい」。
 
いやもう憤激に満ちている。
 
また知人に、こうも書いている。

「古今独歩の誤植多き書物として珍本として後世に残る事受合なれば御秘蔵被下度候」
 
ここまでくると、漱石には悪いが、吹き出したくなる。
 
さらに漱石は、鈴木三重吉に、朝日新聞の読者のふりをして投書し、「文学論」には誤植が多いことをあげつらってほしいと、頼んでいる。
 
ここまでくると、まるで誤植が、印刷所(秀英社)の陰謀のようだが、実際はどういうふうになっていたのだろうか。

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