いまこそ「脳卒中文学」を――『万治クン』(2)

永倉万治は、倒れて一カ月めまでは、こんな調子だった。

「・・・・・・若い女の手を握り、ガツガツ食べ、ウンコ垂れ流し状態で、言葉もウーとかアーぐらいしかいえず、食事時以外はぼんやりしている、そんな状態だった。」
 
私も、「ウンコ垂れ流し状態で、言葉もウーとかアーぐらいしかいえず」、本当に往生した。脳出血で内面が壊れているから、いったん何か心配事が起こると、負の方向にスパイラルしていくしか、感情が働かなくなる。
 
深夜起きて、暗闇で目を凝らしていると、どこまでも絶望的になって、本当にうんざりした。しかしその絶望は、脳出血のため、いわば「内面の自由」が効かなくなって、そこに至ったわけだから、ともかくどんなことも先送りで、今は考えまいとした。

そういうふうに踏ん切りをつけるのが、また大変だった。とにかく、ちょっとでも考えだすと、負のスパイラルに巻き込まれそうになる。

しかし、自殺するということは、これっぽっちも考えなかった。考えてみれば、不思議なことだが、これはたぶん子どもの存在が大きい。親が自殺をしたのでは、子供は何かにつけて不安になる。

永倉万治は、有子さんと二人三脚で、原稿を作成していく。というか、これは妻の方の決心が大きい。

「私は、思い切って断りなしに原稿に手を加えてみた。・・・・・・さいわい、彼は何もいわなかった。文章を直されたことに気づいているのかどうかも怪しかったが、他に方法はない以上、やるしかない。文節を移動したり、表現を変えたり、描写の足りない部分を補ったりと、しだいに大胆になっていったのである。」
 
ここは涙なしには読めないところだが、しかしたとえば担当した編集者は、どうだったのか。聞いてみたいところだ。
 
それから、永倉万治その人の問題がある。彼は果たして、女房との合作で満足していたのか。

「彼は立ち上がり、何かに耐えるようにじっとしていた。やがて顔を上げると私を睨みつけ、絞り出すような声でいったのだ。
『俺だってな・・・・・・いつか、いつか必ず、自分の力だけで小説を書いてやる。一言一句お前にさわらせないで、小説を書いてやる』」
 
脳卒中になろうとなるまいと、作家の家はどこも荒れ狂っている。創作の現場を共有すれば、そこに妻も、必然的に巻き込まれていくのは、仕方のないことだ。
 
致命傷となった二度目の脳卒中の際には、地方新聞に『ぼろぼろ三銃士』を連載していた。
永倉有子は、これを書き継いで、完成させる決心をする。

「忘れもしない、八月十九日の午前五時二十五分。『ぼろぼろ三銃士』は完成した。
 ・・・・・・
 十一年間、私は永倉の文章を直してあげているつもりだった。でも、そうではなかった。十一年かけて、彼が私に文章の書き方を教えてくれていたのだ。いまになって、それがわかった。」

(『万治クン』永倉有子、発行・ホーム社、発売・集英社、2003年10月5日初刷)

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