漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(7)

先にも書いたが、編集者はまず、褒め上手である。漱石は、挿絵画家としては全く無名の橋口五葉を、実に巧みに褒めている。

「ホトヽギスの挿画はうまいものに候御蔭で猫も面目を施こし候。……
 僕の文もうまいが橋口君の画の方がうまい様だ。」
 
こうまで書かれれば、何をおいてもまず漱石の仕事、というふうになる。
 
また弟子への手紙に、こんな一節がある。

「僕は厳酷な様で却つて大概の作に同情する弱点がある。是は自分がよく出来んと云ふ事に心が引かれるからである」
 
ここは、長谷川さんは引用だけしておいて、とくに言及はない。これを、漱石の本音と取るかどうか。
 
たしかに編集者は、あれも良しこれも良しでいかなければ、やっていけない商売であるが、そうしてまた本気で、あれも良しこれも良しと思っているのだが、しかし例えば、「行人」を執筆しているとき、人の間にかける橋はないということを、漱石は本当にギリギリのところで、書いていたのではないのか。
 
しかし一方で、「大概の作に同情する弱点」がなければ、漱石山房といわれるほど、あんなに多くの門人が、出入りすることはなかっただろう。
 
ざっと数え上げても、小宮豊隆、寺田寅彦、安倍能成、中勘助、野上豊一郎、鈴木三重吉、伊藤左千夫、長塚節、志賀直哉、武者小路実篤、芥川龍之介、菊池寛……。
 
長谷川さんは、独特の視線で、漱石を見つめている。

「漱石という人物の性情は、教師になったら教師にとどまることに耐えられない。小説家として認められるようになっても、小説家であることにとどまらない。アイデンティティーは、いつも一歩先にある。」
 
長谷川さんはこれを、子規から受け継いだ精神の有り様ではないかと言っている。こういうところが、創作とも見まごうばかりの、鋭い冴えである。
 
ところで漱石は、英文科の卒業生に宛てた手紙で、こんなことも記している。

「……文学といふものは国務大臣のやつてゐる事務抔よりも高尚にして有益な者だと云ふ事を日本人に知らせなければならん。かのグータラの金持ち抔が大臣に下げル頭を文学者の方へ下げる様にしてやらなければならん。」
 
これは、力強い宣言ではあるが、「漱石の知られざる一面が顕わになったかのようにも感じられる」、と長谷川さんは書く。
 
たしかに「明治の人物」であれば、如何にもという気がする。漱石にしてこれか、とも思うが、しかし大学を辞めて「新聞屋」になるには、このくらいのことがなければ、清水の舞台からは飛び降りられなかっただろう、とも思うのだ。

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