文学賞の話では、もう一つ傑作がある。
「昭和五十五年の暮れ、私がはじめて芥川賞の候補になった時、お袋が『あんたッ、うちはこれから田んぼ売って二千萬円の金を作る。それを風呂敷荷物にして背中に背負って東京へ行く。安岡章太郎先生以下、十人の銓衡委員にそれを配って廻る。銓衡委員の名前と住所を教えな。』『何を阿呆なこと言うんやッ。』『何言よんや、どななえらい先生かて銭貰〔もろ〕たら、違うでェ。』芥川賞・直木賞に執念を燃やして来たのは、お袋だった。」(8月16日)
いやー、可笑しい。吉本新喜劇を地で行っている。母親の言うとおり、芥川賞の銓衡委員に、金を配ってみれば面白かったのに。
と言うのは冗談だが、考えてみるとこの話には、おかしなところがある。
播州赤穂の、あえて言うが「田舎もん」の母親が、芥川賞・直木賞を、はっきり意識することがあっただろうか。
仮に正確に意識することがあったとして、ではそれを、金で買えると思うだろうか。
長吉の家系に代々流れる奇妙な血が、ここでも噴き上げているのではないか。
ともあれ長吉にとっては、「順子ちゃん」の存在だけが頼りだ。
「今朝は私の方が順子ちゃんより早く目が醒めた。順子ちゃんが大きな尻を出して眠っているので、下穿きをずり降ろして、尻の穴を覗いていると、『ああん。』と言うて、目を醒ました。」(8月20日)
愛を育むというよりは、愛の変態を促進する、という方が正確である。もう微笑ましい痴話げんかではない。
8月21日、東京会館で直木賞・芥川賞の授賞式がある。母親も上京してきている。
長吉の追い詰められた挨拶。
「私は今回の受賞を、何か栄誉を背負ったとは考えてはおりません。死の病いを背負うたと思うております。」
しかしこの挨拶は、大勢の祝い客の何人に通じたものか。
この日は、世間的には最高潮であるから、宴が果てることはない。
「二次会で銀座『ソフィア』へ。母、順子ちゃん、野家啓一・裕子夫妻。橋本寿朗氏。前田冨士男氏。金子啓明氏、新藤凉子さん。坂本忠雄氏。前田速夫氏。冨澤祥郎氏。岡本進氏。文藝春秋の編輯者諸氏。胃痛。」
最後の一句に注意。
そのあと、門前仲町の鮨屋を回って帰ってくる。
「午前一時半帰宅。嘔吐。」
言うべき言葉がない。
またこんなふうなことも。
「野家啓一氏から大壺。玄関から家の中にも入らない大壺。えらいものを送って来る人だ。驚かしてやろうといういたずら心か。」(8月25日)
考えてみると、野家啓一と車谷長吉では、水と油のようなものと思うが、2人の交友は長吉の死まで続いた。
『現代思想の冒険者たち』の編集委員・著者であり、日本哲学会会長の野家啓一と、長吉は、どこで共鳴したのだろうか。
そしてこんな日もある。『赤目』の映画化をめぐって、奇蹟のような読者葉書が来る。
「夜、文藝春秋出版局に寄せられた『赤目四十八瀧心中未遂』の愛読者カードを見ていたら、女優の寺島しのぶ(富司純子の娘)からのはがきがあり、『赤目四十八瀧心中未遂』がもし映画化されるならば、ヒロインの『アヤちゃん』の役を勤めたいと記してあった。驚く。」(9月6日)
そりゃあ驚くよなあ。その後の経緯は知らないが、寺島しのぶは「アヤちゃん」を見事に演じ切り、長吉を大感激させた。