じりじりと剝き出しで――『復活祭』

Nやんが、『アンタッチャブル』は著者初めてのコメディなんだと力説しても、そもそもしばらく馳星周を読んでいない。そこで脳出血になるちょっと前、2014年9月に出た『復活祭』を読んでみる。

これは斎藤美千隆と堤彰洋が、IT企業のメデイアビジョンを舞台に、他の会社をM&Aによって合併し、株の時価総額を、内実がないにもかかわらず巨額に見せかけて、成り上がっていく話だ。

美千隆と彰洋の物語は、もう何年も前に、『生誕祭』という土地バブルを背景にした物語があり、筋は全然覚えてないけれど、面白かったという印象がある。
そこに、エスペランサの雇われママの三浦麻美や、いまは故人となった昭和の地上げ王の一人娘、波潟早紀が絡む。

この話は、登場人物のすべてが、ある方向に押し流されていくというところに、特徴がある。たとえば早紀と彰洋の会話。

「M&Aが成功したら、あなたたちの会社にはどれだけの利益になるの?」
「正確なことはわからないが、時価総額が一千億を超える企業になる」
「それだけあればなんでもできるわね」
「もっと増やさなきゃ」
「昔と同じね」
 ・・・・・・
「一千億じゃ足りないんだ」

もちろん一千億でも二千億でも・・・・・・何千億でも、足りることはない。こんなことは「間違っている。だが、止まらない、止められない。それが金なのだ。金で購う夢の性質なのだ。」

馳星周は、犯罪すれすれの、または犯罪に手を染めるかたちで、金を増やして増やして増やして、そして最後はすべてが藻屑と消える物語を書く。金は、誰にもわかりやすい一つの象徴である。

じつは人間の世には、ここまで行ったらもうだめだ、わかっているなら引き返さなきゃ、でも引き返せない、ということがいっぱいある。

そう言うと、日本人なら必ず思いだす、戦争中の特攻隊があるだろう。あれは集団狂気にかかっている戦争中のことだった、いまはそんなことはない、と言えるだろうか。
じつは今でも、全然変わっていないんじゃないか。

たとえば、辞職させられた舛添東京都知事。公私混同は目に余ったが、法律を犯してはいない。反省しているようだし、第一もうこれからは報酬を取らないというのだから、ここから1年半は身を粉にして働いてもらおう、というふうには、絶対にできない。東京都民だけではなく日本人が、そういうふうにはできない。
いや、日本人だけじゃない。たとえば英国のEUに関する国民投票。そもそもこんなことを国民投票に掛けてはいけないとわかっていて、それでもやってしまう。

馳星周は、人間の置かれた条件を、最もわかりやすいかたちで、すべてを取り去って、剝き出しで見せる。

(『復活祭』馳星周、文藝春秋、2014年9月15日初刷)

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