一装丁家の意見――『装丁、あれこれ』(3)

「昨今のラフ、カンプ事情」と題する章もある。ラフは下絵とか素描のこと、カンプはコンプリヘンシブ・レイアウト(comprehensive layout)を略した言い方。
 
どちらも装丁家が、仕上がり状態を示すための、ラフスケッチである。昨今は、このラフ、カンプを、複数出すことが流行りらしい。若い装丁家は、どれでもより取り見取りで、レストランのメニューよろしく、これでもかと出してくるらしい。

僕はそういう装丁家とは、一度も仕事をしなかった。僕が装丁を頼むときは、装丁家が僕を驚かすことを期待している。だから装丁は一点、もうこれ以上はない、というものを期待していた。

カンプをいくつも出して、みんなで合議をして決めるのは、広告ならそれでいいかもしれないけれど、本の場合は、そういうものではない。

桂川さんはそこで、カンプ一点主義の和田誠を引く。

「だってレストランに入って『カレーライスとハヤシライスと両方作ってくれ、うまそうな方を食うから』なんてだれも言わないでしょ」。
 
ごもっとも、いかにも和田誠らしい、からかいを含んだ軽妙な言い方だ。

でも僕は、もう少し、なんというかこう、気構えが違ったような気がする。

「僕は著者から、これだけの原稿を取った。その原稿に対して、装丁家も、これ以上はないという装丁で、真剣勝負をしろ」。
だから装丁は、一点勝負なのだ。

「鳥海修の書体」と題する章もある。鳥海修は、書体メーカーの写研を経て、字游工房を作り、日本語フォントのヒラギノや游書体など、優れた明朝体を作った人だ。
 
じっさい原稿を、いくつかの書体で見本を取ると、三種類くらいあるうちの、必ず一種類に決まる。それは本当に不思議だ。原稿が文芸書か学術書か、著者の文体が柔らかいか、そうでないか、いろいろな要素で微妙に決まる。
 
桂川さんは、ヒラギノや游明朝を、こんなふうに評している。

「ヒラギノ明朝がニュースキャスターの張りのある声を思わせるなら、游明朝は翳りのある名優のナレーションと言えようか」。
 
実にうまい譬えだ。でもフォントを知らない人には、猫に小判だから、どうしようもないか。いやそれでも、伝わるものはあるはずだと思いたい。

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