手の内を明かせば――『みみずくは黄昏に飛びたつ』(4)

それ以外にも、この本には、考えさせられるところが、あまたある。村上春樹は、基本的には、受けた球を返しているだけ、リードするのは、常に川上未映子である。
 
たとえば川上は、村上の物語は、「地下二階で起きていること」(第二章のタイトル)だという。地下一階には、自我の物語があり、それは今では、よく知られていることだ。しかし地下二階には、それではすまない、いってみれば、河合隼雄のいう集合無意識のレベルの物語があるという。
 
これはよくできていて、うむ、なるほどと、つい首肯してしまうけれど、しかしよく考えたほうがよい。
これを前提にすると、村上のいう、現実にはあり得ないことでも、物語としてはあり得る、という言葉に、自信というか、信用を与えることになる。
 
たとえば「秋川まりえ」が、「免色」の家に忍び込んで、クローゼットに隠れているとき、扉一つ隔てて、何者かが彼女と向かい合う。これはどうやら、「免色」ではない。しかしそれでは、誰もいないところで、「秋川まりえ」と相対している、何者かがいることになる。
 
こういうのは、リアリズムでは、何が何だかわからないんだけど、物語としては、とてもよくわかると、村上はいう。村上春樹がそういうんだから、本当にそうなんじゃないか、と信用しそうになるが、そして川上も、それはよくわかると同意するが、本当にそうか。
 
また村上は、小説を書くときにはノープランで、いちいち、これはこういうことである、という頭による解釈を捨てて書くという。
 
川上は、それがちょっと信じられなくて、こういうふうに尋ねる。
「――それが村上さんの小説にとって大切なことであるのはわかるんですけれど、でもそれはそれとして、実はこれが何を表しているとか、そのつながりが本当はこういう意味なんだ、みたいなこと、村上さんの中にはない?」
 
それに対して、村上はこういうふうに答える。ここにこそ、村上春樹の村上春樹たる点がある。

「村上 ない。それはまったくないね。結局ね、読者って集合的には頭がいいから、そういう仕掛けみたいなのがあったら、みんな即ばれちゃいます。あ、これは仕掛けてるな、っていうのがすぐに見抜かれてしまいます。そうすると物語の魂は弱まってしまって、読者の心の奥にまでは届かない。」
 
これはもう、本当にそう言うしかあるまい。しかしそれを、作者が喋っていいものか、という疑問も残る。こういう本の企画なんだから、そういうことをしゃべらなければ、ほかにどんなことをしゃべるのか。

まあそういうことだが、そうすると、ミネルヴァの梟は、物語の後では、本当に飛ばしてよかったのか、という疑問が、僕には最後まで残る。

(『みみずくは黄昏に飛びたつ』
 村上春樹・川上未映子、新潮社、2017年4月25日初刷)

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