手触りのある追悼――『夫・車谷長吉』(1)

女が、男とのなれそめから、中年を過ぎて一緒に暮らし、ついには先に逝った男を、かぎりなく追悼する。
 
初めは、詩人の高橋順子が、車谷長吉から、彼女の詩について、絵手紙をもらった。それは、尋常の手紙ではなかった。

「手渡された絵手紙には青い空っぽのガラス壜が描かれてい、妖気といったらいいか、怨念といったらいいか、ただならぬ気配のたちこめる肉太の字で、余白がびっしり埋められていた。」
 
つまり最初から、男と女は、ぴったり息が合っていた。もちろん当人同士は、そんなことは知る由もないが。
 
けれども、絵手紙を受け取った女が、「妖気といったらいいか、怨念といったらいいか、ただならぬ気配のたちこめる肉太の字で」と記すところが、もう歯車が回っている。ふつうは、そんな手紙は、薄気味悪く、打っちゃって置くところだ。でも、そうはならなかった。

「返事を書けるような内容ではなかった。独り言だった。この孤独な人は私の中にも孤独を認めたのだ、ということだけが分かった。友人たちに囲まれていたとはいえ、独り者の私にはさみしい詩が多かったのだ。」
 
返事を出せる内容ではないにもかかわらず、車谷長吉の絵手紙は続いた。その三通目に、「今夜は牛の屍体を喰うた」とあった。

「すき焼きかビーフステーキを『牛の屍体』という人はどんな人か。また返事は書かなかった。」
 
まだ二人は、対話を始めていない。にもかかわらず、どうです、この息の合い方は。
 
二人は結婚するが、その過程も、詩人のナマの言葉で綴られていて、ほんとになんとも言えない。
 
結婚したのは、高橋順子が四十九で、車谷長吉が四十八、ともに初婚とはいえ、どちらも生活の流儀ができていた。

「相手のすること、なすこと、期待どおりには動いてくれず、お互いに戸惑うばかりで、なにか息苦しかった。」
 
そんな新婚のときでも、高橋順子は、見るべきものは見ている。
「前田さんから結婚祝いとして、銅版画の額をいただいたそうだが、それは作家が脂汗を流して原稿を書いている図だった。長吉は私はこれを見ているとつらい、と言ってお返ししたのだそうだが、こういうふうに人さまの厚意に平気で注文をつけることがある人だった。」
 
しかし、長吉が人様に平気で注文を付けるのは、傍若無人とは違う、と僕は思う。そして高橋順子も、ここには書いていないけど、そのことは分かっていたと思う。

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