日本の負の縮図――『東芝の悲劇』(4)

ここまでの4社長の事績の要約は、すべて東芝に入ってからのことだった。じつは著者は、もう少し丁寧にその全段階、つまり子供のときからを取材している。そしてこれが、じつに面白いのだ。

「第一章 余命五年の男」では、西室泰三の若い時から社長になるまでが描かれる。西室は若い時から人望があり、仲間が集まった。慶應大学で全塾自治会委員長の委員長になり、そこで取り組んだのが学生健康保険の創設である。

西室は、自身が結核を患ったこともあって、当時の役所の認可を得て、慶應学生健康保険互助組合を創設している。学生とは思えない行動力である。
 
また西室は、あるとき足を引きずるように歩いていたので、病院で診てもらうと、進行性筋萎縮症と診断された。これは原因不明の病で、徐々に全身の筋力が低下して、五年はもたないと言われた。それで東芝でも、忘れられまいと死に物狂いで働いた。

さいわい診断は誤っており、手術によって進行を食い止めることができたが、死の淵まで行った男が、しかも若い時から周りに人が寄ってくるような人物が、社長として物足りないと言われても、なかなか首肯はしにくい。
 
また西室を扱った「第一章」の末尾に、こんなことが書かれている。
「西室と出井〔伸之ソニー社長〕が新しい経営者としてマスコミにもてはやされるなか、電機業界の底流では大きな地殻変動が生じていた。やがて日本メーカーはその変動によって、次第に世界の最先端から脱落していくことになるのである。」
 
この底流にある「大きな地殻変動」とは何なのか。それが、もう一つはっきりしない。もちろんいろいろと推測はつくが、しかしこれだと言えるほど、はっきりはしない。ここは、著者がはっきり、「大きな地殻変動」とはこういうことなのだ、と言うべきではないか。

岡村正の次の社長は、西田厚聰だった。西田はもともと、東大大学院の政治学博士課程にいて、福田歓一教授の下でフィヒテを研究し、政治学者になるつもりだった。修士課程のときには岩波書店の雑誌「思想」にフッサールについて論文を執筆している。

けれども西田は突然コースを変えて、東大に来ていたイラン人の女学生を追ってイランに渡り、そこで結婚している。このとき結婚相手が勤めていた、パース東芝工業に入ったのである。

幼少のころから東大大学院に入り、一転イランの東芝に所属し、そして社長になるまでは、まさに波乱万丈の物語である。部下の一人は西田を、「ドイツ語、英語、フランス語の原書で本を読んでいて、グローバルレベルで見てもすごい教養人。彼に引き寄せられる人はいっぱいいたと思います」と語った。
 
そういう人が、赤字決算を怖がって不正、粉飾に走る。20万人の社員の重圧は、それだけ恐ろしいものなのか。けれどもよく考えてみれば、国の予算を立てるとき、いつも赤字国債という借金は、先送りにしているではないか。東芝は、まさにその縮図である。
 
あるいは原発。東芝は、破綻したウェスチングハウスという貧乏くじを引いたけど、しかしまだ原発はやめない。これも日本国の縮図ではないか。核のゴミが出て、しかも運転延長で、いずれは事故を起こすと分かっていながら、止めることができない。
 
東芝の4人は、確かに人災だったかもしれない。しかしそれは、対岸の火事では済まされまい。東芝は日本の負の縮図なのだ。 

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