低く抑えたところはいいのだが――『掏摸(スリ)』

これは『「文藝」戦後文学史』に、綿谷りさ『蹴りたい背中』などと並んで、大書して取り上げられている。中村文則は『土の中の子供』で芥川賞を受賞した際に、読もうと思った。でも、しばらく読んでいくうちに、いきが上がらないというか、読み手である僕の呼吸が、どうにもテキストとちぐはぐな感じがして、止めた記憶がある。

『掏摸』の方は、こんなふうに紹介されている。
「ゼロ年代以降の『文藝』に掲載された作品ではほかに、中村文則『掏摸』(二〇〇九年夏号)を挙げておきたい。スリを生業とする男の低く抑えた一人称で語られるこの作品は二〇〇六年に創設された大江健三郎賞(二〇一四年に終了)を受賞。副賞として英語に翻訳、出版され、『ウォール・ストリート・ジャーナル』の『2012年のベスト10小説』などにも選ばれた。」
 
これは読まねばなるまい。とくに「スリを生業とする男の低く抑えた一人称」というところが、何とも言えずそそられる。
 
というわけで、読んでみたのだが、うーん、これはどういうもんだろうか。

例えば、こういうところはいい。
「緊張している自分の奥に、うずくような、暖かさを感じた。その温度は僕の中に確かにあり、自分の意識は、やがてそれだけを感じ始めるのだろうと思った。目の前に塔を見た時、汚れた黒のビニールが、暗がりの中で輪郭を持ち浮かび上がった。僕はその惨めな肉片のようなゴミを、見続けていた。」
こういうところは、文章によって書かれる以外に、顕われようがない。うまいものだ。
 
しかし、たとえばこういうところ。
「――・・・・・・そんなに深刻に考えるな。これまでに、歴史上何百億人という人間が死んでる。お前はその中の一人になるだけだ。全ては遊びだよ。人生を深刻に考えるな。」
このセリフを言うのが、闇にうごめいて、主人公の運命を握るらしい、「木崎」という男だ。

こういうのは難しい。上滑りにならずに、これだけのセリフを登場人物に言わせるのは、なかなか骨だ。
 
あるいは、こういうところ。
「残念ながら、お前は、これから面白くなる世界を見ることができない。・・・・・・これからこの国は面白くなるぞ。利権にボケた権力者の構造が、大きく変わる。劇的に! 庶民にも凄まじい影響が出る。世界はこれから、沸騰していくのだよ。・・・・・・」
これはよほど、この前後を詰めて用意しておかないと、まったく浮き上がってしまう。

「スリを生業とする男の低く抑えた一人称で語られるこの作品」は、そのまま何も起こらずに、ということは、一介の孤独なスリのままで、全編を通せばよかったのに、と思わずにはおられない。

(『掏摸(スリ)』
中村文則、河出文庫、2013年4月20日初刷、2015年10月29日第33刷)

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