面白い、でもときどき退屈、だが・・・――『騎士団長殺し――第1部 顕れるイデア編』(2)

その前に、いくつかの魅力的なところを見ておこう。
「私」が肖像画を描くために、担当エージェントがいるのだが、その彼が、「私」に言った言葉。

「『あなたはものごとを納得するのに、普通の人より時間がかかるタイプのようです。でも長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれます』
 ローリング・ストーンズの古い歌のタイトルみたいだ、と私は思った。」
 
旨いですね。「ローリング・ストーンズの古い歌」と、まあいってみれば流して行き、深刻に考え込ませないところが、絶妙です。
 
そのちょっと後、担当エージェントと「私」の、会話の続き。
「『でも肖像画を描き続けるのは、今のところぼくのやりたいことじゃないんです』
『それもよくわかっています。でもその能力はいつかまたあなたをたすけてくれるはずです。うまくいくといいですね』
 うまくいくといい、と私も思った。時間が私の側についてくれるといい。」
 
これは、主人公の祈りであると同時に、村上春樹の、かなり自信をもった、祈りでもあるだろう。
 
つぎは『騎士団長殺し』という絵を、発見するところ。これによって、まわりは一変する。

「私が『騎士団長殺し』というタイトルのついた雨田具彦の絵を発見したのは、そこに越して数ヶ月経った頃のことだった。そしてそのときには知るべくもなかったが、その一枚の絵が私のまわりの状況をそっくり一変させてしまうことになった。」
 
これは、それまでの延々続く箇所がないと、ギアを一段吹かしたことが、わかりにくいかもしれない。でも、勘のいい人には、わかるはずだ。

「私」が性行しているところとか、人妻が性器を口に含んでいるところとかを、スケッチしてあげると、女は顔を赤らめながら喜ぶ。でも「私」が本当に描きたい絵は、そういうものではないし、また学生時代に盛んに描いた「抽象画」でもない。

「今の時点から振り返ってみれば、私がかつて夢中になって描いていた作品は、要するに『フォルムの追求』に過ぎなかったようだ。青年時代の私は、フォルムの形式美やバランスみたいなものに強く惹きつけられていた。それはそれでもちろん悪くない。しかし私の場合、その先にあるべき魂の深みにまでは手が届いていなかった。そのことが今ではよくわかった。私が当時手に入れることができたのは、比較的浅いところにある造形の面白みに過ぎなかった。強く心を揺さぶられるようなものは見当たらない。そこにあるのは、良く言ってせいぜい『才気』に過ぎなかった。」
 
もちろん村上春樹は、私小説家ではない。だから「私」と作者とを、重ねて読む必要はないのだが、それでもここは、全部を読んだ後で、どうしても、少し重ねて読みたくなる。

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