競い合う編集者――『「考える人」は本を読む』(5)

粕谷一希は2014年に、84歳で亡くなった。『作家が死ぬと時代が変わる』は、象徴的に挙げられていて、ここでは河野氏と粕谷さんの、個人的なエピソードが中心になる。

「そもそも、この人のコラムを読まなければ、雑誌の編集者なるものに興味を抱いたのかどうか、というような〝出会い〟がありました。あるところで、たまたま目にした創刊間もない1冊の雑誌。そこに掲載されていた見開き2ページのコラムが、粕谷さんとの出会いでした。
 見知らぬ筆者の肩書きは『中央公論編集長』でした。」
 
こうして河野氏は、見えないものに導かれるようにして、「中央公論」の編集長になる。
 
それにしても、なぜこれほどまでに、亡くなった人の本ばかりが、中心を占めるのだろうか。とくに「仕事を考える」という章は、すべて亡くなった人の話だ。

ここにきて河野氏の、または編集者の、あるいは著者と編集者の二人が、出版の仕事を考えるとき、その仕事を、死者に照らしていることがわかる。つまり、今生きて存在している者は、海面から上の部分にすぎない。その下にいる無数の死者たちこそ、今の仕事を正確に評することができるのだ。

そしてもう一つは、はじめは『〆切本』や『「本屋」は死なない』、『僕らの仕事は応援団』などで始まったものが、本の真ん中あたりで、「死者の本」が、読んでいる者の胸の奥底に沈み込む。そしてふたたび「家族を考える」「社会を考える」「生と死を考える」というふうに、話が広がってゆくとき、じつは本は、一つの世界を構成しており、それは例えば、データを並べたところで、取り替えのきかないものなのだ。

『「考える人」は本を読む』は、1冊の新書にすぎないけれど、いったんそこを入ると、限りない世界が開けていて、読みはじめる前と後では、はっきり、自分の立っている位置が違っている。

(『「考える人」は本を読む』河野通和、角川新書、2017年4月10日初刷)

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