脳出血の後の山田太一――『夕暮れの時間に』(2)

この本は、最後の第Ⅳ章が、書評集になっている。山崎洋子『沢村貞子という人』も、そのうちの一篇である。
 
そこに、平松洋子『なつかしいひと』の書評が出ている。これが素晴らしい。

「いい文章を要約するのは苦痛だが、これも出色のエッセイで、平松さんは現実を現実のまま現実の中にさらしておきたくないのだと思う。ひそやかな感情、幻想、思念を吹きこんで現実を現実から救い出したいのではないかと思う。」
 
これだけ読んでも、何だかよく分からないだろうが、しかし、平松洋子の文章を思い浮かべられる人は、分かるはずだ。そして、山田太一がここまで書く人は、どういう人なのだろうと、興味を抱くはずだ。
 
その文章の末尾はこうだ。

「現実などというものはすべて『こころの持ちよう、自分のこころが映しだした幻』なのだろう、どのようにだってしてみせる、という図太い構えが、何気ない季節の随想にもあり、乱れも艶もある思いがけない一冊だった。」
 
実際には何を言っているのか、わからない。でも、かぎりなく高揚していることは、わかる。そこで、平松洋子の『なつかしいひと』を、購入することになる。血の通った書評が、立派に役立ったのだ。
 
ほかにも、渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』、杉田成道『願わくは、鳩の如くに』、寺田寅彦『柿の種』など、書評を読むだけで面白かったものが、いっぱいある。そこでついつい、本を購入することになる。
 
そしていよいよ、「巻末特別インタビュー 夕暮れの時間の後に」である。
 
そこでは山田太一は、本が読めなくなった、文章が書けなくなった、というようなことを言う。しかし根本のところでは、山田太一は山田太一だなあと思う。本が読めなくなった、文章が書けなくなった、ということを考察する、その仕方が山田太一なのである。
 
医療の進歩に対しても、かなり懐疑的である。

「これ以上長生きしたからって何があるんだろうと思ってしまいます。そりゃ喜んでいる人もいると思いますよ。だけど全員がそれで喜んでいるかというと、今はそうじゃないと思う。もうちょっと前に死ぬはずだった人が、今は生き残ってしまう。それが今の時代のマイナスな部分だというような不安感があります。僕は今年のはじめに脳出血になったことで、このまま死んでいくのが自然だと思ったんです。だけどすぐっていうわけにはいかないんですよね。」
 
山田太一は、いまこの時代の、もっとも中心的なテーマを、摑んだのではないか。

(『夕暮れの時間に』山田太一、河出書房新社、2018年4月20日初刷)

この記事へのコメント