脳卒中つながりで、鈴木大介の『脳が壊れた』と、その続編、『脳は回復する―高次脳機能障害からの脱出』を読む。
山田太一は脳出血だったが、鈴木大介は脳梗塞である。これは出血に対して、逆に血管が詰まる病気である。
鈴木大介はルポライター。社会からこぼれ落ちた人々を取材対象とし、『再貧困女子』で名を揚げた。僕はこの本を読んでいないが、田中晶子は読んでいて、面白いと言っていた。
鈴木大介が、脳梗塞を発症したのは41歳。まさに今から旬を迎える書き手だった。
鈴木が脳梗塞を発症し、高次脳機能障害を患って、最初に感じたことは、「これは僥倖だ」、というものだった。
なぜなら、取材してきたのは、「発達障害を抱えるがゆえに社会や集団から離脱・排斥された人々や、精神障害と貧困のただなかに立ちすくみ混乱する人々」だったからだ。
これで初めて、当事者の気持ちに立てる。自分が、無数の底辺の人たちの、代弁者になれるのだ。
しかしもちろん、「その後の回復の過程がどれほど苦しいものになるのかなど、僕は考えもしていなかったのだった。」
こうしてリハビリが始まるが、リハビリの実際については、本当に千差万別、鈴木と僕とを比べたって全く違う。
僕は、右手足に麻痺が残った。鈴木は、身体の麻痺は残らず、発症直後から自立歩行ができた。僕からすれば、本当に羨ましい限りだ。
でも僕と同じく、高次脳機能障害は残った。残ったと言うべきか、新たに出たと言うべきか。
この高次脳機能障害は、他の体に残った麻痺と同じく、「発症直後に大きな回復率を見せ、そこから徐々に回復は緩やかになり、六ヶ月ほどで回復はほぼ停止。残った障害は『固定』されると言われているらしい。」
鈴木は、これは当事者の感覚とは、少し違うという。これは僕も、ぜんぜん違うと思う。勘繰れば、健康保険の適用期間が六カ月なので、リハビリもそれに合わせて、回復期が終わると、無理にしてあるのではないかな。
しかしこれは、鶏が先か卵が先か、みたいな話ではある。
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