日本の負の縮図――『東芝の悲劇』(5)

それにしても著者の大鹿靖明はなぜ、四人が社長になるまでの、場合によっては波乱万丈の半生を取材しておきながら、しかもその筆は緻密に、のびやかに走っているにも関わらず、結局は四人を、出来の悪い、社長には足りない人物として、小さくまとめたのだろうか。
 
著者は、たとえば西田厚聰へのインタビューを、こんなふうに記す。

「ケインズ、シュンペーター、サミュエルソンにカント。さらにはトヨタ生産方式まで。七冊の本を同時並行で読み、珍しいダビドフという葉巻をくゆらす。
 聞いていて、岩波書店的な教養をもったインテリ経営者と思わせたいのだろうと受け止めた。」
 
末尾の一文で、西田厚聰の人物像を見るのに、眉に唾をつけていることがわかる。が、なぜ眉に唾をつけるのかは、よくわからない。東大の政治学博士課程を中退なら、ケインズ、シュンペーター、サミュエルソン、カントなどは、親しみをもつて話題にするだろう。それは当然ではないか。
 
ここから先は、私の当て推量になる。奥付の著者紹介の最後に、「築地の新聞社に勤務。二〇一七年、労組委員長選に立候補し、落選」とある。
 
朝日の記者として、前著の『メルトダウン―ドキュメント福島第一原発事故―』が講談社ノンフィクション賞を受賞して、まだその印象が鮮烈に残っているとき、なぜ「朝日新聞社に勤務」と書けないんだろうか。
 
さらに「二〇一七年、労組委員長選に立候補し、落選」は、あえて著者紹介に書くべきこととは思えない。
 
これは新聞社の上層部に対する憤懣が、書くべき対象とごっちゃになり、東芝と朝日が混然一体となって、噴出したとは思えないだろうか。
 
結論の部分はともかく、この本は取材がどこまでも緻密で、問題にすべきところがまだたくさんある。特に最終章、「第六章 崩壊」は、私の経済の知識が追いついてない。東芝は今もニュースになっている。そのニュースになっている事柄を、よく理解するために、もう一度、二度、精読しなくてはならない。

(『東芝の悲劇』大鹿靖明、幻冬舎、2017年9月20日初刷)

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