文章で音楽を――『蜜蜂と遠雷』

これはなんというか、音楽を文章で表現したいという熱意だけで、全編が貫かれている。

だからピアノコンクールに臨む、女主人公の栄伝亜夜や、それと釣り合うジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ・アナトール、養蜂家の父とともに各地を転々とする、ピアノをもたない天才児、風間塵、そしてコンクール年齢上限ぎりぎりの高島明石の四人は、少女マンガの登場人物に見える。
 
これでよく直木賞が取れたな。それが取れるのである。文章で音楽を現したいという以外のことは思っていないから。あとはほんとに通俗の極みである。むしろ、あとは通俗というのが、かえって主題を際立たせている。
 
音楽を文章で表現した、ほんのさわりのところ。
「しかし、ザカーエフのブレーキは故障したままだった。というよりも、完全にテンポについての意識がどこかに飛んでしまったのだろう。道路標識も、カーブも、すべてを無視して突っ走り、どこかにぶつからない限り彼の演奏は終わらないのだ。
 一本調子の、それもつんのめるような速さで演奏は突き進んでいった。」
 
これは、三次予選のトップバッターが登場するところ。三次予選まで来て、そのトップで焦っているところだ。
 
次は音楽に乗って、どこまでも、なんというか、イッてしまう様子。
「いいなあ、そこって、すごい気持ちよさそうな場所だよね。
 塵はうっとりとステージの上から吹いてくる風を受け止める。
 彼には、亜夜のいる場所が分かった。
 青々とした草原、降り注ぐ光。
 おねえさん、まだまだ、そこで飛べるよね。
 塵は目をつむり、亜夜と一緒に宙を舞っている。」
こういうところも、しかし考えてみれば、少女マンガ的ですね。
 
僕はこの作品を、かなり面白く読んだ。でも同じ著者の本は、もう二度とは読まないだろう。それは例えば、こういうところがあるから。
「ところが、逆に勇気を貰った。」
校閲は必ずや指摘したろうと思う。だから恩田陸は、確信犯としてこれをよしとしている。僕は駄目だ。

(『蜜蜂と遠雷』恩田陸、幻冬舎、2016年9月20日初刷、12月25日第7刷)

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