競い合う編集者――『「考える人」は本を読む』(4)

次の「Ⅲ 仕事を考える」は、4編とも、逝った人の面影を偲ぶ、つまり「死者の本」である。NHKの名ディレクター、吉田直哉の『思い出し半笑い』、井上ひさしの二度目の妻、井上ユリの『姉・米原万里――思い出は食欲と共に』、こまつ座の座長、井上麻矢の『夜中の電話――父・井上ひさし 最後の言葉』、そして最後は粕谷一希の『作家が死ぬと時代が変わる』。

『思い出し半笑い』の吉田直哉は、テレビの草創期から全盛期まで、仕事をした人である。大河ドラマでは「太閤記」「源義経」などを作り、ドキュメンタリーでは「明治百年」「未来への遺産」「21世紀は警告する」などを作った。
 
この本は、「いずれも、著者がテレビ番組制作中に出会った珍事を軽妙に綴った滑稽譚」であり、よくできたコント集だが、しかしその裏では、個人が生きてきた、かけがえのない時間が、どうしようもなくいとおしいものとして、軽妙な筆で書き留められる。
 
吉田直哉の最晩年のエッセイ集、『敗戦野菊をわたる風』には、次のような一節がある。
「〈人がひとり死ぬということは、単にひとつの命が消えるというだけではない・・・・・・私が消えるだけならたいしたことはないが、私が死ぬと、私のなかで私と共に生きてきた何人もの、すでに死んでいる人びとがもういちど死ぬ。今度こそ、ほんとうに死んでしまうのではないか?
 死者ばかりではない。たくさんの、すでに失われた風景も永遠に消えてしまうのだ。〉」
 
河野氏の後註は、こんなふうだ。
「尊敬する何人かのテレビマンたちから、本当にいろいろなことを教わりました。硬派を代表するのが吉田直哉さんです。座談はいつも楽しく、本書の帯にある通り、『NHKのヒトはこんなにオカしいぞ』を地で行く人でした。」
 
よけいなことだが、僕は吉田直哉と養老孟司の対談集、『目から脳に抜ける話』を読んだことがある。これも本当に面白かった。
 
米原万里は、河野氏が東大の露文にいるころ、3歳年上の大学院生として、同じ研究室に在籍したことがある。そのころはまだ、自分がどういう道を進んだらいいか、考えあぐねているようだった。
 
その後、米原はロシア語の同時通訳者として、またエッセイストとして、はなばなしく活躍するようになる。河野氏は、後に中公文庫になる連載原稿を依頼したり、雑誌の対談に出てもらったりする。

「ただ、本質的な意味で、編集者として彼女に向き合う機会はありませんでした。活躍する彼女の姿を脇から頼もしく見てはいましたが、お互いテレもあって、彼女の根っこの部分について議論することはありませんでした。」
 
米原万里は、56歳の若さで病没する。
「本書は米原万里さんを蘇らせます。よく知られた万里さんではなく、私たちにはまだ見えていなかった米原万里の魂を近しく感じさせてくれる1冊です。」

『夜中の電話』は父、井上ひさしがこまつ座のことを、娘の井上麻矢に託した言葉を集める。

「抗がん剤治療をしていない日の夜11時過ぎ、スポーツニュースが終わった頃に、父から電話がかかってきます。『マー君ちょっといいかな。三十分だけ。今日はどうでしたか? 疲れていないですか?』――こうしてかかってきた電話は、明け方で終わることもあれば、朝の8時、9時まで続くこともありました。」
 
こうして77の言葉が収められ、それを受け止めた娘の言葉も記される。河野氏は「井上さん亡き後、こまつ座の公演はできるだけ観るようにしています。何度見ても面白いのが井上芝居の特徴です」と、後註に記している。
 
そうして、「Ⅲ 仕事を考える」の最後に、粕谷一希がくる。

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