最後の雑誌編集者――『言葉はこうして生き残った』(4)

しかし河野さんの不思議な魅力は、じつは、こんなところだけに、あるわけではない。それはたとえば、「寅彦のまなざし」の章によく顕われている。

「私にとってもっとも本書(柏木博「日記で読む文豪の部屋」)で面白かったのは寺田寅彦の章でした。漱石門下にあって異彩を放った文人肌の物理学者です。
 そんな寅彦が正岡子規を訪ねた時の様子が紹介されています。」
 
そうして寅彦の「根岸庵を訪う記」が引用される。
「黒い冠木門の両開き戸をあけるとすぐ玄関で案内を請うと右わきにある台所で何かしていた老母らしきが出て来た。姓名を告げて漱石師よりかねて紹介のあったはずである事など述べた。玄関にある下駄が皆女物で子規のらしいのが見えぬのがまず胸にこたえた。外出という事は夢のほかないであろう。」
 
読点が少ないのは、昔の文章だからしょうがない。しかしこの呼吸、目配りは、現代人の文章といっても、十分に通用する。
 
次は寺田寅彦の、「乞食」と題する随筆である。ある日、裏木戸をあけて縁側に、一人の乞食が入ってくる。国へ帰る旅費がないといって、哀しい顔をするので、小紙幣を一枚だけやると、乞食は、「だんな様、どうぞ、おからだをおだいじに」と挨拶をした。

「『どうぞ、おからだをおだいじに』と言ったこの男の一言が、不思議に私の心に強くしみ透るような気がした。これほど平凡な、あまりに常套であるがためにほとんど無意味になったような言葉が、どうしてこの時に限って自分の胸に食い入ったのであろうか。乞食の目や声はかなりに哀れっぽいものであったが、ただそれだけでこのような不思議な印象を与えたのだろうか。しゃがれた声に力を入れて、絞り出すように言った『どうぞ』という言葉が、彼の胸から直ちに自分の胸へ伝わるような気がすると同時に、私の心の片すみのどこかが急に柔らかくなるような気がした。」

「現代の名随筆」として、今年選ばれたとしても、おかしくはない。
河野さんは「彼(寅彦)の短文集『柿の種』(岩波文庫)を、ふと読み返したくなりました」というところで止めているけれど、これが明治大正の文章だということは、一考を要する。
 
たとえば、子弟という関係から、漱石は寅彦に影響を与えたと想像されるけれど、文章を見る限り、先生と弟子は、互いに影響を与えあっていたのではないか。そして、こと文章に関する限りは、寺田寅彦の方が、持って生まれたセンスは、漱石よりも新しい。その新しさに感応するところが、河野さんの非凡なところだ。
 
そういう目で、この本の全体を見れば、たとえば「古書を古読せず、雑書を雑読せす」、「こんな古本屋があった」、「寂寥だけが道づれ」、「生涯一教師」、「美女とコラムニスト」、「言葉に託された仕事」、「父の目の涙」、「翻訳という夢を生きて」などは、河野さんの独特の目が、見事に光を当てて、独特の光景を浮かび上がらせている。

以上は、この本のごく一部を触ったに過ぎない。この本の内容は、あまりに芳醇すぎて、描き切るのは難しい。これを、編集長という仕事の傍ら、毎週配信するというのは、想像を絶するものがある。

『考える人』は4月で休刊になるという。河野通和氏が今度はどんな雑誌をやるか、興味津々である。なぜなら河野さんは、時代状況を見れば、おそらく雑誌における最後の大編集者だから。もし河野さんが手を引けば、その瞬間、日本の総合雑誌・教養雑誌の命脈は尽きるといってもいい。

けれども編集長という激務の傍らで、これだけおもしろいものが書けるのであれば、では筆一本になったとき、いったいどれほどのものが書けるのか。そちらもぜひ見てみたい。河野通和という人の行く先は、しばらく目が離せないのである。

(『言葉はこうして生き残った』河野通和、ミシマ社、2017年2月1日初刷)

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