1967年公開の『ウイークエンド』は、僕は見ていないが、ゴダールの長編映画の第15作目で、60年代ゴダールの劇場用商業映画の、最後の作品である。
山田宏一はこの映画について、面白いことを言っており、また出演したミレーユ・ダルクにインタヴューしているので(これが面白い)、取り上げておく。
「〔『ウイークエンド』は〕商業主義などものともせずに、響きと怒りにみちた、型破り、大暴れのゴダール映画の快作(痛快無比の傑作と言いたいくらい)だが、一年後、一九六八年の『五月革命』とともに、商業主義から突如遠く離れて、『革命的集団闘争映画』に突っ走るゴダールは、その後また一時的に劇場用商業映画に戻るけれども、二度とこんなに破茶滅茶におもしろい(などと言っては失礼かもしれないけれども)作品をつくることはないのである。」
若いときであれば、大いに興味を持つところだ。
山田宏一は、1973年に来日したミレーユ・ダルクに、インタヴューする機会があった。
ミレーユ・ダルクは、『恋するガリア』のような奔放で自由な女、という枠を破りたくて、ゴダール映画に出たのだという。
「彼の映画に出る俳優は相当マゾヒストでなければ耐えられないと思いますね。監督と俳優のあいだにはまったく何のコミュニケーションもコンタクトもない。シナリオもない。何もない。その役柄や演技にどんな意味があるのか、俳優はいったい何をやっているのか、まったく何もわからない。これからどんなシーンを撮るのか、どんな役なのか、どんなふうに演じればいいのか、監督からは何の説明もない。ただ、左を向け、右を向け、進め、とまれ、と命令するだけ。」
ミレーユ・ダルクにとって、ゴダール映画の現場は、ただもう不毛で不愉快なだけだった。
山田宏一は、それ以上何も聞き出せず、「ちょっとつらいインタビューになってしまった」という。
『ウイークエンド』は「豊饒なる六〇年代ゴダール」の終焉であり、このとき『ウイークエンド』を撮り終えたゴダールは、まだ36歳だったのだ。
付録についている「ゴダールvsトリュフォー喧嘩状」は、1973年に交わされた往復書簡で、トリュフォーの死後、1988年に出版された『トリュフォーの手紙』に入っている。
ここではゴダールの手紙に、トリュフォーが長い返事を書いている。別れの手紙なのだが、その中でトリュフォーが、こんなことを書いている。
「どんなことをしようがきみが天才であると表明しているのは、〔ニューヨークの新知性派とよばれた女性批評家〕スーザン・ソンタグや〔映画監督〕ベルナルド・ベルトルッチや〔中略〕〔映画批評家〕ミシェル・クルノーといった、いま流行の左翼サロン文化人だけだ。たとえ虚栄心とは無関係のふりを装っても、きみは彼らのためにドゴールやマルローやクルーゾーやラングロワのような偉大な人物の猿まねをし、みずからの神話をつくりあげ、陰険で近寄りがたく怒りっぽい気分屋(まさにヘレン・スコットが言うとおりだ)という一面を誇張しているだけなのだ。」
まことに手厳しい。
しかし問題は、トリュフォーが死んだ後、『トリュフォーの手紙』を編纂するときに、ゴダールが取っておいた手紙を出してきたところだ。ゴダールは、生涯の友の手紙を、たとえ絶交することになるにしても、大事にしていたのである。
(『ゴダール/映画誌』山田宏一、草思社、2024年4月25日初刷)