知らない作家たちだけれど――『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』(1)

著者の名は涸沢純平(からさわ・じゅんぺい)。これはペンネームである。夫婦二人で、1975年から、編集工房ノアを切りまわしている。いわゆる小出版社の中でも、極小出版社である。思わず親しみを感じてしまう。

本の全体は三章に分かれ、そのうちⅠとⅡが追悼集、Ⅲ章が、出版のあれこれの仕事について書いたものである。
 
編集工房ノアは大阪にあって、足立巻一や天野忠、山田稔、鶴見俊輔、などを出している。ハンセン病詩人、塔和子の全詩集を出しているところでもある。
 
しかし巻末の広告頁を見ると、それ以外は知らない。その全然知らない作家の追悼文集が、読ませる。
 
最初は詩人、港野喜代子(みなとの・きよこ)である。1976年、創業の翌年に、詩集『凍り絵』を出し、宣伝のために新聞社を回ろうというので、著者は港野と待ち合わせをする。

「新聞社回りをしよう、と言ったのは港野だった。こちらから新聞社にたのんで回るのは、少々抵抗がないわけではなかったが、港野は各社に馴染みの記者がおり、私たちは何より発行したばかりの二千冊の『凍り絵』をさばかなければならなかった。それにこの詩集は港野にとっては二十年振りの第三詩集で、どう受けとめられるか期待と不安が入り交じっていた。」
 
そしてこの日、港野喜代子は一人で暮らす家の風呂に入り、心臓マヒを起こして死んだ。享年62歳。
 
三章あるうちの第Ⅰ章は、港野喜代子に関する追悼三編を収め、それでⅠ章全部である。創業した翌年の、著者の死というものが、いかに大きかったか、それが何となく、こちらにも伝わってくる。

読売新聞の司馬遼太郎の追悼記事、平野謙の「新潮」連載の「随時随感」、それらを加え、著者は、港野喜代子のこれまでの詩作の世界を、委曲を尽くして書いている。
 
平野謙の鋭く胸に迫る追悼を受けて、著者はこんなふうに書く。

「詩との格闘、とは、まさに港野を言い得ている。
 その格闘の一生の証が、亡くなる直前の出版となってしまった『凍り絵』を含む三冊の詩集だけでは港野もうかばれないだろう、と私は思って、『港野喜代子選集』の出版を計画した。」

『港野喜代子選集――詩・童話・エッセイ』はそれから5年後に、A5判・函入り・728ページという大冊で出た。
 
でも、大阪以外では知られていない、この詩人の作品集が、採算が取れるほど売れるんだろうか、とつい余計なことが気にかかる。
 
そういえば『凍り絵』の二千冊も、詩集としてはびっくりするような部数だ。

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