ジャーナリズムが壊れる前に――『放送法と権力』

山田健太さんは田畑書店から、『見張塔からずっと』と並んで、『放送法と権力』を出している。前者が、この8年の通時的なコラムだとすると、後者はテレビとジャーナリズムに的を絞って論じている。
 
これは今年2月に、高市早苗総務大臣が、法に基づき電波停止はあり得る、と国会答弁したことで、一挙に緊張が走った。政治家が「放送法」に基づき、テレビやラジオの番組を、取り止めることができるのだ。
 
著者は言う。「巧妙にそして着実に『放送の自由』は剝ぎ取られつつある。すでに手遅れかもしれないが、否、だからこそ、いまからでも異を唱えることで、視聴者のテレビやラジオを見る目を変えることから、まず始めることが必要だ。」
そこで、それを書きとめようとする努力が始まる。
 
2015年に開かれた、自民党若手の文化芸術懇話会で、「(自民党に)批判的なメディアは広告主に圧力をかけて懲らしめればよい」という意見が出る。また「沖縄の新聞はつぶさなくてはいけない」、との発言も出る。これはもちろん、言論弾圧の最たるものだから、発言が外部へ出た途端、責任者は交代させられる。しかしそれも形だけのことだ。安倍首相にとっては、むしろ良く言った、というくらいのつもりだろう(「第一章 報道圧力」)。
 
以下、「第二章 言論の不自由」では、あの絶望的に暗い「特定秘密保護法」が扱われ、「第三章 放送の自由」では、危機に立つNHKの公共性が問題になる。

「第四章 政治的公平の意味」は、メデイアにおける「公平公正」とはどういうことかを論じ、「第五章 デジタル時代のメディア」では、全世界の本をデジタル化して、それをネット上にアーカイブするという、一連のグーグル騒動が扱われる。
 
そして「終章 市民力が社会を変える」では、ヘイトスピーチとどう向き合うか、が論じられる。

『放送法と権力』は、『見張塔からずっと』に比べると、少し専門性が高い。しかしどの章も、じっくり読めば非常によくわかる。なによりも山田健太さんの情熱が、読み手をつかんで離さない。

(『放送法と権力』山田健太、田畑書店、2016年10月31日初刷)

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