デザインの見方――『塑する思考』(4)

それからまた、仕事で自分を追い詰めてゆく、その追い詰め方が、どんな職業であっても、結局は不変なものである、ということを語っているところもある。

「・・・・・・自分を追い込むとは、できるかぎり客観的に自分のやるべきことを考え抜く、の意味です。とことん追いこんだ後は自由に、ああでもない、こうでもないと考えを巡らしてみる。するとある時、『あ』と思う瞬間が必ずやってきます。アイデアが、まるで天から降りてくるかのように、自分から湧いて出るのではなく、外からやってくる感覚なのです。」
 
これは「さよなら、元気で。ペンギン君」と題する、ロッテのクールミントガムのデザインをリニューアルする話。これも実に面白い。
 
そしてアイデアを得る方法について。
「アイデアは、みんなで話し合いを重ねれば出てくるというようなものではなく、十人いても百人いても、出ない時には出ません。・・・・・・アイデアについては、たとえ何人で出し合うにせよ、一人一人が自分をどこまで追い込めるかに掛かっているのです。みんなで考えさえすれば先を切り拓くアイデアが出てくるようなものではない。民主主義を取り違えてはなりません。」
 
アイデアを求め、企画を求めて、どれほど企画会議をやったことか。でもトランスビューになってからは、僕一人だから、ほとんど企画会議はしていない。
 
もちろん企画会議は、企画の、いってみれば毛羽だったところを処理する、整流器の役目をしているので、なくてもいいと言うわけにはいかない。その辺は、企画会議をやる部長なり課長なりの、判断の難しいところだ。
 
それで結局、デザインとは何か。
「デザインする基本は、内容をよくよく理解し、できるだけそのまま表現することに尽きるのです。きれいなものはきれいに。面白いものは面白く。素朴なものは素朴に。」
 
なるほど、ちょっとした「悟り」の世界である。
しかし、著者はさらに、そこからもう一歩、進める。

「私は今、切実に、小学校の義務教育の授業に『デザイン』を取り入れるべきだと思っています。・・・・・・ありとあらゆる物事と人との間にデザインはなくてはならず、人の営みの中で何事かに気づき、これからを想像し、先を読みつつ対処するのがデザインであるならば、それは『気づいて思いやる』、つまり『気づかう』ことに他なりません。デザインは、自ずと道徳にも繫がっており、それは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい考えることでもある。」
 
だから世界に先駆けて、日本で「デザイン」の授業をやってはどうか、と説く。道徳につながる世界については願い下げだが、しかしここまで突き詰めなければ、デザインの奥義は極められない、という意気込みはおおいに買える。

(『塑する思考』佐藤卓、新潮社、2017年7月30日初刷)

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