書かれてあることの、その先を――『飼う人』(4)

一作目、二作目の終わりがこれだと、いやが上にも期待は高まる。離婚した上に、仕事もない女は、どうなるのか。大学を出て就職した会社が潰れ、今はコンビニで働く男は、住むところを追われて、明日からどうするのか。

それ以前に、この二作品の主人公たちは、心の底に、どうしようもない疲れと孤独を抱えている。これが、二作目まで読んだところで浮上してくる、根幹のテーマだ。

ところが、三作目、四作目になると、それは雲散霧消してしまう。

三作目の主人公は、高校浪人の「ぼく」、家族はママがひとり。ママは愛人をしていたが、だんなと別れて、親子で福島に来る。津波に遭って荒廃し、事故後の原発が、まったく収束しない、あの福島である。

今度は、飼っているのはイエアメガエル(家雨蛙)。

「ぼくは、タッパーをテーブルの上に置いて、そうっと蓋を開けた。
 カエルの体は蝋細工みたいなつるっとした光沢があり、左右に大きく飛び出た目玉は、全く動いていなかった。
『生きてる?』もう一度ママが訊ねた。
 タッパーを目の高さまで持ち上げてみると、喉の辺りが顔を扇ぐ下敷きみたいに動いているのが見えた。パタパタと派手に扇ぐのではなく、誰にも気付かれないようにそっと扇いでいる感じ。」
 
相変わらずの描写、うまいものだ。愛人関係のもつれも、「ぼく」を交えて、ママが別れるところまで、じっくり読ませる。
 
福島に移ってからも、家屋のことなど細々したことで、読者を引っぱっていく。

「除染というのは、線量の問題だけではなく、日常生活が宙吊りにされるのだな、とぼくは思った。いつ除染が入るかはわからないけれど、いつかは入る、という宙ぶらりんの状態が、庭とママの精神を日毎に荒廃させていった。」
 
そういう、どこもどんづまりの状態が、なんと、最後に明るく弾ける。「ぼく」の受験が、成功したのだ。最後はこうだ。

「輪になって跳ねながらぐるぐる回るうちに、閉ざされた日々の底がすぽんと抜けて、何もかもが遠ざかっていった。
 もうここで終わってもいい、とぼくは思った。」
 
冗談ではない、高校受験の成功など、一瞬のまやかしではないか。本当に心底がっかりした。

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