これが私の素なのか――『宇宙になぜ我々が存在するのか―最新素粒子論入門―』(村山斉)(2)

原子は、プラスの電気を持った原子核と、マイナスの電気を持った電子でできており、原子核はプラスの陽子と、電荷的に0の中性子からできている。そして原子核のまわりを電子が飛び回っていて、電荷的に両者は釣り合っている。
 
ここまでは中学生のとき知ったことだ。そしてここからが、私にとっては未知のことだ。
 
原子核の陽子と中性子は、それぞれ3つのクォークで構成されている。このクォークが、今のところ最小の素粒子である。この他にも宇宙にいる素粒子が、いくつも見つかっている。
 
と同時に、どんな物質にも、それに対応する「反物質」がある。プラスの電荷をもった陽電子や、マイナスを帯びた陽子がある。そして物質と反物質が出会えば、その2つはたちどころにエネルギーとなって、物質としては消滅してしまう。
 
宇宙が誕生した直後は、物質と反物質は だいたい同じくらいあった。それが出会って消滅して(これを「対消滅」という)、宇宙初期の物質と反物質は、ほとんどなくなってしまった。
 
それなら宇宙には、何も存在しないはずではないか。そういうふうに考えたくなるが、それは違う。

「よくよく調べてみると、物質は反物質よりも数が多かったのです。計算してみると、一〇億分の二ぐらい物質の方が反物質よりも多くあったので、反物質が全部なくなっても、物質が残ることができたと考えられています。」
 
おかげで宇宙には、星が瞬き、私たちも存在しているというわけだ。それにしても10億分の2、ふつうは誤差の範囲ということで処理するもんだけどね。
 
しかしそんなに都合よく、誰かが途中で反物質を物質の方に、移し替えたりするのだろうか。実はこれにも理屈があるが、ちょっとややこしいので後述する。
 
その他、「ヒッグズ粒子やインフレーション、そして暗黒物質なども、私たちが生まれてくるために必要であったことがわかっています。今から、その謎を解いていき、どうして、私たちがこの宇宙に生まれたのかを考えていきましょう。」
 
これが「はじめに」の結びである。
 
お分かりだろうか。私たちが生まれてくるためには、「ヒッグズ粒子やインフレーション、そして暗黒物質など」が必要とされている。つまり我々の存在があって、そうなるためには、上記のことが必要になる。

でもね、考えてみてください。こういうことが一切なくても、つまり物理学者の言う、理論に基づく「神話」(とあえて言う)が存在しなくとも、私たちは現に存在している。そうすると、素粒子学者は、人間が存在するためには、かならずしも必要とされていないのではないか。
 
というような茶々はあっちに置いといて、本文を読んでいこう(しかしこの視点は、大事な点ではないか)。

2003年に、NASAの観測衛星WMAP(ダブルマップ)によって、宇宙のエネルギーの内訳が測定できるようになった。
 
それによると、星と銀河は宇宙全体の0.5パーセントほど、後述するニュートリノは0.1~1.5パーセント、私たちが目にする、原子でできている物質は4.4パーセントほどで、全部を足しても5パーセントほどにしかならない。
 
では残りは何なのかといえば、暗黒物質が23パーセント、暗黒エネルギーが73パーセントを占めている。
 
これで一応、100%になったわけだが、暗黒物質と暗黒エネルギーでは、何が何だかわからない。20世紀も末になって、この世の大半が、分からない物質とエネルギーに占められていることは、ただただ驚愕すべきというほかない。

これが私の素なのか――『宇宙になぜ我々が存在するのか―最新素粒子論入門―』(村山斉)(1)

イアン・サンプルの『ヒッグズ粒子の発見―理論的予測と探求の全記録―』を読んだとき、面白いんだけども、あまりの分からなさに愕然とした。
 
素粒子の話は、中学生のときに講談社現代新書で読んだきりだが、面白かったなあ。『素粒子のはなし』とか言ったけども、うろ覚え、もうおおかた60年前のことだ。
 
今では陽子や中性子は、さらに細分化されていて、そのうえ超ひも理論などが出現して、素人が面白がるどころではない。
 
しかし『ヒッグズ粒子の発見』は、まったく分からないわりには、非常に面白かった。
 
ヒッグズ粒子は宇宙に敷き詰められていて、他の素粒子が、それに引っかかるものだから、その引っかかり具合が質量となる。つまり質量が誕生するについては、ヒッグズ粒子がカギを握っている。素粒子物理学者はそう考えるらしい。
 
しかしそもそも、素粒子に質量を与えたものは何か、という疑問の出し方が、おかしいのではないか。質量は最初から固有のものではないのか。
 
しかし素粒子学者はそうは考えない。「質量は最初から固有のもの」の「最初から」が、いつのことか、それが問題である。

そして考え方としては、素粒子の質量は、そもそもの「最初」はゼロであるとする。そうすると、宇宙ができていく過程で、素粒子に質量を与えたものがいる。それが謎の素粒子、ヒッグズ粒子である。だから物理学者はヒッグズ粒子を探せ!

これは部外者、素人から見れば、ほとんど現代の神話である。
 
そういうことも含めて、素粒子の話の全般を手軽に知りたいとなれば、これはもうブルーバックスしかない。
 
というわけでこれから、次の4冊を読んでいく。

 『宇宙になぜ我々が存在するのか最新素粒子論入門―』村山斉

 『なぜ宇宙は存在するのか―はじめての現代宇宙論―』野村泰紀

 『宇宙になぜ、生命があるのか―宇宙論で読み解く「生命」の起源と存在―』戸谷友則

 『宇宙と物質の起源―「見えない世界」を理解する―』
               高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所/編

読むのは刊行日の古い順から。科学の本は新しいものほどよいので、これはもう仕方がない。
 
なぜこれらを選んだかというと、ほぼ同じテーマで、少しずつズレているので,私の頭が錆びていても、何度も繰り返し読めば、少しは理解できるかと思ったのだ。
 
私は根本的な疑問を持っている。それは、素粒子でできている人間が、なぜ素粒子を客観的に研究できるのか、ということだ。
 
もちろん素粒子の私が、素粒子の本を読んでいるわけではない。素粒子が集まって原子や分子を作り、それが集まって細胞を作り、その細胞が臓器などの身体を作っている。それは分かっている。
 
しかしそれでも私の素は、村山斉の言うところでは、素粒子であることに間違いはない。
 
これはまあ、どこの段階で生命が誕生し、どこで人間が誕生するのか、という大問題になるのだが、しかし大もとをたどれば、つまり究極のものに分解すれば、それは素粒子であろう。
 
71歳の私は、順当に行けば、あと10年か15年、さらにうまくいけば20年で死ぬ。もちろん明日死ぬということもある。去年も2人の友だちが、70代で死んだ。だからこればかりは分からない。
 
でもそのとき、現在までに分かっている素粒子の話は、大雑把なところだけでも知っておきたい。
 
もちろんこの段階までのことが、とんでもなく見当外れ、ということもあり得る。いや、むしろそういう可能性が高い。
 
宇宙には、ということは我々のこの世界は、暗黒物質(ダークマター)と暗黒エネルギー(ダークエネルギー)が96パーセントを占めている。

考えられますか。宇宙の96パーセントは、ここに来て、まったく分からない謎なのだ。
 
その段階で、私は死んだら、「九相詩絵巻」の先、身体の細胞が分子になり、原子になり、さらには素粒子になるところまで、仮説でもいいから、知っておきたいのだ。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(7)

村上春樹はそのあと『グレート・ギャツビー』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『ロング・グッドバイ』の古典ともいうべき3作を、訳し直したことを語っているが、これは、ま、そういうものだなあと思う。この3作はいずれにしても、村上訳を読んでおかねばならない。
 
それよりも柴田元幸が苦笑交じりに、村上春樹の文章に朱を入れるのは怪しからん、という読者からの抗議があるが、と言うと、村上春樹がそれに反論して、答えているのが面白い。

「村上 朱を入れられることで、文章は更に良くなっていると思うんですけどね。文章というのは基本的に、直せば直すほどよくなってくるものなんです。悪くなることはほとんどありません。」
 
文章に対しては、基本的な考えは変わらない。この辺りは井伏鱒二や川端康成のころから、作家はまったく変わらない。井伏鱒二は『山椒魚』を、川端康成は『雪国』を、晩年に至るまで直し続けた。

村上は、翻訳についても同じことだという。

「村上 昔やったものを改訳したいなとよく思います。間違いをより少なくして、文章をより読みやすくしたいと思います。カーヴァーやフィッツジェラルドの翻訳には、版を変えるときにちょくちょく手を入れさせてもらいましたが、これからも機会があれば改訳したいですね。」
 
だから古本は、現役の著述家の場合、危険なのだ。カーヴァーなんて、何度版を改めていることか。
 
そしてここで村上春樹は、珍しく自分の老化を嘆いている。

「村上 歳をとってくると、つまらないものを読んでいる時間が惜しいんです。それで、むしろ古典を新しい感覚で訳すというほうに、興味の重心が移っていくような気がします。〔中略〕おおむねのところ、新しいものはもう若い人にまかせておけばいいかなという気持ちになります。もうそんなにいっぱい入力はできない。時間も足りないし、視力が衰えて、あまりたくさん本も読めなくなる。」
 
村上春樹は僕よりも4つ年上だから、そろそろいろんなことで、本当に厳しくなるんじゃないかと思う。
 
ということで「翻訳について語るときに僕たちの語ること」〈前編〉が終わり、〈後編〉に入る。
 
まず、作家が翻訳仕事をすることの意味を、踏み込んで明確に述べる。

「村上 僕の色が翻訳に入りすぎていると主張する人もいますが、僕自身はそうは思わない。僕はどちらかといえば、他人の文体に自分の身体を突っ込んでみる、という体験のほうに興味があるんです。〔中略〕その世界の内側をじっくり眺めているととても楽しいし、役に立ちます。だからカポーティの小説を訳せば、カポーティの文体のなかから、カポーティの目で世界を見るし、カーヴァーだったら、カーヴァーの文体のなかから、カーヴァーの目で世界を見る。」
 
これには異論が出そうだ。村上春樹の翻訳は、村上春樹の文体が、かなり露骨に出ていそうだ。これは水かけ論に終わると思うが(やれやれ)。
 
しかし村上春樹が、異論を弾き飛ばして、翻訳をやる意義を説くことは、見ようによっては感動的である。
 
村上さんは、小説家にとって翻訳は知の宝庫なのに、なぜ他の作家はやらないんだろう、と疑問を持つ。これはまあ、端的にいって語学力の問題である。
 
最後に村上春樹が、衝撃的な告白をしている。

「村上 かなり昔のことですが、雑誌に書評を頼まれたとき、存在しない本の書評を書いたことがあります。まず本を読まなくちゃいけないじゃないですか。書評って、時間がなくてあまり本が読めないときとか、てきとうな本が見つからないときとか、しょうがないから自分で勝手に本をつくってしまって、その書評を書いたりしました。出鱈目なあらすじを書いて。」
 
柴田元幸は、ただ一言、「衝撃的」。いやあ、村上春樹、やるもんだね。
 
ほかにも面白いところは、いっぱいあるけれども、くたびれてきたので、もうやめる。
 
この後は、『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』に従って、『グレート・ギャツビー』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『ロング・グッドバイ』、それに『ティファニーで朝食を』を読み、村上春樹いうところの、アメリカ文学最良の成果を味わってみたい。
 
そして村上さんが、個人的にどうしようもなく好きなもの、惹かれるものも、読んでみたい。それは例えば、『偉大なるデスリフ』や『ニュークリア・エイジ』や『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』といった作品だ。

(『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』村上春樹、
 中央公論新社、2017年3月25日初刷)

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(6)

「翻訳が原文と少しくらい違っていてもかまわないんじゃないか」という考えは、小説の文章については、さらに先まで行く。

「村上 小説に関しては、とにかく何か文句をつけられたら、その文句をつけられた部分はなんらかのかたちで書き直してやろうと、最初から決めています。どんな文章にも必ず改良の余地はあるというのが、僕の基本的な考え方ですから。」
 
これは恐ろしい話だ。
 
僕は現役の編集者のころ、鉛筆で疑問を描きこむときに、「考え直してください」という強い疑問と、「一応念のために、ここはこういう考え方もあります」という弱い疑問の、2種類を用意していた。
 
著者もプライドがあるから、疑問を出したところを、全部考え直すというのでは、面白くないだろうと思ったのだ。
 
もちろんそれは著者によって違う。たとえば養老孟司先生であれば、ほとんど完璧に近い原稿が入るので、疑問出しは強いのだけで構わない。

しかしそういう著者は少ない。たいていは弱い疑問も必要だった。
 
村上春樹と仕事をするときには事前に、よほど綿密な打ち合わせが必要だと思う。
 
さらにここでは訳文を決める、柴田元幸とのセッションについて話している。

「村上 柴田さんとやっていていつも思うんだけど、どのへんまで指摘するかという選択も難しいですよね。やりだすときりないだろうし。
柴田 そうですね。それ以上に、訳文の声が定まっていないと、どう直したらいいのかわからない。どういう間違いかはわかっても、それをどういう日本語に直したらいいかという方向性が決まらない。トーンがないから、そういう場合はやっていてつらいですね。」
 
だから同じ人といくつも翻訳するのは、村上春樹とだけである。
 
柴田はここで、大事なのはトーンが確立されていることだと言う。

たしかに自分の編集仕事を考えても、下手な翻訳で頭に入って来ないのは、トーンに問題があったのか、と分かる。まあたしかにその時それが分かっても、簡単に訳者を変えるわけにもいかず、たいていの場合、どうしようもなかったのだが。
 
ここではもう一つ、柴田元幸が、村上春樹の大事な特性について語っている。

「柴田 セッション〔=共同の翻訳作業〕が速く進むのは、やっぱり村上さんが、直されていちいち傷つかないから、自己愛回復のための余計な時間が要らないおかげですね。」
 
そうか、村上春樹は直されても傷つかないのか。

しかしそうすると、僕の先の例でいうと、強い疑問に限って提出しなければならず、これはこれで真剣勝負だ。ああ、そういうの、村上春樹と、あるいはそのランクの著者と、やってみたいものだ。
 
実際の2人の現場については、村上春樹が語っている。

「村上 僕と柴田さんの作業はだいたい朝の十時とか十一時から始めて、夕方までずーっとぶっ続けでやってます。十時間くらいやっていたこともありました。〔中略〕やっぱりじっくり時間をかけて、実際に顔をつき合わせてやらないと、お互いの細かなニュアンスが伝わらないです。僕が『でも、ここはこうじゃないんですか』と言うと、『いや、これはこうですから』と柴田さんが説明して、そういうやりとりがあって、そこで『なるほど』と話が決まっていく場合が多いですからね。」
 
これが村上春樹と柴田元幸の、翻訳原稿を作っていく過程なのだ。
 
次はカーヴァーについて。

「村上 カーヴァーは、僕にとってはある部分、小説の師みたいなものです。彼の六十三作か六十四作の短篇を僕はぜんぶ訳しちゃったわけだけど、ああいうシンプルでぶった切ったような文章で、しかもあれだけの確固として豊かな文学世界を築き上げていけるというのは、ほとんど信じがたいことです。」
 
カーヴァーの世界は、確かに確固たるものだけれど、村上春樹の言うように「豊かな文学世界を築き上げていける」というのは、僕はちょっと首をかしげる。
 
前にも書いたが、村上春樹はカーヴァーの、「足もとに流れる深い川」を最初に読んで、これは本当にすごいと思った。

「まるで野原の真ん中で雷に打たれたような感じでしたね。〔中略〕文章は短く、どちらかといえばぶっきらぼうなんだけど、それでいて読むものの心のひだにぐいぐい食い込んでくる。文章はリアリスティックなんだけど、それと同時に物語の運びにはシュールレアルな印象もある。」
 
カーヴァーの文章は、その通りだと思うけど、だからと言って、「まるで野原の真ん中で雷に打たれたような感じ」とは思わないのだ。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(5)

ノルウェーのオスロの空港の本屋でその本を買って、飛行機に乗って読み始めたら、あまりの面白さに止まらなくなった。そう村上春樹は言う。

Novel 11,book 18 (『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』)は、ノルウェーを代表する作家、ダーグ・ソールスターの11冊目の小説で、18冊目の著書という意味である。

「ソールスターという作家の面白さは、スタイルが古いとか新しいとか、前衛か後衛か、そういう価値基準を越えて(というかそんなものをあっさり取っ払って)作品が成立しているところだと思う。とても痛快で、そしてとてもミステリアスだ。こんな小説を書ける人は世界中探しても、あまりいない。」
 
村上春樹にとっては「超発見もの」の小説で、「こういう作品にめぐり合うと、生きていてよかったとまでは言わないにしても、本当にうれしくなってしまう。」
 
こうまで言われて、読まずに素通りできる人はいないだろう。本のタイトルも、人を食っている。
 
以上で「翻訳作品クロニクル 一九八一―二〇一七」を終え、柴田元幸との対談、「翻訳について語るときに僕たちの語ること」〈前編〉に移る。

「村上 高校時代は、英文和訳のいろんな参考書を買ってきて、そればっかりやっていましたね。受験英語みたいなことはそっちのけで。だから学校の英語の成績はあまりよくなかった。とにかく英文和訳が好きで、そればっかりやってたから。」
 
万人が認める小説家の才能を掘り進んでいくと、村上春樹はその底に、翻訳家の古層が現われてくる。

「村上 高校生のときにやったので覚えているのは、モームの『密林の足跡』だったかな。南雲堂なんかが出しているテキストを買ってきて、一生懸命訳しました。だれに頼まれたわけでもなくね。楽しかったな。」
 
高校時代なんて、およそ面白くない時代に、英語の勉強とは別に、かってに翻訳をやって楽しむ。『風の歌を聴け』で群像新人文学賞をとっていなくとも、村上春樹は翻訳家として名を成していたに違いない。
 
この対談は、初めて翻訳をやるところから始まって、丁寧に順を追って回想しているが、ここでも重要なことを、絞り込んで書いておく。
 
初めに誤訳のチェックについて。

「村上 とにかく翻訳というのはもともとが『誤訳の温床』みたいなものだから、クロスチェックというのはものすごく大事ですよね。誰だって間違いをおかすし、誰にも盲点みたいなものがあります。
柴田 じつはすべての翻訳でそれをやるべきなんですよね。翻訳者Aがやったものを翻訳者Bがチェックして、ここはこうじゃないですか、と指摘するということを。」
 
しかしこれでは、たぶん商売にはならない。
 
村上春樹は、でき上った原稿を柴田元幸に見せて、そこでチェックして合議する、という方式を作りあげた。
 
そもそも小説と翻訳仕事は、1人のなかでどういうふうになっているのか。

「村上 翻訳は、小説を書くときとは、脳みその違う部位を使っているんですよね。小説を書くときはこっちのほうを主に使って、翻訳やるときはこっちのほうを主に使う、と言う感じ。だから、かわりばんこにやっていると、頭脳のバランスがよくなって、すごくいいですね。」
 
そういうことらしい。
 
昔、高校時代に教室で、南部先生という漢文の教師が、勉強のコツを教えてくれたことがある。「数学を2時間やったら、頭が疲れるので、その場合、全然関係のない漢文を2時間やりなさい。それでまた2時間やって疲れたら、物理をやりなさい。そしてまた……、そういうふうにすれば、1日中勉強しても疲れないわけだね。」
 
僕たちはみんな空想物語として聞いていたが、村上春樹はそれを実践したのだ。
 
作家が翻訳者だということで、テキストに対しては、微妙な位置取りをする、という問題がある。

「村上 僕は自分が小説家だからわかるんだけど、小説家は決して完璧じゃないんですよね、どう考えたって。だから、そこにある文章は、完璧な不動のテキストというわけではない、というのが僕の考え方です。だとしたら必要に応じて、ぜんたいのバランスを崩さない程度に、翻訳が原文と少しくらい違っていてもかまわないんじゃないかという考えは、心の隅の方にあります。」
 
けっこうきわどいことを言ってますね。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(4)

村上春樹はスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を、高校時代から何度も読んでいた。それでどのように訳すか、というイメージは大体できていた。
 
恐ろしい高校生がいるものだ。
 
しかし翻訳の技術と英語の知識が不足しており、50代半ば過ぎまで手を出すことはなかった。

「いったん取りかかってみると、フィッツジェラルドの書く精緻な文章は、本当に難物だった。文章が渦を巻くというか、あちこちでくるくると美しく複雑な図形を描き、最後に華麗な尾を引く。その尾の引き方を訳すのはすごく難しいんです。でもそのくねり感覚とリズム感覚さえいったんつかんでしまうと、コツみたいなのが見えてくる。」
 
それは全ての苦労が、そのまま楽しい作業になった。
 
それにしても「華麗な尾の引き方」と「くねり感覚とリズム感覚」、翻訳の究極の秘密であろうか。もちろん僕には、まったく分からない。
 
大学時代、角川文庫の『華麗なるギャツビー』を読んだことがある。でも全然覚えていない。あるいは読み始めたけれど、途中で投げ出したのか。よほどのことがない限り、そんなことはしないはずだが。

『グレート・ギャツビー』は、村上春樹の芯を作ったというのだから、とにかく読もう。

レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』は、『長いお別れ』という題で、清水俊二の訳で読んだ。これは評判とは逆で、あまり面白くなかった。
 
チャンドラーの他のものも大体読んだが、面白いというところまでは行かず、何というかヌケが悪かった。僕はかってに翻訳のせいにしていた。
 
村上春樹にとって、チャンドラーはこんな位置を占める。

「僕は作家として、チャンドラーの文章からたくさんのことを学んできたから、彼の文章を訳していると、なつかしい場所に帰ってきたみたいで、それがすごく嬉しかった。」
 
村上春樹の文体の原点は、チャンドラーなのだ。

「僕が、チャンドラーの文体をモデルみたいにして、その語法をいわゆる純文学的な世界に持ち込むということをしたのは、『羊をめぐる冒険』が最初だった。あの小説は、主人公が何かを探しにいくという、ハードボイルド・ミステリーの基本的なストラクチャーを採用している。」
 
そこから『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の幻想的な世界へ進み、『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』と、言うなれば自分自身の世界に踏み込んでいった。

「そういう意味では、チャンドラーの文体は僕の原点でもある。そういう小説を自分の手で翻訳できるというのは、実に小説家(翻訳家)冥利につきるというか。あまりに楽しいので訳者あとがきを百枚も書いたら、本が分厚くなって定価が高くなると文句を言われてしまった。」
 
その「あとがき」を読むためにも、村上訳の『ロング・グッドバイ』を読まなければ。
 
トルーマン・カポーティは、『冷血』が大して面白くなかったので、それ以来読んだことはない。

『ティファニーで朝食を』は、村上さんが「個人的にとても好きな作品」だという。

「実際に取りかかってみると、この小説を翻訳するのは本当に楽しかった。とてもすんなりとその小説世界に入っていくことができた。至福、と言っていいかもしれない。」

『ティファニーで朝食を』は映画化されて大ヒットし、挿入曲の「ムーンリバー」も、誰もが口ずさんだ歌だ。僕は中学生のとき、アンディ・ウィリアムスのレコードで歌を覚えた。
 
しかし映画と小説はずいぶん内容が違う、と村上春樹は言う。

「できれば、映画のイメージからは離れたところでこの小説を味わっていただきたいのだが、今となってはそれは難しいことかもしれない。」
 
そういうことなのか。
 
映画の『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーンの可愛らしさに頼るばかりで、はっきり言って面白くない。主題曲だけの映画だ。それとは大きく違っているなら、読んでみる価値はある。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(3)

村上春樹は、カーヴァーの作品を全部訳しているのだから、機会に応じて何度も取り上げることになる。

『頼むから静かにしてくれ』(短篇集)に付されたコメント。

「カーヴァーの小説が面白いのは、どう進んでいくかわからないところ。何かとてつもないことが起きて、とんでもないものが現われ出てきたりする。その動きの中でひとつひとつの言葉が生命を持っていく。あのストーリーや言葉の動かし方は、〔中略〕本当に自然で、自発的で、わくわくさせられる。何か他のものに似ているということがない。」
 
ただただ絶賛である。
 
でも、と僕は思う。僕がカーヴァーを読んだとき、目の前に現れるカーヴァーと、村上春樹のカーヴァーには、距離がある。カーヴァーに惚れ込むということは、そういうことなのだろう。あるいは単に、僕の読みが浅いのかもしれない。
 
しかしそれにしても、「何かとてつもないことが起きて、とんでもないものが現われ出てきたりする」というのとは、違うような気がする。そういうものが現われてくるときの、現われ方についてはそうだとしても。
 
カーヴァーの『ファイアズ(炎)』(短篇、詩、エッセイ)のところでは、一人称の問題を論じる。「『俺』『僕』『私』の選び方は、とても難しい」ということだ。
 
ここではまた、カーヴァーの自宅を訪ねたときのことを書いている。

「カーヴァーの家に行って、カーヴァーの机の前に座って、いっしょにお茶を飲んだという記憶が残っている。そういうのはカーヴァー作品を訳すうえで大事なことだったかもしれない。」

「かもしれない」どころではない。それは作者と、書かれる対象との距離を測るうえで、訳者が経験しておくべき決定的なことではないか、僕はそう思う(もちろん、それがかなわないことも多いけれど)。
 
トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』(短編集)は、少年少女の無垢な世界を描いた、「イノセント・ストーリーズ」を一冊にまとめたもの。
 
ここで村上春樹は、自分の小説の文体と、翻訳の文体について、大事なことを語っている。

「高校生のときに初めてこの作品〔=「無頭の鷹」〕を読んで、こんなすばらしい文章が世の中にあるのかと思った。でも小説家である僕が、こういう文章を使って小説を書くかというと、それはない。読んで好きな文章と、自分で書く文章というのはまた違うものだ。フィッツジェラルドについても同じことは言える。」
 
作家がどこまで自分のオリジナリティーを大事にするか、という問題なのだろう。村上春樹は、そこをしっかり自覚しているから、カポーティやフィッツジェラルドを訳しても、その文体に左右されないと言っているのだ。

『バースデイ・ストーリーズ』は、誕生日をテーマにした短篇小説を、いろんなところから集めてきて、最後に自分の短篇小説を、書き下ろしで入れたもの、つまりオリジナル・セレクションのアンソロジーというわけである。
 
これについては微笑ましい話がある。

「ちなみに『バースデイ・ガール』〔=村上さんの書き下ろしの一篇〕は日本の教科書にも入っている。以前、高校生の姪が『おじさんの書いた小説、学校で読まされたよ』と言っていた。」
 
微笑ましい話、というのは僕の感想です。

次の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルで、高校生のときに読んだ。
 
面白かったけれど、僕は超のつくほど真面目な高校生だったから、「ホールデン・コールフィールド」の方に身を寄せてはいけない、それは大学に入ってからでいいと、およそ小説読みの風上にも置けない、凡庸な読み方をしていた。
 
今度、新訳にあたって、村上春樹が次のような読み方をしていたので、仰天した。

「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、ジョン・レノンを殺害した犯人が主人公のホールデン・コールフィールドにのめり込んでいたといわれるように、その刷り込まれ方が無意識の領域まで達してしまうような、危険性を含んだ物語でもある。」
 
一晩か二晩の話だということは、記憶にあったが、そういう恐ろしい話だとは、全然気づかなかった。

「小説としての強い説得力、その魔術的なまでの巧妙な語り口は、人の心を暗がりに誘い込むような陥穽とまさに表裏をなしている。」
 
こりゃあ絶対読み返さなきゃ。
 
ところで村上春樹は、何のために新訳をしたのか。

「野崎さんの訳はあらためて読み直してみて、とても正確な優れた訳だった。ただ翻訳の文体というのは、年月がたつとどうしても古びていくものだ。これくらいの名作には、いくつかの翻訳の選択肢があった方が良いと思う。」
 
そういうことである。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(2)

最初に「翻訳作品クロニクル 一九八一―二〇一七」から、目についたものを挙げる。
 
初めてフイッツジェラルド作品を訳したものが、中央公論の雑誌『海』に出た後、安原顕に催促されて、レイモンド・カーヴァーはどうかと言った。

「きっかけは、あるアンソロジーで『足もとに流れる深い川』というカーヴァーの短篇に出会って感銘を受けたことだった。」
 
そうか、これが最初だったのか。

これは『愛について語るときに我々の語ること』に入っている。初出とその後が、あまりに変わっているので、村上春樹も「解題」で、かなりとまどった書き方をしていた。

これは最後の場面で、妻が夫を拒絶して体も触らせない、という初出がよいと思うが、日本語のカーヴァー全集では、妻が夫に身を任せるという、最終形式をとっている。

「カーヴァーの書く文章自体は、英語として決して難しいものではない。でもそれを日本語に訳していくのはなかなか骨が折れる。流れの勢いみたいなものが必要になってくる。だからかえって、僕には向いていたかもしれない。」
 
このあたりは、やはり僕には分からない。カーヴァーと村上春樹の、言葉を介さない、いや言葉だけを介する、通底音があるのだろう。

『熊を放つ』は、村上春樹が最初に読んだアーヴィングの小説で、じつはアーヴィングの処女作である。その後は『ガープの世界』や『ホテル・ニューハンプシャー』など、出す本はみなベストセラーになった。ベストセラーになったものは、村上さんはやりたくない。
 
ここのコメントは、最後のところが面白い。

「その後、ニューヨークに行ったときに、インタビューをしたいとアーヴィングに申し入れたら、セントラルパークでジョギングをするから、そのときにしようと言われた。いっしょに走っているときに、‟Horse shit! Horse shit!(馬糞に気をつけて!)″と彼が叫んでいたことしか覚えてなくて、インタビューでどんなことを話したか今となってはほとんど記憶にない。親切な人でした。」

『ガープの世界』の作家が、走りながら「馬糞に気をつけて!」と言う。
 
村上春樹は、そのことしか覚えていないと言うが、さもありなん。しかし走りながらインタビューするのは、無理ではないかな。
 
次は『偉大なるデスリフ』。これはC.D.B.ブライアンがフィッツジェラルドと『グレート・ギャツビー』に捧げたオマージュで、その意味で、ぜひとも訳してみたかった。

「一般的評価とはべつに、個人的にどうしても好きな小説ってある。だれがなんと言おうと好きなものは好きだというものを訳すのは、やはりすごく楽しい。それこそ翻訳の醍醐味と言っていいかもしれない。」
 
こうまで言われては、読まないわけにはいかない。
 
村上春樹のコメントは、どれもみな紹介したい。出版社からの依頼ではなく、村上さん自身が惚れ込んで翻訳しているのだから、当たり前だ。

でもそうすると、全部を紹介することになり大変である。ここからは、本当に最小限のところをピックアップして紹介しよう。
 
ティム・オブライエンは、村上春樹が発見した作家だ。だから『ニュークリア・エイジ』は、少しでも多くの人に読んでほしい、という願いで、情熱を込めて翻訳した。
 
しかし内容的に言えば、そうとう荒っぽい小説で、「瀬戸物屋の中で牛が暴れているみたい」だ、と村上春樹は言う。

「ティム・オブライエンというのは、何よりもまず自分の心を直視しようとする作家です。〔中略〕物語を武器として、まっすぐものごとの核心に切り込んでいく。そのまっすぐさがすごく好きだった。彼の姿勢がまっすぐであればあるほど、物語が不思議なよれ方をしていくんです。そこが小説として面白い。」
 
ティム・オブライエンはベトナム戦争に従軍しているが、従来の戦争小説とは、まったく違うアプローチをしているのだという。

「瀬戸物屋の中で牛が暴れているみたい」、「従来の戦争小説とはまったく違うアプローチ」、こうまで言われては読まざるを得ない。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(1)

村上春樹の翻訳した、レイモンド・カーヴァーの本を2冊読んで、堪能するほど面白かったのだが、考えてみると、村上さんの小説の世界とはかなり隔たりがある。
 
カーヴァーの基本的人物像は、飲んだくれで、いずれ妻子も去っていく中年男だ。村上春樹との接点は、どう考えてもない。
 
そんなことを考えていると、『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』が出ていることに気がついた。ここで、カーヴァーを訳した理由を語っているに違いない。
 
ちなみにこの本は、2017年3月の刊行だから、それ以後の翻訳の仕事は入っていない。
 
そこで読んでみたが、いやあ参ったね。翻訳の仕事の面白さと、同時に自分の訳した本がどのくらい面白いかを、これでもか、これでもかと語っている。僕はすっかり当てられて、翻訳した70点余を全部欲しくなった。
 
目次は次の通り。

  翻訳作品クロニクル 一九八一―二〇一七

    対談 村上春樹×柴田元幸
  翻訳について語るときに僕たちの語ること〈前編〉

  サヴォイでストンプ   オーティス・ファーガソン 村上春樹訳

  翻訳について語るときに僕たちの語ること〈後編〉

     寄稿 都甲幸治
  村上春樹の翻訳―教養主義の終りとハルキムラカミ・ワンダーランド― 

最初の「翻訳作品クロニクル」は本文とは別紙で、ページごと、または見開きページで主題をまとめ、訳した書影をすべてカラーで見せ、そこに的確なコメント、その著者の本はなぜ面白いのか、を述べていくものだ。これが唸るくらい面白い。
 
柴田元幸との対談は、長く共同で翻訳仕事をしてきたので、翻訳だけでなく小説についても、腹蔵なく語っている。
 
その前に「まえがき」がついていて、そこでもう作家の秘密を率直に話している。

「ネタ――翻訳したいテキスト――はそれこそ山のようにあるし、自分のつたない世界観や考え方をいちいちパッケージして商品化するような必要もないし(とても面倒だ)、それにだいいち文章の勉強になる。人に会う必要もなく、一人で自分のペースで仕事を片付けていくことができる。」
 
そして、なぜ翻訳が好きなのか、という質問への回答は、

「うまく説明はできないけど、とにかく翻訳という作業が好きで、小説を書いている時期であっても、時間が余ればつい翻訳に手が伸びてしまう。好きな音楽を聴きながら、好きなテキストを翻訳をしていると、とても幸福な気持ちになれる。」
 
理想の翻訳家というのは、こういう人のことだ。というか、翻訳家でこういう人は、僕は初めてだ。たとえどんなに好きであっても、仕事となると、それだけではすまないものだ。
 
しかし小説家・村上春樹には、また別の動機もある。

「もうひとつ重要なことは、これまでの人生において、僕には小説の師もいなければ、文学仲間みたいなものもいなかったということだ。だから自分一人で、独力で小説の書き方を身につけてこなくてはならなかった。〔中略〕そして結果的に(あくまで結果的にだが)、優れたテキストを翻訳をすることが僕にとっての『文章修行』というか、『文学行脚』の意味あいを帯びることになった。翻訳の作業を通して、僕は文章の書き方を学び、小説の書き方を学んでいった。」
 
およそ作品上は村上春樹と縁のない、レイモンド・カーヴァーをなぜ訳したかは、ここに十全に語られている。いきなり核心を抉り出すカーヴァーの筆法は、村上さんにとっては驚異だったのだろう。

「翻訳を通して巡り会った様々な作家たちこそが僕の小説の師であり、文学仲間であった。」
 
こういうことを言える作家は稀れだと思う。

掛け値なしに面白い――『けんかえれじい』(上)鈴木隆(2)

その後、「麒六」は、学校教練の軍人と真っ向からぶつかり、岡山の中学を退学になる。そして父親の弟のいる会津に転校する。もちろん喧嘩道を究めるべく、他の学校と果たし合いは続く。
 
映画はおおよそ、ここまでを描く。上巻の半ばまでだ。
 
印象的な松尾嘉代の一句、「髪梳けば髪吹きゆけり木の芽風」も、最後に近い場面に出てくる。
 
よく考えてみると、この本を読みながら、映画のシーンをいちいち思い浮かべていた。だから本と映画のどちらが面白いかは、僕の場合、言えない。
 
ただ本の方には、軍人と天皇制を嫌う精神が横溢している。映画の方にもあったけれど、それほどとは思わなかった。

「麒六は武の道を尊んではいたが、高邁なる軍人精神なるものは充分理解することが出来なかった。嫌いであった。
 自分は天皇陛下のために、喧嘩修業などをしているのではないと思った。じぶんのため、あくまでもひ弱い自分の心身を鍛えあげること。ただそれだけの規模である。」
 
もちろん「麒六」には、カトリックの教えがある。しかしそういうことよりも、学校教練が大嫌いなのだ。

「蛔虫駆除薬の服用がさかんな学校であったが、その薬を大尉殿が服用すると、蛔虫よりも『軍人精神虫』が出るのではないかとさえ思われた。」
 
こうなると下巻の「軍隊編」も、読むことになりそうである。

「麒六」はこのあと、カトリックの縁で上智大学に入る。けれども上智は、やる気のない講師の群れがいて、「麒六」は方向を変え、早稲田大学に進む。

そこで「クラブ活動とでも称すべき童話会」と出会う。これが「麒六」にとって運命の出会いとなる。「麒六」は童話を書き、そして「童話会」の顧問をしている坪田譲治と出会う。

「『間違いはない。この先生こそは自分の師表である』
 と、彼はその時、はっきり心の中で叫んだ。
 そんな決心をさす何か不思議な力を先生は持っていた。」
 
こうして進むべき道を見出した「麒六」だが、そのときの早稲田の「童話会」は、ものを書く団体ということで、左翼がかってはいないかと、目をつけられていた。

「麒六」は案の定、その網に引っかかってしまう。こうして留置場で、何日も留め置かれるのだが、これが微に入り細を穿って実に面白い。これは著者の鈴木隆が、実際に経験したことに違いない。

上巻はこの留置場を出たところで終わっている。
 
巻末に「父のこと」と題して、鈴木隆のことを、息子の鈴木涼太が書いている。これを読むと『けんかえれじい』は、ほとんど事実に基づいて書かれていることが分かる。
 
たぶんに文体で誇張してあるから、私小説というわけにはいかないが、しかしそれに近い。
 
上巻の半ば、映画になったところまでは、痛快痛快ですむが、そこから先、映画はどうなったのだろうか。
 
鈴木清順が日活を馘になってなければ、続編のシナリオも出来ていたらしいので、残念至極である。
 
しかしともかく下巻も読まざるを得まい。

(『けんかえれじい』(上)鈴木隆、岩波現代文庫、2005年10月14日初刷)