日本の負の縮図――『東芝の悲劇』(1)

これは労作である。著者の大鹿靖明は朝日新聞の記者で、前著『メルトダウン―ドキュメント福島第一原発事故―』は、講談社ノンフィクション賞を受賞した。これがあまりに鮮烈な印象を残したので、今度の本もすぐに読んだ。実に読みごたえがあり、二度目は細かいところまでじっくり読んだ。

これは東芝という、かつての名門家電メーカーが傾き、今に至る惨状を、歴代・四代の経営者を中心に活写したものである。

「その凋落と崩壊は、ただただ、歴代トップに人材を得なかっただけであった。彼ら歴代トップは、その地位と報酬が二十万人の東芝社員の働きによってもたらされていることをすっかり失念してきた。
 それが東芝の悲劇であった。」
 
著者はプロローグで、最初にそう結論付けている。
 
しかし、私の結論はそうではない。なぜ著者と、結論が同じでないのか。しかも著者の、この一冊だけを読んだうえでの感想なのだ。これはちょっと解きほぐすのが難しいけど、とにかくやってみよう。
 
そもそも東芝は、その前段階からすれば百年以上続いた名門会社であり、戦後間もなくの経営者、石坂泰三や、70年前後の土光敏夫は、その後、経団連会長を務めている。
 
城山三郎は『もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界―』で、「財界総理」として君臨した石坂のことを書いた。私は読んでいないけど、出てすぐのころは、ベストセラーになったはずだ。
 
土光敏夫は、「メザシの土光さん」として有名だった。経団連会長や第二臨調会長として合理化に腕を振るった土光は、家では朝、メザシを食べていた。それが「清貧」だとして話題になったのだが、でもよく考えれば、年寄りにはよく似合った朝飯の光景だった。
 
東芝の経営者は、このころまでは単なる経営者ではなく、そこからもう一ランク上の、一般の人が尊敬し仰ぎ見る、社会的名士だった。

それが傾きだしたのは、1996年に西室泰三が社長になったときからだった、と著者は言う。西室は「選択と集中」をスローガンに、М&Aを用いて東芝グループ内の事業を再編した。「原発から家電や半導体まで手がける総合電機メーカーは兵站線が伸びきっており、主戦場を限定してそこに経営資源を投入しようとした。」
 
この「選択と集中」は、東芝本社を分割化して、重電、家電、情報通信、電子部品の4つのカンパニーを、持ち株会社にぶら下げようとするものであった。これは結局、後に原発とパソコン、半導体に集約されることになる。そして原発とパソコンについては、言いようもないほどの惨状を見ることになる。

なお西室社長の時代は四年間、業績は悪化し続けている。けれども西室泰三は、社長の次は会長として、腕を振るい続けた。

「西室は、財界トップの経団連会長ポストこそは逸し、副会長に終わったものの、財務省の財政制度等審議会会長、内閣府の地方分権改革推進会議議長、東証の社長、会長、そして日本郵政社長と高位顕職を歴任した。戦後七〇年のこの年は、安倍晋三首相の『談話』のために設けられた『21世紀構想懇談会』の座長役も務めた。」
 
著者は、このような「高位顕職の歴任」に対して、「位人臣を極めた者のモニュメントのようである」と、バッサリ切って捨てている。

この記事へのコメント