この本を作ったときから思っていたことだが、新書にしても選書にしても、あるいは単行本、叢書にしても、僕は大塚さんの作った本を、じつによく読んでいる。それはちょっと、信じられないほどだ。そしてそれは、たぶん僕だけに限らない。ためしに僕が読んだ書名・著者名を、ざっと挙げてみる。
まず岩波新書から。
『非ユダヤ的ユダヤ人』(I・ドイッチャー)、『現象学』(木田元)、『アフリカの神話的世界』(山口昌男)、『現代映画芸術』(岩崎昶)、『コンプレックス』(河合隼雄)、『プラトン』(斎藤忍随)、『ことばと文化』(鈴木孝夫)、『昭和恐慌―日本ファシズム前夜』(長幸男)、『知識人と政治―ドイツ・一九一四~一九三三』(脇圭平)、『イエスとその時代』(荒井献)、『十字軍―その非神話化』(橋口倫介)、『社会科学とは何か』(R・ハロッド著、清水幾太郎訳)、『武器としての笑い』(飯沢匡)、『フロイトの方法』(牧康夫)。
続いて現代選書から。これは簡素にして、しゃれた装幀だった。
『小説の方法』(大江健三郎)、『ソシュール』(J・カラー著、川本茂雄訳)、『インド―傷ついた文明』(V・S・ナイポール著、工藤昭雄訳)、『共通感覚論―知の組みかえのために』(中村雄二郎)、『あずさ弓―日本におけるシャーマン的行為』(C・ブラッカー著、秋山さと子訳)、『現代伝奇集』(大江健三郎)、『人類学者と少女』(A・シュルマン著、村上光彦訳)、『文化の詩学・Ⅰ』(山口昌男)、『野うさぎ』(R・バーコヴィチ著、邦高忠二訳)、『「もの」の詩学―ルイ十四世からヒトラーまで』(多木浩二)。
ふー、なんか嫌になってきたな。一人の人が作った本を、ここまでたくさん読むことがあるだろうか。しかも、まだまだあるのだ。
まず単行本。
『二十世紀の知的冒険 山口昌男』『知の狩人 続・二十世紀の知的冒険』(山口昌男編)、『ソシュールの思想』(丸山圭三郎)、『昔話と日本人の心』(河合隼雄)、『魔女ランダ考―演劇的知とはなにか』(中村雄二郎)、『夢の秘法―セノイの夢理論とユートピア』(W・ドムホフ著、富山太佳夫・奥出直人訳)、『М/Tと森のフシギの物語』(大江健三郎)、『安楽に死にたい』(松田道雄)、『幸運な医者』(松田道雄)。
「20世紀思想家文庫」の『チョムスキー』(田中克彦)は、僕は同時代ライブラリーに入ったものを読んだ。
「叢書・文化の現在」はたしか四冊、持っていた。しかし内容は全然覚えていない。ただ紙箱に入った並製の、柔らかな手触りの本だった。
そして『へるめす』がある。『へるめす』は号数によって、読んだり読まなかったりしたが、少なくとも「文学部唯野教授」が載った、第12号から第18号までは読んでいる。
今、大まかに見たところでも、これだけある。まるでお釈迦様の手のひらだ。
そういえば妻が、高校生の終わりぐらいに、学年みんなで『胎児の環境としての母体』を購入して読んだ。女子高だったので、いずれ母になるときのために、そういうものを読まされたのだ。妻は、良妻賢母の教育を馬鹿にしていたが、この本は本当に面白かったし、役に立ったと言っていた。これも、大塚さんがつくった本だ。
編集者はふだん何をしているのかわからない、とはよく聞く言葉だが、しかし大塚さんがもしいなければ、つまりここに挙げた本が一冊もなければ、僕は確実に違う人間になっていた。
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