『軽蔑』はゴダールの長編映画の第6作で、1963年の公開だった。
先にも述べたように、この映画では、海辺で全裸で泳ぐブリジッド・バルドーしか覚えていない。
夫役のミシェル・ピッコリが、いかにも「軽蔑」されるのに、ふさわしいような男を演じていた。でも正確には憶えていない。
ここではこの映画について、『ブリジッド・バルドー自伝 イニシャルはBB』から、印象的な場面を引いておく。
「私たちはほとんど言葉を交わすこともできなかった。私はがちがちに緊張し、彼はすっかり気後れしていたようである。〔中略〕
私はずいぶんためらった。左翼かぶれの薄汚いインテリという種族にはイライラする。彼はヌーヴェル・ヴァーグの旗手だったし、私は古典的作品のスターだった。
とんでもない取り合わせだった。」
山田宏一はこの本を、「言いたい放題の、じつにおもしろくあからさまな回想録」と評している。
でもブリジッド・バルドーは、かなり頭のいい女性だ。
「〔バルドーは〕アルベルト・モラヴィアの原作小説は大好きで、『監督がゴダールとなるといつもの調子からずれた脚本と演出によって、原作がすっかり変形されてしまうだろうということもわかっていた』ものの、『自分自身のために賭けをするようなつもり』で出演を承諾した。――『こうして私は一生でもっとも奇妙な冒険に船出した。』」
自分のいる位置が、かなり正確に分かっている。
またこんなところもある。バルドーの自伝の続き。
「ミシェル・ピッコリが湯につかっているとき、浴室のドアにもたれて、罵りの言葉を連呼するシーンで、私は感情を込めず、平板に次々と暗唱しなければならなかった。
確かめたわけではないが、たぶんアンナ・カリーナが怒るときはそんなふうだったのだろう。」
おもわず爆笑ものである。
しかし実際には、危機の連続であったらしい。
「ある日、ゴダールは私に、キャメラに背を向けてまっすぐ歩いていくようにといった。リハーサルをやっても、うまくないという。何故かたずねてみた。『君の歩き方がアンナ・カリーナに似ていないからだよ』と彼はこたえた。
愉快な話だ。
私がアンナ・カリーナの真似をしなければならないというのだ。冗談もほどほどにしてもらいたい。」
最後の、水平線が画面一杯に広がるシーンが、美しいのどうのという記述があるが、よほどの偶然でもない限り、たいして見たくない映画だ。
しかし、そのアンナ・カリーナとゴダールは、1964年に分かれてしまい、ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』でデビューしたアンヌ・ヴィアゼムスキーが、次の妻となる。彼女は『中国女』と、五月革命以後の『東風』に主演したが、僕は全然覚えていない。
ゴダールはアンナ・カリーナと離婚したのちに、彼女を主演に『気狂いピエロ』を撮っている。これが「別れの詩〔うた〕」だ、と山田宏一は記している。
しかしなおゴダールは、1966年の『メイド・イン・USA』を、アンナ・カリ―ナ主演で撮っている。