ここから先は『人口と日本経済』を離れるが、いま日本の人口問題で進行している事態は、よくよく考えてみなければならない。
65歳以上が三分の一弱になり、女性の90歳以上の割合が、二人に一人であるという。こういうことは、しかし外から見ていても、社会的費用を計算する人を除けば、それがどうしたという程度だ。つまり年寄りを見る、それ以外の世代は、どうも年寄りが多くて困ったものだ、という以外に特に感慨はない。
しかし、これを年寄りから見れば、また違った光景が見える。そしてその光景は、今のところまだ、当の年寄りを除いては、いや当の年寄りにも、よく分かってはいない。
僕は61歳のとき脳出血になり、それまでの仕事は突然断ち切られた。あとは言ってみれば、「余生」と言うわけである。でも60歳から、場合によっては90歳まで生きるということは、余生には長すぎる。ほとんど人生が、もう一回あるようなものである。
そういうことに、僕は全然気づかなかった。社長である以上、いつまでも辞めずにすむわけだし、また小さな出版社の社長で、僕より10歳も上の人が、元気にやっているのも見ていた。
でも僕は、もう出版社の社長はできない。そんなわけで突然、僕は「余生」を送ることになった。ところが、その「余生」の送り方が、よくわからない。
たとえば『へろへろ―雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々―』という本がある。これは「お金も権力もない/老人介護施設「よりあい」の/人々が、森のような場所に/出会い、土地を手に入れ、/必死でお金を集めながら/特別養護老人ホーム/づくりに挑む!」という内容で、書評もずいぶん出た。
でもじつは、この本を書いている方も、書評している方も、肝心の老人のことは忘れている。とくに書評している方は、ふだん老人が視野に入ってこないものだから、老人ホームを一から作るのを絶賛するのはいいんだけど、肝心の老人にしてみれば、何か遠いところで拍手が聞こえるばかりだ。実際、この本には、具体的な老人の話は出てこない。
考えてみれば、戦後70年余で、寿命は30数年伸びている。毎年毎年、半年ずつ余命は伸びていったわけだ。しかも老人は、それこそ肉体的にも精神的にも、千差万別である。そんな中で、これといった大きな指針が出てくるわけがない。
もちろん僕が、そういうものを示せるわけはないのだが、しかし少なくとも、「余生」というような考え方だけは、するまいと思っている。
(『人口と日本経済―長寿、イノベーション、経済成長―』
吉川洋、中公新書、2016年8月25日初刷)
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