高橋順子と車谷長吉――『夫・車谷長吉』ほか(4)

『漂流物』は、タイトルになった中篇も含めた、七篇からなっている。なかでは「漂流物」が、もっとも力が籠もっている。
 
料理場から料理場へ放浪していく「青川さん」は、十円玉を放って表と裏のどちらが出るかで、行く先を決めていく。そうして何の理由もなく、内灘海岸で男の子を殴り殺してしまう。
 
これは芥川賞の本命だったが、落選してしまい、のちに日本経済新聞に選考経過の異例の報告が出た。

「物情騒然たるこの時期、この小説は時の運で落ちた、ということが書かれていた。不条理殺人小説が社会不安を助長させるかもしれないことを恐れた選考委員が過半だったということから、文学と社会について問題提起をしていた。
 長吉の怒りがたぎってきた。」(『夫・車谷長吉』)
 
そりゃあ、怒り沸騰して当たり前だ。そもそも、世情を不安に陥れるかもしれないから、芥川賞を授与するのを止めるというのは、信じられない話だ。むしろ、文学の問題作としてはまったく逆で、うやうやしく差し出すのではないのかね。

『業柱抱き』(ごうばしらだき)は、帯の表に「新直木賞作家の文章道」とあり、「詩・俳句・小説・エッセイを収録。」とある。
 
まず巻頭の、「業柱抱き」と題する詩が面白い。そこに「補註」が付されている。

「平成二年の夏、私は高橋順子さんの詩集『幸福な葉っぱ』(書肆山田刊)に触発されて、詩のようなものを書いた。それがこの「業柱抱き」であるが、その後、この生殺しの詩のようなものをもとに「鹽壺の匙」をかいた。」
 
初出は、平成五年の『新潮』七月号である。ここで、編集者が止めるのもかまわず、高橋順子に懸想していることを告白し、高橋順子はびっくりしつつも、これを受け入れたのだった。車谷は、おかげで「鹽壺の匙」が書けたことを告白している。
 
このごった煮の寄せ集めは、寄せ集めたものにしては面白い。たとえば色川武大の『狂人日記』をテーマにしたところ。

「うちの嫁はん(高橋順子)は、しぶとい女で、私が発狂したことを素材に『時の雨』(青土社刊)という詩集を著して、奇しくも色川氏と同じ読売文学賞をもらったが、文学は血みどろである。」(「血みどろの狂気」)
 
それからまた、日本人の「思想」について。
「思想、と言うと、人は何かむつかしいもののように受け取りがちであるが、平易に言えば、人の言動の基いにあって、その人を動かしている動機(モチーフ)のようなものである。年の暮れに、私方の近所の商店街で『歳末大売出し・現金つかみ取り』というのをやっていた。・・・・・・些細な行事ではあるが、恐らくはこの『現金つかみ取り』が、昭和三十年に高度経済成長政策がはじまって以来、日本人の魂を動かして来た思想であろう。」
 
その容赦ない視線は、自分に向かうとき、最も厳しくなる。『鹽壺の匙』一冊で、藝術選奨文部大臣新人賞と、三島由紀夫賞をもらったときの溜め息。

「嬉しいのは嬉しいに相違なかったが、それも浅ましく、さもしく、己れにうんざりした。」(「人間一生二萬六千日」)
 
結局、車谷は、次のようなところに徹さなければ駄目なのだ。
「私は私の骨身に沁みたことを、私の骨身に沁みた言葉だけで書きたかった。」(「物の怪」)
 
最後に「因業集」と題して、俳句が載せられている。読んでいくと、俳句というよりも、究極の掌篇に近い。二篇だけ、いや二句だけ引いておく。

  秋の蠅忘れたきこと思ひ出す
  去年今年因果の風は吹き通り

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