男と女の「蒲団」な関係――『FUTON』(1)

斎藤美奈子の『文芸誤報』を読んで、中島京子の『FUTON』と『イトウの恋』が読みたくなった。
 
もともと『FUTON』でデヴューしたとき、田山花袋の『蒲団』を下敷きにして『FUTON』と名付けたのは、もうそれだけで勝負あった、参りましたという訳で、あんまり癪だから、わざと読まないでおいたら、中島京子は次々と新作を出すので、これはたまらんと、勤めのあるうちは敬遠せざるを得なかったのだ。
そういう意味では、半身不随となって、なんだかんだ厄介事はあるけれども、しかしごくまれにいいこともあるのだ。

さて『FUTON』だが、これはもう近代文学研究者、デイブ・マッコーリーの「蒲団の打ち直し」と称する作中小説が、まずノックアウト級に面白い。これは「蒲団」を、妻の立場から描いたものだ。

この大学教授デイブ・マッコーリーが、実際にも女子学生のエミと、いわば「蒲団」な関係になって、日本まで追いかけて来てしまう。そのデイブの周りを、エミの祖父さんのタツゾウや、曾祖父のウメキチ、画家のイズミなどがにぎやかに彩る。

この曾祖父のウメキチは、ほぼ百年を生きて小説の時代背景ともなり、イズミはそのことをはっきり言う。
「おじいちゃんの中にはとんでもないことがいっぱい詰まってるわ。無機質なペースメーカーの横で過去と未来を繫ぐ記憶がどっくんどっくんいってるの。そのことをあたし、絵に描くわ。」

タツゾウはまた、戦争中に女房子供を疎開させて、そのすきにツタ子というわけの分からん女の子と、「蒲団」な関係になったらしい。

こう見てくると、あっちでもこっちでも、昔も今も、いい年をした男と、女学生またはそれに準ずる女子が、いくつもの「蒲団」な関係を結んでいておかしい。

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