知らない作家たちだけれど――『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』(2)

第Ⅱ章は黒瀬勝巳、清水正一、足立巻一、桑島玄二、庄野英二、東秀三、天野忠の追悼文が並ぶ。全然知らない人もいるし、名前だけは知っている人もいる。
 
ただどの人も、著者とのかかわりで、独特のニュアンスを出している。たとえば最初の「黒瀬勝巳への訣れ」の場合。

「この次第に激しくなる雨の中、黒瀬はどこをほっつき歩いているのかと思った。黒瀬が失踪して二晩が明けていた。
 ・・・・・・
 黒瀬は私と同じように出版編集の仕事に携わっていて、私のところから『ラムネの日から』(一九七八〈昭和五十三〉年)という詩集を出していた。見よう見真似で出版社を始めた私にとって、黒瀬は唯一同業者としての友達でもあった。」
 
こういう運びであれば、読まざるを得ない。そして中ほどまで来て、ここでぐぐっと込み上げてくるものがある。

「黒瀬が失踪した翌日、私は映画『泥の川』を観た。年に一回、映画を観るか観ないかの私に、封切第一日目に映画館に向かわせたのは、原作の宮本輝、監督の小栗康平が私たちと同じ年代であり、描かれているのが昭和三十一年の時の私たちの情景であるということであった。」
 
黒瀬の失踪から一週間あまり経ったころ、夫人から電話があり、見つかったけれど生きていないんです、とのことであった。通夜の席で友人が、「『泥の川』を観ていたら死ななかったん違うかなあ」と呟いた。
 
詩人、清水正一は、著者にすれば、「詩人というより、父のように思っていた。清水さんもそのように接してくれるので、そのようにおもっていた。」
 
清水正一は十三(じゅうそう)公設市場の中に、蒲鉾屋の店を出していた。清水との付き合いは、編集工房ノアで1979年に『清水正一詩集』を出してからだ。1985年には亡くなっているので、それほど長い付き合いとはいえない。けれども、非常に濃かった。

『清水正一詩集』は「最初の作品選びからタッチした。編集者として一冊の本作りでおつき合いすると、その人柄がわかる。清水さんの場合、男としては注文も多い、考えが二転三転することもあって、私としては気持ちを押さえることもあった。」
 
ここは正直に言うと、よくわからない。「男としては注文も多い」とは、どういうことだろう。けれども、二転三転する「清水さん」と、くんずほぐれつ、著者が誠実に付き合ったことはよくわかる。
 
そこから話が逸れて、「出版というのは事業には違いないが、自分の編集しない、名のみの発行者であってみれば、喜びはなにほどのものであろうか」、という感懐にも行きついている。

「清水さん」は、こちらが家に行くと、なかなか帰してくれなかった。同じ話を何度もした。
「清水さんにとっては話すことが、何かをとりもどす楽しい時間であったのだろう。」
 
この「清水さん」の自宅の掛け時計は、いつも三、四時間は遅れていたのである。今は、この大幅に遅れた時計が、「清水さん」による詩であったのかも知れないと思う。それで「遅れ時計の詩人」というタイトルを、ここから取った。

この記事へのコメント