こういう作品だったのか――『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー、村上春樹・訳)(2)

物語のあらすじは、カバー裏の惹句を引こう。

「私立探偵のフィリッブ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には悲しくも奥深い真相が隠されていた。」
 
それはテリー・レノックスが、第2次大戦で英国の義勇軍に入っていたころ、彼は結婚しており、妻のアイリーンとは燃えるように愛し合っていた。
 
しかし戦争がそれを引き裂く。

その後、アイリーンはアメリカにやって来て、ベストセラー作家と結婚した。

2人が住むことになる高級住宅街に、まったく偶然に、テリー・レノックスとシルヴィア夫妻も住んでいた。
 
しかもシルヴィアは、億万長者の淫乱娘にふさわしく、身近にいる男を次々に体で征服していく。
 
あれだけ愛し合ったテリー・レノックスも、ベストセラー作家の夫も、シルヴィアに屈服してしまった。
 
追い詰められたアイリーンは、シルヴィアと、自分の夫を撃ち殺す。
 
しかし、待てよ。ここまでネタバレをして、いいものだろうか。『ロング・グッドバイ』をこれから読もうとする人にとっては、あんまりなんじゃないか。
 
大丈夫です。ここまではよくできた、しかしよくあると言えばいえる話である。このあと、アッと驚く展開が待っている。読み終わった後も、僕はただ呆然としてしまう。
 
村上春樹の「訳者あとがき――準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」は、次の10章からなっている。

  文章家としてのチャンドラー

  チャンドラーの独自性

  チャンドラーとフイッツジェラルド

  二人の見事な語り手

  チャンドラーという人

  フィリッブ・マーロウとハリウッド

  翻訳について

  寄り道の達人、細部の名人

  翻訳において問題になったいくつかの部分

  ロス・アンジェルスの警察のシステムについて

これを見ると、とても「訳者あとがき」とは思えない。もうこれは、『ロング・グッドバイ』研究なのである。これを訳せるなんて、こんな幸運に恵まれるとは嬉しくて仕方がない、という村上さんの、高揚する気持ちが伝わってくる。
 
しかし、この後書きというか、書評というか、研究というものは、村上春樹にしては、あまりに力が入り過ぎていて、ちょっと空回りしている。文章も珍しく、批評家然としている。
 
たとえば次のところ。

「我々が少しでもフィリッブ・マーロウという人間の本質を理解できたかというと、おそらくそんなことはない。我々がそこで理解するのは、あくまでフィリッブ・マーロウという『視点』による世界の切り取られ方であり、そのメカニズムの的確な動き方でしかない。それらはきわめで具象的であり蝕知可能なものではあるが、我々をどこにも運んでいかない。彼が本当にどういう人間なのか、我々にはほとんど知りようがない。マーロウは実際には、たぶん我々から何光年も遠く離れたところにいるようにも見える。」
 
ここから村上春樹は、フィリッブ・マーロウという「仮説システム」について、独創的な論を述べるのだ。
 
読んでいると、なるほどと思うが、少し距離を置いてみると、そもそもフィリッブ・マーロウについて、チャンドラーが人物像をはっきりと書かないか、あるいは書けないことが、おおもとにあるのではないか、と思えてくる。
 
この「訳者あとがき」は本当に素晴らしいのだが、おかげで僕は『ロング・グッドバイ』の読み方のいくつかを学んだが、しかしここでは、問題だと思うところだけを挙げておく。
 
それはテリー・レノックスを取り上げたところである。僕にはここがよく分からない。