話は前後するが、北村太郎の家は浅草の蕎麦屋で、興行街の六区からも客が来るほど、繁盛していた。家の裏の国際劇場では、松竹少女歌劇団が総稽古のときなど、もりそばが70も80も注文された。
浅草花月劇場では、オペレッタのテナーだった川田義雄(晴久)や、バリトンの町田金嶺にかわいがられ、よく無料で花月劇場へ入れてもらった。ダンサーたちに囲まれて、坊や、とからかわれ、真っ赤になったこともある。
思春期からそういうダンサーに囲まれて、その影響は必然的に残った。
「レヴュー小屋のような環境にかこまれてわたくしは思春期の大部分を過ごしたのだから、たとえば自分の〈女観〉について影響を受けないわけにはいかなかった。」
ではその〈女観〉とはどういうものか。
「楽屋の印象はいつまでも心に残り、レヴュー一座の座付き作者で一生を過ごせたらいいなと、このあと、何度もまじめに考えたものだった。ようするに生まれつき享楽的、感覚的なものに惹かれる性分のようなのだ。〔中略〕男ならだれでもわたくしと変わらないかも知れないが、少なくともその程度が他人よりかなりひどいのではないかと、この年齢〔とし〕まで思いつづけてきたのはたしかである。」
これをどう判断するか、難しいところだ。北村は50代になってから、妻と子供たちを捨てて、田村隆一の夫人と駆け落ちするのだから、女と男のことになると、見境なく燃え上がる。そういうことの伏線として、子供の頃のことを書いているような気もする。
しかしまた、最晩年に至り、自分はこの通りだと、自己の内面を見つめて、淡々と書いているような気もする。
戦争があり、1週間で辞めた就職の話があり、19歳で最初の結婚をした話があるが、僕は『荒地の恋』とのつながりを、探求するのが目的なので、そういう面白いところも、全部とばす。
ただ同人誌『荒地』のことは、表題になっているのだから、書いておかなくてはならない。
『荒地』は1947年9月に創刊された。初めの2冊は田村隆一の編集、次の3冊は黒田三郎の編集で、最後の6冊目は1948年6月、北村太郎の編集だった。
こうして見ると『荒地』は、わずか2年で6冊しか出ていないのだが、その6冊は今も輝いている。同人は、鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、黒田三郎、三好豊一郎……、そして北村太郎。
彼らはどんな思いで、世の中を見つめていたのだろうか。
「戦争が終わって見通しが明るくなった。それは感覚としてはそうなんだけれど、しかし実際にまわりを見ていると、マスコミなんかは手のひらを返したように、これから文化国家として再建するという明るいイメージをどこへいっても振りまいているような感じがしたんです。〔中略〕ただそういうことをいってみても無駄なんで、戦争に負けたという大事件があって、負けたのならいっそうのこと幻滅をもって考えたらいいんじゃないか……」。
これが「荒地」クループの、共通した感覚だったようだ、と北村は言う。
『荒地』ではフランツ・カフカの特集もやった。『審判』は白水社から出ていたが、短篇の『変身』は、日本語訳が出ていなかったので、北村が粗筋を紹介した。
当時カフカはあまり知られていなかったが、「荒地」グループはかなり前から、カフカの底知れないすごさに、気がついていた。
その頃を騙るエピソードかある。
北村と鮎川信夫が、日曜日に虎ノ門を歩いていた。あたりは鉄筋コンクリートの建物があるばかりで、人は歩いていない。
「『なんだかうす気味悪いねえ』とぼくがいったら、鮎川が『なんだかカフカ的だな』といったんです。ようするに、謎めいた権力の牙城みたいな建物、ビルが並んでいる異様さを彼はカフカ的といったわけです。カフカは自分たちの感覚に合うし、世間を見る、世の中を見るにも非常にいい足掛かりになった。」
昭和22,3年ころ、20歳前後の人間が、このような会話を交わしていたのだ。
謎は解けたか――『センチメンタルジャーニー―ある詩人の生涯―』(北村太郎)(1)
北村太郎の自伝である。
ねじめ正一の『荒地の恋』を読んだとき、力作で感心したのだが、モデルの問題が気になった。
詩人の北村太郎が、田村隆一の女房を好きになり、果ては駆け落ちをするのだ。
僕が朗読している、山田太一の『月日の残像』には、北村太郎とその女性が、川崎市の溝口に落ち延びて、逼塞するところが描かれている。
『荒地の恋』は、十代で親友になった北村太郎と田村隆一、そしてその夫人の、行動と心理が克明に描かれていて、読んでいて舌を巻くと同時に、モデル問題が大変気になった。
それで該当する本を探しているうちに、北村太郎の自伝を見つけた。多分これが土台になっているのだろう、と見当をつけた。
この自伝は、第一部と第二部に分かれており、詩人で編集者の正津勉〔しょうずべん〕が、最初から成立に関与している。
草思社に自伝の約束をした北村太郎は、その3年くらい前から多発性骨髄腫(血液の癌)を患い、このままでは長くても2年が寿命と言われた。
そこで北村は、正津勉を聞き手に自伝を語り下ろし、それをもとにして、原稿を作ることにした。
精力的に語り終えて、それをもとに書き下ろしを、ということになるが、これが進まないのだ。
そうこうするうちに、この自伝を企画した担当編集者が、喉頭癌で死去する。そのうちに北村太郎も亡くなる。
あとに残された原稿は、北村の自筆稿100枚と、北村が吹き込んだ速記原稿、400枚余り。しかし編集者はとっくに逝き、著者もまた亡くなった。
正津勉は途方に暮れ、虚脱感に襲われる。
そのとき草思社社長の加瀬昌男が、それだけあれば本になる、出しましょう、と言ったのだ。こういうところで、僕はちょっと感動する。
さてその自伝は、幼少期から始まる。この時期も面白いけど、僕は目的があって読んでいるので、この時代はすっ飛ばす。
1935年、北村は東京府立第三商業(三商)に入る。そしてすぐに文学少年になる。
三商と文学少年が何となく一致しないが、この時代は生徒に、幅の広い教養を身に着けさせようとしたらしい。
北村は、国語教科書にある正岡子規の俳句や短歌に感動し、岩波文庫の『若山牧水歌集』を擦り切れるまで読んだ。改造社版『現代日本文学全集』の「正岡子規集」や、「現代俳句集・現代短歌集」、「現代日本詩集・現代日本漢詩集」などを、古書店で次々に買ってくる。
北村はこの時期から、自己流で短歌を作り始めている。
また詩歌の投稿雑誌に、熱心に投稿した。
それだけでなく、神戸にいる中桐雅夫が主宰する、「ルナ」という同人誌にも参加している。
中桐は北村に、早稲田第一高等学院の鮎川信夫に合うように、と言った。鮎川は、同人たちの議論がもつれたとき、これを見事に捌いて、北村を感心させた。鮎川は北村の4つ年上で、19歳だった。
「わたくしは鮎川と四十八年つきあうことになるが、自分の生涯で彼ほどの知性、感性のすぐれた人物は一人もいなかったと思う。」
絶賛である。鮎川は、『荒地の恋』では重要な人物で、狂言回しに似た役割を演じている(しかし鮎川信夫は、あるときから詩を書かなくなった)。
同じ三商の田村隆一と会ったのは、1939年頃のことだ。会ってたちまち意気投合した。田村はそのころ『エルム』という同人誌を出していた。
こうして見たところ、北村太郎は15,6歳のときに、将来の、何と言ったらいいか、骨格のようなものを決めている。自分の進む先を、見通しているかのようだ。
しかしもちろん、そんなことはなかった。
「わたくしは自分の作品にはまったく独自性が乏しいと思った。とてもこんな詩を書いていてはだめだと何度溜め息をついたことか。この思いはそれから後も間欠的に繰り返され、戦争が終わってからも三、四度、同じ経験をしつこく味わっている。」
北村太郎は、自分を低いところに置き、自己を徹底して疑う詩人だった。
ねじめ正一の『荒地の恋』を読んだとき、力作で感心したのだが、モデルの問題が気になった。
詩人の北村太郎が、田村隆一の女房を好きになり、果ては駆け落ちをするのだ。
僕が朗読している、山田太一の『月日の残像』には、北村太郎とその女性が、川崎市の溝口に落ち延びて、逼塞するところが描かれている。
『荒地の恋』は、十代で親友になった北村太郎と田村隆一、そしてその夫人の、行動と心理が克明に描かれていて、読んでいて舌を巻くと同時に、モデル問題が大変気になった。
それで該当する本を探しているうちに、北村太郎の自伝を見つけた。多分これが土台になっているのだろう、と見当をつけた。
この自伝は、第一部と第二部に分かれており、詩人で編集者の正津勉〔しょうずべん〕が、最初から成立に関与している。
草思社に自伝の約束をした北村太郎は、その3年くらい前から多発性骨髄腫(血液の癌)を患い、このままでは長くても2年が寿命と言われた。
そこで北村は、正津勉を聞き手に自伝を語り下ろし、それをもとにして、原稿を作ることにした。
精力的に語り終えて、それをもとに書き下ろしを、ということになるが、これが進まないのだ。
そうこうするうちに、この自伝を企画した担当編集者が、喉頭癌で死去する。そのうちに北村太郎も亡くなる。
あとに残された原稿は、北村の自筆稿100枚と、北村が吹き込んだ速記原稿、400枚余り。しかし編集者はとっくに逝き、著者もまた亡くなった。
正津勉は途方に暮れ、虚脱感に襲われる。
そのとき草思社社長の加瀬昌男が、それだけあれば本になる、出しましょう、と言ったのだ。こういうところで、僕はちょっと感動する。
さてその自伝は、幼少期から始まる。この時期も面白いけど、僕は目的があって読んでいるので、この時代はすっ飛ばす。
1935年、北村は東京府立第三商業(三商)に入る。そしてすぐに文学少年になる。
三商と文学少年が何となく一致しないが、この時代は生徒に、幅の広い教養を身に着けさせようとしたらしい。
北村は、国語教科書にある正岡子規の俳句や短歌に感動し、岩波文庫の『若山牧水歌集』を擦り切れるまで読んだ。改造社版『現代日本文学全集』の「正岡子規集」や、「現代俳句集・現代短歌集」、「現代日本詩集・現代日本漢詩集」などを、古書店で次々に買ってくる。
北村はこの時期から、自己流で短歌を作り始めている。
また詩歌の投稿雑誌に、熱心に投稿した。
それだけでなく、神戸にいる中桐雅夫が主宰する、「ルナ」という同人誌にも参加している。
中桐は北村に、早稲田第一高等学院の鮎川信夫に合うように、と言った。鮎川は、同人たちの議論がもつれたとき、これを見事に捌いて、北村を感心させた。鮎川は北村の4つ年上で、19歳だった。
「わたくしは鮎川と四十八年つきあうことになるが、自分の生涯で彼ほどの知性、感性のすぐれた人物は一人もいなかったと思う。」
絶賛である。鮎川は、『荒地の恋』では重要な人物で、狂言回しに似た役割を演じている(しかし鮎川信夫は、あるときから詩を書かなくなった)。
同じ三商の田村隆一と会ったのは、1939年頃のことだ。会ってたちまち意気投合した。田村はそのころ『エルム』という同人誌を出していた。
こうして見たところ、北村太郎は15,6歳のときに、将来の、何と言ったらいいか、骨格のようなものを決めている。自分の進む先を、見通しているかのようだ。
しかしもちろん、そんなことはなかった。
「わたくしは自分の作品にはまったく独自性が乏しいと思った。とてもこんな詩を書いていてはだめだと何度溜め息をついたことか。この思いはそれから後も間欠的に繰り返され、戦争が終わってからも三、四度、同じ経験をしつこく味わっている。」
北村太郎は、自分を低いところに置き、自己を徹底して疑う詩人だった。
探偵は殺人を犯す!――『卒業生には向かない真実』(ホリー・ジャクソン、服部京子・訳)
ホリー・ジャクソンによる3部作。『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』と来て、最後の3作目である。
とはいっても舞台は同じリトル・キルトンの街で、3作を読むのに半年以上開くと、主人公の女子学生、ピップと、恋人のラヴィ・シン以外は、かなりうろ覚えになる。
しかもピップの同級生をはじめとして、この小説は登場人物が多い。そのうえ3作目は、文庫本で670ページと長大である。読む前から、やれやれ、といった気持ちなのだ。
それが50ページを超えるぐらいから殺人事件が起こり、半ばに至っては、もうやめることができない。
でもまあ、いきなりクライマックスではなく、あらすじから始めよう。カバー裏の惹句から。
「大学入学直前のピップに、ストーカーの仕業と思われる出来事が起きていた。無言電話に匿名のメール。敷地内に置かれた、首を切られたハト……。それらの行為が、6年前の連続殺人の被害者に起きたことと似ていると気づいたピップは、調査に乗りだす。――この真実を、誰が予想できただろう?」
しかしこれだけでは、謎の周辺までも行かない。ミステリはどこまでがネタバレか、難しいところだが、もう少し踏み込みたい。
670ページのうち、ちょうど半ばで連続殺人の犯人が分かるから、えっ、どうなってんのと思う間もなく、何とピップが死闘の末に、連続殺人鬼を殺してしまう。
そこからはもう本当に、目が本文に吸い付いて、朝まで読み通してしまう。いったいこれで、どういう結末にするんだ! ピップが逮捕されて終わるのか、まさか。
ここで読者(つまり私)は、2通りの展開を予測する。
まず1つ目は、正当防衛。途中、いろんなことはあるのだが、最終的には正当防衛で決着がつく、というのが大方の意見だろう。
しかしピップは、若い女を次々に殺していくこの犯人を、心の底から憎んでおり、その結果、彼女は過剰防衛として犯人を殴り殺すのだ。つまり正当防衛は使えない。
では正当防衛が駄目なら、事件は迷宮入り、という線がある。でも、おおかた700ページ弱を読んできて、迷宮入りはダメでしょう。あまりにもあと味が悪い。
するとここで、第3の視点が現れてくる。警察嫌いのピップは、殺人鬼を殺し、その罪を別の人間に償わせるのだ。
そんな馬鹿な! しかも殺人鬼を殺した一夜のうちに、何とかそうなるように手配する。しかしそんな荒唐無稽なことが、ミスなくして出来るのであろうか?
ミステリはだいたいが、よく考えれば、あるいはよく考えないでも、絵空事である。この本は、その中でもとびっきりの絵空事なのだ。それを、興奮をもって読ませ続けるのは、並大抵の才能ではない。
この本のオビ裏に、書店員が何人か、呼び込み記事を書いている。たとえば丸善丸広百貨店の東松山店・本郷綾子さんならこう書く。
「衝撃、そして慟哭。ページをめくる指が震え、喉は緊張で強ばり、けれど読むのを止められない。この物語の秘密だけは、永遠に隠し通したいと願ってしまった。」
ちょっと煽っているけれど、これを大袈裟な、と言ってはいけない。まさにこの通りなのだ。
ホリー・ジャクソンは、この3部作を20代で書いている。誠に恐るべき才能である。
(『『卒業生には向かない真実』ホリー・ジャクソン、服部京子・訳、
創元推理文庫、2023年7月14日初刷、12月8日第3刷)
とはいっても舞台は同じリトル・キルトンの街で、3作を読むのに半年以上開くと、主人公の女子学生、ピップと、恋人のラヴィ・シン以外は、かなりうろ覚えになる。
しかもピップの同級生をはじめとして、この小説は登場人物が多い。そのうえ3作目は、文庫本で670ページと長大である。読む前から、やれやれ、といった気持ちなのだ。
それが50ページを超えるぐらいから殺人事件が起こり、半ばに至っては、もうやめることができない。
でもまあ、いきなりクライマックスではなく、あらすじから始めよう。カバー裏の惹句から。
「大学入学直前のピップに、ストーカーの仕業と思われる出来事が起きていた。無言電話に匿名のメール。敷地内に置かれた、首を切られたハト……。それらの行為が、6年前の連続殺人の被害者に起きたことと似ていると気づいたピップは、調査に乗りだす。――この真実を、誰が予想できただろう?」
しかしこれだけでは、謎の周辺までも行かない。ミステリはどこまでがネタバレか、難しいところだが、もう少し踏み込みたい。
670ページのうち、ちょうど半ばで連続殺人の犯人が分かるから、えっ、どうなってんのと思う間もなく、何とピップが死闘の末に、連続殺人鬼を殺してしまう。
そこからはもう本当に、目が本文に吸い付いて、朝まで読み通してしまう。いったいこれで、どういう結末にするんだ! ピップが逮捕されて終わるのか、まさか。
ここで読者(つまり私)は、2通りの展開を予測する。
まず1つ目は、正当防衛。途中、いろんなことはあるのだが、最終的には正当防衛で決着がつく、というのが大方の意見だろう。
しかしピップは、若い女を次々に殺していくこの犯人を、心の底から憎んでおり、その結果、彼女は過剰防衛として犯人を殴り殺すのだ。つまり正当防衛は使えない。
では正当防衛が駄目なら、事件は迷宮入り、という線がある。でも、おおかた700ページ弱を読んできて、迷宮入りはダメでしょう。あまりにもあと味が悪い。
するとここで、第3の視点が現れてくる。警察嫌いのピップは、殺人鬼を殺し、その罪を別の人間に償わせるのだ。
そんな馬鹿な! しかも殺人鬼を殺した一夜のうちに、何とかそうなるように手配する。しかしそんな荒唐無稽なことが、ミスなくして出来るのであろうか?
ミステリはだいたいが、よく考えれば、あるいはよく考えないでも、絵空事である。この本は、その中でもとびっきりの絵空事なのだ。それを、興奮をもって読ませ続けるのは、並大抵の才能ではない。
この本のオビ裏に、書店員が何人か、呼び込み記事を書いている。たとえば丸善丸広百貨店の東松山店・本郷綾子さんならこう書く。
「衝撃、そして慟哭。ページをめくる指が震え、喉は緊張で強ばり、けれど読むのを止められない。この物語の秘密だけは、永遠に隠し通したいと願ってしまった。」
ちょっと煽っているけれど、これを大袈裟な、と言ってはいけない。まさにこの通りなのだ。
ホリー・ジャクソンは、この3部作を20代で書いている。誠に恐るべき才能である。
(『『卒業生には向かない真実』ホリー・ジャクソン、服部京子・訳、
創元推理文庫、2023年7月14日初刷、12月8日第3刷)
AI用語は難しい――『見えないから、気づく』(浅川智恵子)〔聞き手・坂元志歩〕(4)
こうして日本IBMにおける、浅川智恵子の活躍が始まるのだが、その活躍の具体的な事柄を、うまく伝えることができない。
問題はコンピューター用語にある。例を2つほど引く。まずは「音声出力装置」について。
「当時マイクロソフトが出していたパソコン用のOS、MS-DOSの画面を読み上げるDOSスクリーンリーダーを使って、サーバーとデータをやりとりするためのソフトウェアTelnetでUNIXサーバーにアクセスする。次に、UNIX上で動くテキストベースのウェブプラウザであるLynxを使ってウェブページにアクセスして音声で出力した。」
浅川さんが入った頃のコンピューターは、この状態だった。と言われても、見当がつかない。
とにかくこれを改良するわけだ。
「ウェブプラウザにはソースの表示機能があるので、それを使うと、そのウェブを作っているHTMLを確認できる。たとえば見出しは『h(見出しのレベルにあわせて6種類、最大のhlから最小のh6まである)』でタグ付けされている。タグは<>で括ることがHTMLの決まりだ。『/』はタグ指定の終わりを意味する。アクセシビリティのすべて と書かれていれば、アクセシビリティのすべてが最大レベルの見出しになる。
このHTMLのタグをうまく使えば、視覚障害者が欲しい情報にすばやくたどり着くためのソフトウェアが開発できるはずだ。そうひらめいた。」
山場であることは分かるが、その「ひらめき」の内容が分からない。
浅川智恵子には、一般の人がコンピューターを使用する際に、どのあたりでつまずき、ついていけなくなるかが、直感的に分かったという。
いわば普通の人が使いやすいと思うことを、頭の中でシミュレートし、悪い点と良い点を徹底的に考え抜き、次々にデザインしていくことができた。
このとき開発していたのは、「ホームページ・リーダー」と呼ばれるもので、これは米国IBMを巻き込んで、1999年にアメリカで発売され、2000年にはついに世界11カ国語に対応するようになった。
ここからの浅川さんの活躍や、数々の受賞歴については、本文を読まれたい。
2023年には、東京都との共同開発により、「AIスーツケース」の屋外走行体験を、公開の場で実施している。
最後に、この本全体について言っておく。
浅川さんが劇的な瞬間を迎えたとき、つまり「ハンディキャップとしか捉えていなかった視覚障害が、むしろ強みになることを知った」ときが、一つの大きな山場だと思うが、それは全体200ページのうち、わずか35ページ目に出てきてしまう。
ここは、浅川智恵子が中途失明者になったときの苦労を、克明に描いた方が、よかったのではないか。私はそう思う。
これは企画そのものを、どういうふうに考えるかで、がらっと変わる。私のようにAI用語に疎いものは、すでに読者の中では少数だ、という見方も当然ある。これは出版社の中で、意見が分かれるところだろう。でもたぶん、私の方が正しいと思う。
本づくりについて一言。
早川書房は、私が現役でいた頃は、実に丁寧な本づくりをしていた。刷り上がった段階の本に、1ミリ以下の小さな汚れでもあれば、何万部という本が廃棄された。1冊でもそういう本があれば、そういう本が他に何冊あるか分からない、だから全部廃棄する。
印刷会社の営業部長が、「早川さん、刷り直し!」と、真っ赤になって電話をかけていたのを思い出す。
そういうところが、校正で句点のミスをしたり、素読みでミスをするのは、考えられない。ついでに言うと、本文の組版も、縦一行が長すぎる。もう一字削れば、すっきりしたのにと、これは私の好みの問題。
(『見えないから、気づく』浅川智恵子、聞き手・坂元志歩、
ハヤカワ新書、2023年10月25日初刷)
問題はコンピューター用語にある。例を2つほど引く。まずは「音声出力装置」について。
「当時マイクロソフトが出していたパソコン用のOS、MS-DOSの画面を読み上げるDOSスクリーンリーダーを使って、サーバーとデータをやりとりするためのソフトウェアTelnetでUNIXサーバーにアクセスする。次に、UNIX上で動くテキストベースのウェブプラウザであるLynxを使ってウェブページにアクセスして音声で出力した。」
浅川さんが入った頃のコンピューターは、この状態だった。と言われても、見当がつかない。
とにかくこれを改良するわけだ。
「ウェブプラウザにはソースの表示機能があるので、それを使うと、そのウェブを作っているHTMLを確認できる。たとえば見出しは『h(見出しのレベルにあわせて6種類、最大のhlから最小のh6まである)』でタグ付けされている。タグは<>で括ることがHTMLの決まりだ。『/』はタグ指定の終わりを意味する。
このHTMLのタグをうまく使えば、視覚障害者が欲しい情報にすばやくたどり着くためのソフトウェアが開発できるはずだ。そうひらめいた。」
山場であることは分かるが、その「ひらめき」の内容が分からない。
浅川智恵子には、一般の人がコンピューターを使用する際に、どのあたりでつまずき、ついていけなくなるかが、直感的に分かったという。
いわば普通の人が使いやすいと思うことを、頭の中でシミュレートし、悪い点と良い点を徹底的に考え抜き、次々にデザインしていくことができた。
このとき開発していたのは、「ホームページ・リーダー」と呼ばれるもので、これは米国IBMを巻き込んで、1999年にアメリカで発売され、2000年にはついに世界11カ国語に対応するようになった。
ここからの浅川さんの活躍や、数々の受賞歴については、本文を読まれたい。
2023年には、東京都との共同開発により、「AIスーツケース」の屋外走行体験を、公開の場で実施している。
最後に、この本全体について言っておく。
浅川さんが劇的な瞬間を迎えたとき、つまり「ハンディキャップとしか捉えていなかった視覚障害が、むしろ強みになることを知った」ときが、一つの大きな山場だと思うが、それは全体200ページのうち、わずか35ページ目に出てきてしまう。
ここは、浅川智恵子が中途失明者になったときの苦労を、克明に描いた方が、よかったのではないか。私はそう思う。
これは企画そのものを、どういうふうに考えるかで、がらっと変わる。私のようにAI用語に疎いものは、すでに読者の中では少数だ、という見方も当然ある。これは出版社の中で、意見が分かれるところだろう。でもたぶん、私の方が正しいと思う。
本づくりについて一言。
早川書房は、私が現役でいた頃は、実に丁寧な本づくりをしていた。刷り上がった段階の本に、1ミリ以下の小さな汚れでもあれば、何万部という本が廃棄された。1冊でもそういう本があれば、そういう本が他に何冊あるか分からない、だから全部廃棄する。
印刷会社の営業部長が、「早川さん、刷り直し!」と、真っ赤になって電話をかけていたのを思い出す。
そういうところが、校正で句点のミスをしたり、素読みでミスをするのは、考えられない。ついでに言うと、本文の組版も、縦一行が長すぎる。もう一字削れば、すっきりしたのにと、これは私の好みの問題。
(『見えないから、気づく』浅川智恵子、聞き手・坂元志歩、
ハヤカワ新書、2023年10月25日初刷)
AI用語は難しい――『見えないから、気づく』(浅川智恵子)〔聞き手・坂元志歩〕(3)
IBMは1911年の創業だが、その3年後、1914年にはアメリカで初めて、障害を持つ社員が採用されている。
そういう社風であったから、浅川智恵子の入った日本IBMの東京基礎研究所も、「変な意味での競争はなく、みんな余裕があった。それぞれが専門を持ち、それぞれが互いをリスペクトする社内文化があった。」
まあこの辺は、話半分に聞いておこう。浅川さんはまだ、IBMの社員だろうから。仮に退社していても、IBMとは近しい関係にあるだろう。
浅川さんのこれまでの苦労に比べれば、大概のまともな会社は快適だったろう。もっとも、そのまともな会社が日本では少な過ぎる、という可能性もある。
するとやっぱり、IBMという国際企業は、浅川智恵子にとっては、この上ないものだったと言える。
浅川さんが入った年は、イギリスのIBMで、コンピューターから音声が出る「音声出力装置」が開発された。それによって、情報のアクセシビリティが劇的に改善された。
今では当たり前のことだが、これがどういうことか、分かるだろうか。
メールもチャットも音声出力が可能で、人と時間差なくリアルタイムにコミュニケーションができるということ。「情報取得の手段が音声に変わることで、格段に作業効率は上がった。テクノロジーはこれほどまでに、仕事を含めた生活の質を向上させてくれるものなのだ。」
そうはいうものの、浅川さんが客員研究員として入った、まさにその年に、音声出力装置が開発されたのだ。客員研究員は1年限りの任期であったから、音声出力装置の開発が1年でもずれていれば、これに出会うことはなかった。
そう考えれば、運というものがある、と言わざるを得ない。同時に、いつでも前を向いて前進していれば、そういう幸運が降ってくる、ともいえる。叩けよ、さらば拓かれん、というわけだ。
この一連の開発業務で、浅川智恵子は、人生の核心ともいえるものを得た。
「コンピューターが障害者にもたらす恩恵について無我夢中で話したところ、参加者の一人から思いも寄らない言葉が返ってきた。
『目の見えないあなただからこそ、ユーザーの気持ちがわかるのですね』」
これは劇的な瞬間だった。
「この瞬間、自分にとってハンディキャップとしか捉えていなかった視覚障害が、むしろ強みになることを知った。ずっと探し求めていた、自分にしかできない仕事に出会えたのだ。それはハンディキャップだと思っていた視覚障害が、自分の中で強みというものに昇華した瞬間だった。」
浅川さんは、任期期限の1年間で、「2級英語自動点訳システム」を作り上げ、情報処理学会で報告した。IBMに入り、10か月目にして正規雇用の研究員になることができた。道は開けたのだ。
テクノロジーを絡めることで、それまで弱みであったものが、逆転して強みになって行く。そういうテクノロジーは、必ずしも強み弱みとは関係ないけれど、例えば私の場合にもある。
コンピューターは私に、意味のある言葉を発することができるようにしてくれた。右半身が使い物にならない私は、コンピューターがなければ、まとまった考えを言葉にすることができない。
人名や地名、あるいは歴史的な事柄については、脳出血のあとは、ほとんど覚えていない。じっと集中すれば、思い出せるものもある。しかし思い出せないものの方が、圧倒的に多い。そういうときは、コンピューターに頼らざるを得ない。
もうほとんど、コンピューターと合体していると言ってもいい。テクノロジーは人間を、劇的に変えるのである。
そういう社風であったから、浅川智恵子の入った日本IBMの東京基礎研究所も、「変な意味での競争はなく、みんな余裕があった。それぞれが専門を持ち、それぞれが互いをリスペクトする社内文化があった。」
まあこの辺は、話半分に聞いておこう。浅川さんはまだ、IBMの社員だろうから。仮に退社していても、IBMとは近しい関係にあるだろう。
浅川さんのこれまでの苦労に比べれば、大概のまともな会社は快適だったろう。もっとも、そのまともな会社が日本では少な過ぎる、という可能性もある。
するとやっぱり、IBMという国際企業は、浅川智恵子にとっては、この上ないものだったと言える。
浅川さんが入った年は、イギリスのIBMで、コンピューターから音声が出る「音声出力装置」が開発された。それによって、情報のアクセシビリティが劇的に改善された。
今では当たり前のことだが、これがどういうことか、分かるだろうか。
メールもチャットも音声出力が可能で、人と時間差なくリアルタイムにコミュニケーションができるということ。「情報取得の手段が音声に変わることで、格段に作業効率は上がった。テクノロジーはこれほどまでに、仕事を含めた生活の質を向上させてくれるものなのだ。」
そうはいうものの、浅川さんが客員研究員として入った、まさにその年に、音声出力装置が開発されたのだ。客員研究員は1年限りの任期であったから、音声出力装置の開発が1年でもずれていれば、これに出会うことはなかった。
そう考えれば、運というものがある、と言わざるを得ない。同時に、いつでも前を向いて前進していれば、そういう幸運が降ってくる、ともいえる。叩けよ、さらば拓かれん、というわけだ。
この一連の開発業務で、浅川智恵子は、人生の核心ともいえるものを得た。
「コンピューターが障害者にもたらす恩恵について無我夢中で話したところ、参加者の一人から思いも寄らない言葉が返ってきた。
『目の見えないあなただからこそ、ユーザーの気持ちがわかるのですね』」
これは劇的な瞬間だった。
「この瞬間、自分にとってハンディキャップとしか捉えていなかった視覚障害が、むしろ強みになることを知った。ずっと探し求めていた、自分にしかできない仕事に出会えたのだ。それはハンディキャップだと思っていた視覚障害が、自分の中で強みというものに昇華した瞬間だった。」
浅川さんは、任期期限の1年間で、「2級英語自動点訳システム」を作り上げ、情報処理学会で報告した。IBMに入り、10か月目にして正規雇用の研究員になることができた。道は開けたのだ。
テクノロジーを絡めることで、それまで弱みであったものが、逆転して強みになって行く。そういうテクノロジーは、必ずしも強み弱みとは関係ないけれど、例えば私の場合にもある。
コンピューターは私に、意味のある言葉を発することができるようにしてくれた。右半身が使い物にならない私は、コンピューターがなければ、まとまった考えを言葉にすることができない。
人名や地名、あるいは歴史的な事柄については、脳出血のあとは、ほとんど覚えていない。じっと集中すれば、思い出せるものもある。しかし思い出せないものの方が、圧倒的に多い。そういうときは、コンピューターに頼らざるを得ない。
もうほとんど、コンピューターと合体していると言ってもいい。テクノロジーは人間を、劇的に変えるのである。
AI用語は難しい――『見えないから、気づく』(浅川智恵子)〔聞き手・坂元志歩〕(2)
浅川智恵子は、大学は英文科に入った。盲学校での訓練のおかげで、1人で通学できるようになったし、「電車に乗ることも、街を歩くことも一人でできるようになったが、容易ではなかった。」
浅川さんは、盲学校で勉強した結果、点字をはじめ、さまざまな情報にアクセスするスキルを身につけてはいた。しかし、大学の教科書や副読本は、ほとんど点字化されていなかった。
点字サークルの人たちが、いくつかの教科書については、点訳(点字翻訳)もしてくれたが、それでは間に合わず、最後は兄弟に頼んで教科書を音読してもらい、自分で点訳した。
これは膨大な時間がかかり、浅川さんにとっても、兄弟にとっても、つらい体験だった。
英文科は、あたりまえだが、辞書が必携だった。最低限のコンサイス英和辞典だけでも、点訳すると71巻にもなった(どれだけ棚を取るんだ!)。コンサイス英和辞典が、ぜんぜんコンサイス(簡潔な)ではない。
さらに大学が、点字版ウェブスター英英辞典を購入してくれたが、これこそ百科事典サイズで、言葉の意味を調べるためだけに、図書館の棚から取り出しては単語を捜す、という作業の繰り返し。「言葉の意味を知るという目的達成までの距離があまりに遠すぎた。」
だから浅川さんにとって、大学は楽しくなく、それほど勉強はしなかった、ということだが、これは大変よくわかる話だ。これは勉強というより、たんなる「苦役」だ。
とはいえ大学の4年間が過ぎれば、その次が問題になる。大学を出た後の道は、まったく開けていない。
そのころテレビで、視覚障害者が、コンピューターのプログラミングを職業にしているのを知った。
「目が見えなくてもプログラミングはできるんだ。大学卒業後の進路を調べている時に、社会福祉法人日本ライトハウス職業・生活訓練センター(現在の視覚障害リハビリテーションセンター職業訓練部)というところで、視覚障害者のためのコンピーターの職業訓練コースがあることを知った。」
こうして浅川さんは、大学を出たあと仕事に就けるかもしれないという、一本の道に出会ったのだ。
これも苦労の多いコンピーター訓練で、その実際が書かれている。たびたび挫けそうになったが、最後までやり通すしかなかった。それ以外に、道はなかったのである。
日本ライトハウスでの修了間際に、日本IBMが客員研究員を募集している、という話が飛び込んできた。
「募集内容は『英語とコンピューターのプログラミングができる人』であり、しかもテキストを自動的に点訳するプログラムを開発するという内容。」
浅川さんは、まるで自分のためにあるような仕事だ、と思った。プロジェクトのゴールは、次のようなものだった。
「アルファベットを1文字1文字点字に変換するのではなく、大学受験や論文、ビジネスなどで使われる省略表現を使った『2級英語点字』へ点訳するプログラムを開発する」ということだった。
このIBMのプロジェクトは、ただし1年限りの任期付き募集だった。1年たったら、また就職活動をしなければいけない。
ここまでで、浅川智恵子の人生は、本当に綱渡りであることが分かる。
浅川さんは、盲学校で勉強した結果、点字をはじめ、さまざまな情報にアクセスするスキルを身につけてはいた。しかし、大学の教科書や副読本は、ほとんど点字化されていなかった。
点字サークルの人たちが、いくつかの教科書については、点訳(点字翻訳)もしてくれたが、それでは間に合わず、最後は兄弟に頼んで教科書を音読してもらい、自分で点訳した。
これは膨大な時間がかかり、浅川さんにとっても、兄弟にとっても、つらい体験だった。
英文科は、あたりまえだが、辞書が必携だった。最低限のコンサイス英和辞典だけでも、点訳すると71巻にもなった(どれだけ棚を取るんだ!)。コンサイス英和辞典が、ぜんぜんコンサイス(簡潔な)ではない。
さらに大学が、点字版ウェブスター英英辞典を購入してくれたが、これこそ百科事典サイズで、言葉の意味を調べるためだけに、図書館の棚から取り出しては単語を捜す、という作業の繰り返し。「言葉の意味を知るという目的達成までの距離があまりに遠すぎた。」
だから浅川さんにとって、大学は楽しくなく、それほど勉強はしなかった、ということだが、これは大変よくわかる話だ。これは勉強というより、たんなる「苦役」だ。
とはいえ大学の4年間が過ぎれば、その次が問題になる。大学を出た後の道は、まったく開けていない。
そのころテレビで、視覚障害者が、コンピューターのプログラミングを職業にしているのを知った。
「目が見えなくてもプログラミングはできるんだ。大学卒業後の進路を調べている時に、社会福祉法人日本ライトハウス職業・生活訓練センター(現在の視覚障害リハビリテーションセンター職業訓練部)というところで、視覚障害者のためのコンピーターの職業訓練コースがあることを知った。」
こうして浅川さんは、大学を出たあと仕事に就けるかもしれないという、一本の道に出会ったのだ。
これも苦労の多いコンピーター訓練で、その実際が書かれている。たびたび挫けそうになったが、最後までやり通すしかなかった。それ以外に、道はなかったのである。
日本ライトハウスでの修了間際に、日本IBMが客員研究員を募集している、という話が飛び込んできた。
「募集内容は『英語とコンピューターのプログラミングができる人』であり、しかもテキストを自動的に点訳するプログラムを開発するという内容。」
浅川さんは、まるで自分のためにあるような仕事だ、と思った。プロジェクトのゴールは、次のようなものだった。
「アルファベットを1文字1文字点字に変換するのではなく、大学受験や論文、ビジネスなどで使われる省略表現を使った『2級英語点字』へ点訳するプログラムを開発する」ということだった。
このIBMのプロジェクトは、ただし1年限りの任期付き募集だった。1年たったら、また就職活動をしなければいけない。
ここまでで、浅川智恵子の人生は、本当に綱渡りであることが分かる。
AI用語は難しい――『見えないから、気づく』(浅川智恵子)〔聞き手・坂元志歩〕(1)
早川書房が2023年に創刊した、「ハヤカワ新書」の1冊。巻末に創刊の辞が載せられている。
その一部に、「『ハヤカワ新書』は、切れ味鋭い執筆者が政治、経済、教育、医学、芸術、歴史をはじめとする各分野の森羅万象を的確に捉え、生きた知識をより豊かにするよみものである」とある。
早川書房は、翻訳物のミステリで有名である。それ以外にもノンフィクションの、特に心理学の分野でヒットを飛ばした。ダニエル・キースの『24人のビリー・ミリガン』や『アルジャーノンに花束を』は、素晴らしい作品で、思い返しても胸が熱くなる。いや、『アルジャーノンに花束を』は小説だっけ。
こんどの「ハヤカワ新書」は、その早川の持ち味を、思いっきり広げたものだが、さてここまでの結果はどうか。
この本の著者は、目の見えない人。だから「聞き手」(つまり書き手)がいる。そしてこういう本は、その書き手に、ほとんど全てが委ねられている。
奥付の浅川智恵子の略歴から。
「IBMフェロー、日本科学未来館館長。日本語デジタル点字システムやホームページ、リーダーなど視覚障害者を支援するアクセシビリティ技術を開発し、2019年に全米発明家殿堂入り。現在はAIスーツケースの研究開発に取り組む。」
盲目の人が、やってきた事績である。これは刻苦勉励、立志伝中の人であるに違いない。
ついでに「聞き手」、坂元志歩の紹介もしておこう。
「サイエンスライター。著書に『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』『ドキュメント 謎の海底サメ王国』(ともに共著)など。」
この人は、海の生き物に詳しそうだ。ただ、2冊の著書を挙げておきながら、出版社が抜けているのは、校閲あたりが注意しなければ。
ではさっそく中身を読んでいこう。
浅川智恵子さんは小学校4年のとき、プールで右目の下を強く打った。それがもとで視神経委縮(緑内障)になり、手術が必要になった。この手術で、左目も見えにくくなり、やはり手術を受けた。
手術を受けた結果、両目ともに悪くなるというのであれば、今なら訴訟だろう。
手術から3年後、14歳のとき、両目は完全に見えなくなった。浅川さんは中途失明者なのである。
今現在から、この状態を正確に記すならば、「自分で自由に動き回る移動のアクセシビリティと自由に情報にアクセスできる情報のアクセシビリティ、この両方を失明で失った。」
淡々と語っているけれども、これが自分に起きたことだとすれば、途方に暮れざるを得ない。私の場合なら、将来の選択肢には、とうぜん自殺も入ってくるだろう。この点は中途失明者の方が、先天的失明者よりも厳しく辛い。
当時、視覚障碍者が普通高校を受験することは、不可能だった。「障害者差別解消法」が制定され、公立高校が受け入れを開始したのは、2013年6月であり、ほんの10年ほど前のことだ。
浅川さんは迷いに迷ったあげく、最後には普通高校の受験をあきらめて、盲学校に通うことになる。
盲学校に入ってみると、そこにはそれこそ、驚くような才能を持った人たちがいた。
「絶対音感を持ち音楽に秀でた人や、勉強が飛び抜けてできる人もいた。一般に視覚障害者には聴覚の優れた人が多い。だがそのようなレベルの話ではなかった。圧倒されるような天才児たちだった。結果的にそういう人たちは、国立大学などへ進学していくことになる。」
ここでも「普通」である浅川さんは、どういう人生を歩んでいったらいいか、悩むことになる。
その一部に、「『ハヤカワ新書』は、切れ味鋭い執筆者が政治、経済、教育、医学、芸術、歴史をはじめとする各分野の森羅万象を的確に捉え、生きた知識をより豊かにするよみものである」とある。
早川書房は、翻訳物のミステリで有名である。それ以外にもノンフィクションの、特に心理学の分野でヒットを飛ばした。ダニエル・キースの『24人のビリー・ミリガン』や『アルジャーノンに花束を』は、素晴らしい作品で、思い返しても胸が熱くなる。いや、『アルジャーノンに花束を』は小説だっけ。
こんどの「ハヤカワ新書」は、その早川の持ち味を、思いっきり広げたものだが、さてここまでの結果はどうか。
この本の著者は、目の見えない人。だから「聞き手」(つまり書き手)がいる。そしてこういう本は、その書き手に、ほとんど全てが委ねられている。
奥付の浅川智恵子の略歴から。
「IBMフェロー、日本科学未来館館長。日本語デジタル点字システムやホームページ、リーダーなど視覚障害者を支援するアクセシビリティ技術を開発し、2019年に全米発明家殿堂入り。現在はAIスーツケースの研究開発に取り組む。」
盲目の人が、やってきた事績である。これは刻苦勉励、立志伝中の人であるに違いない。
ついでに「聞き手」、坂元志歩の紹介もしておこう。
「サイエンスライター。著書に『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』『ドキュメント 謎の海底サメ王国』(ともに共著)など。」
この人は、海の生き物に詳しそうだ。ただ、2冊の著書を挙げておきながら、出版社が抜けているのは、校閲あたりが注意しなければ。
ではさっそく中身を読んでいこう。
浅川智恵子さんは小学校4年のとき、プールで右目の下を強く打った。それがもとで視神経委縮(緑内障)になり、手術が必要になった。この手術で、左目も見えにくくなり、やはり手術を受けた。
手術を受けた結果、両目ともに悪くなるというのであれば、今なら訴訟だろう。
手術から3年後、14歳のとき、両目は完全に見えなくなった。浅川さんは中途失明者なのである。
今現在から、この状態を正確に記すならば、「自分で自由に動き回る移動のアクセシビリティと自由に情報にアクセスできる情報のアクセシビリティ、この両方を失明で失った。」
淡々と語っているけれども、これが自分に起きたことだとすれば、途方に暮れざるを得ない。私の場合なら、将来の選択肢には、とうぜん自殺も入ってくるだろう。この点は中途失明者の方が、先天的失明者よりも厳しく辛い。
当時、視覚障碍者が普通高校を受験することは、不可能だった。「障害者差別解消法」が制定され、公立高校が受け入れを開始したのは、2013年6月であり、ほんの10年ほど前のことだ。
浅川さんは迷いに迷ったあげく、最後には普通高校の受験をあきらめて、盲学校に通うことになる。
盲学校に入ってみると、そこにはそれこそ、驚くような才能を持った人たちがいた。
「絶対音感を持ち音楽に秀でた人や、勉強が飛び抜けてできる人もいた。一般に視覚障害者には聴覚の優れた人が多い。だがそのようなレベルの話ではなかった。圧倒されるような天才児たちだった。結果的にそういう人たちは、国立大学などへ進学していくことになる。」
ここでも「普通」である浅川さんは、どういう人生を歩んでいったらいいか、悩むことになる。
警察小説の変種または極北――『悲しみのイレーヌ』(ピエール・ルメートル、橘明美・訳)
フランスの警察小説。しかし叙述にからくりがあって、並の警察小説ではない。
これは3部作の第一弾で、『その女アレックス』『傷だらけのカミーユ』と続く。
裏表紙の惹句はこうだ。
「異様な手口で惨殺された二人の女。カミーユ・ヴェルーヴェン警部は部下たちと捜査を開始するが、やがて第二の事件が発生。カミーユは事件の恐るべき共通点を発見する。……『その女アレックス』の著者が放つミステリ賞4冠に輝く衝撃作。あまりに悪意に満ちた犯罪計画――あなたも犯人の悪意から逃れられない。」
この惹句は、まあ50点。これは第一部と第二部があって、それぞれを叙述しているのが、違う人間である、と言うことを書かなきゃ。「あなたも犯人の悪意から逃れられない」ってさあ、安っぽくがなり立てる、TVコマーシャルじゃないんだから。
つまり第一部を書いているのは誰か、という謎を、最初に振っておかないと、この異様な面白さは半減してしまう。
もう一つは、文体である。著者のフランス語が特異なのか、訳者の橘明美の日本語がきわだっているのか、それは分からない。あるいは両方ともが優れているのか。
とにかくいったん小説の中に入れば、もう目が離せない、そこから出てくることはできない。脳の回転と心臓の鼓動が、どんどん早くなって、頁を繰る手もまだるっこしい。
もちろん警察小説だから、その系譜に入っているが、でもちょっと違う。捜査部班長のカミーユ・ヴェルーヴェン警部は、3人の部下を持っている。この3人が、通常の警察小説とは、描かれ方が違うのだ。
カミーユがもっとも信頼するルイ・マリア―ニは、富豪一家の息子であり、身なりも洒落ている。しかしもちろん本物の富豪だから、それを鼻にかけることはしない。頭脳の切れ味と行動力はピカイチである。カミーユはルイを、いわば後継者と考えている。
アルマンは徹底したケチで知られる。タバコは常にもらいタバコ、新聞は、少し早めの通勤電車に乗り、駅のホームでクズ籠を漁る。しかしアルマンは、聞き込みの捜査などで、徹底したポイントを挙げる。
ジャン=クロード・マレヴァルは、常軌を逸した浪費家で、ギャンブルをやり、女にもてる。夜の付き合いが忙しいため、朝からもう疲れている。カミーユはマレヴァルの借金を背負ってやり、同時に馘を言い渡す。
通常の警察小説と違うのは、ふつう署で働く人間は、そういう中に囲い込まれて、刑事の枠を超えないように描写されるが、ここではそこからはみ出している。
そのもっとも典型は、カミーユである。カミーユは、見た目が145センチしかないのだ。
ピエール・ルメートルが、なぜこんな小男を主人公にしたのかは、不明である。ひょっとすると、シャーロック・ホームズ張りに、こういう警官または探偵が、モデルとしていたのかもしれない。
それは分からないが、何かそういうことがないと、主人公が極端な小男というのが、腑に落ちない。もちろんそのことで、カミーユが得をすることもない。
なお犯罪現場の描写が話題を呼んだが、それはこういうものだ。
「なにしろそれの結果がそこらじゅうに散らばり、どこに目をやればいいのかもわからない。右手の床には腹を裂かれた胴体があり、肋骨が折れて乳房を貫いている。無数の傷があるようだが、排泄物にまみれているので細部はわからず、確かなのは女性だということだけだ。」
これだけだと大したことはない。ここからさらに踏み込む。
「左方には頭が(これも女性)転がっていて、目が焼かれている。あんぐり開いた口からは気管や血管がはみ出ていて、喉に手を突っ込んでつかみ出したとしか思えない。正面にはその頭が属していたと思われる――もう一つの胴体があり、切り傷に沿って皮膚が一部剝がされている。下腹部には深い穴が開いていて、こちらは酸を使ったものと思われる。」
かなり陰惨だが、解剖学の教科書を読んでいるようで、文章は端正であり、気持ちが悪いということはなかった。
(『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル、橘明美、
文春文庫、2015年10月10日初刷)
これは3部作の第一弾で、『その女アレックス』『傷だらけのカミーユ』と続く。
裏表紙の惹句はこうだ。
「異様な手口で惨殺された二人の女。カミーユ・ヴェルーヴェン警部は部下たちと捜査を開始するが、やがて第二の事件が発生。カミーユは事件の恐るべき共通点を発見する。……『その女アレックス』の著者が放つミステリ賞4冠に輝く衝撃作。あまりに悪意に満ちた犯罪計画――あなたも犯人の悪意から逃れられない。」
この惹句は、まあ50点。これは第一部と第二部があって、それぞれを叙述しているのが、違う人間である、と言うことを書かなきゃ。「あなたも犯人の悪意から逃れられない」ってさあ、安っぽくがなり立てる、TVコマーシャルじゃないんだから。
つまり第一部を書いているのは誰か、という謎を、最初に振っておかないと、この異様な面白さは半減してしまう。
もう一つは、文体である。著者のフランス語が特異なのか、訳者の橘明美の日本語がきわだっているのか、それは分からない。あるいは両方ともが優れているのか。
とにかくいったん小説の中に入れば、もう目が離せない、そこから出てくることはできない。脳の回転と心臓の鼓動が、どんどん早くなって、頁を繰る手もまだるっこしい。
もちろん警察小説だから、その系譜に入っているが、でもちょっと違う。捜査部班長のカミーユ・ヴェルーヴェン警部は、3人の部下を持っている。この3人が、通常の警察小説とは、描かれ方が違うのだ。
カミーユがもっとも信頼するルイ・マリア―ニは、富豪一家の息子であり、身なりも洒落ている。しかしもちろん本物の富豪だから、それを鼻にかけることはしない。頭脳の切れ味と行動力はピカイチである。カミーユはルイを、いわば後継者と考えている。
アルマンは徹底したケチで知られる。タバコは常にもらいタバコ、新聞は、少し早めの通勤電車に乗り、駅のホームでクズ籠を漁る。しかしアルマンは、聞き込みの捜査などで、徹底したポイントを挙げる。
ジャン=クロード・マレヴァルは、常軌を逸した浪費家で、ギャンブルをやり、女にもてる。夜の付き合いが忙しいため、朝からもう疲れている。カミーユはマレヴァルの借金を背負ってやり、同時に馘を言い渡す。
通常の警察小説と違うのは、ふつう署で働く人間は、そういう中に囲い込まれて、刑事の枠を超えないように描写されるが、ここではそこからはみ出している。
そのもっとも典型は、カミーユである。カミーユは、見た目が145センチしかないのだ。
ピエール・ルメートルが、なぜこんな小男を主人公にしたのかは、不明である。ひょっとすると、シャーロック・ホームズ張りに、こういう警官または探偵が、モデルとしていたのかもしれない。
それは分からないが、何かそういうことがないと、主人公が極端な小男というのが、腑に落ちない。もちろんそのことで、カミーユが得をすることもない。
なお犯罪現場の描写が話題を呼んだが、それはこういうものだ。
「なにしろそれの結果がそこらじゅうに散らばり、どこに目をやればいいのかもわからない。右手の床には腹を裂かれた胴体があり、肋骨が折れて乳房を貫いている。無数の傷があるようだが、排泄物にまみれているので細部はわからず、確かなのは女性だということだけだ。」
これだけだと大したことはない。ここからさらに踏み込む。
「左方には頭が(これも女性)転がっていて、目が焼かれている。あんぐり開いた口からは気管や血管がはみ出ていて、喉に手を突っ込んでつかみ出したとしか思えない。正面にはその頭が属していたと思われる――もう一つの胴体があり、切り傷に沿って皮膚が一部剝がされている。下腹部には深い穴が開いていて、こちらは酸を使ったものと思われる。」
かなり陰惨だが、解剖学の教科書を読んでいるようで、文章は端正であり、気持ちが悪いということはなかった。
(『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル、橘明美、
文春文庫、2015年10月10日初刷)
いつまでも書き続けてほしい――『成城だより Ⅲ』(大岡昇平)(4)
10月のある日曜日。
「午後は仮寝。蓮實重彥氏編集の映画誌『リュミエール』創刊号(筑摩書房)を読む。ヴェンダース、エリセ、シュミット、イーストウッドの名を表紙に刷り、『パリ・テキサス』のスチールを載す。台本も収録。〔中略〕エリセが『ミツバチのささやき』の監督で、シュミットが死にかけているオペラを甦らせるために『トスカの接吻』を撮ったのを知った。」(10月6日)
そうか、『リュミエール』はこの年の創刊だったのか。何かお祝いの会があり、筑摩書房の人間が7,8人、レストランで蓮實先生を囲んで集まり、その中に僕もいた。
僕は、筑摩の『リュミエール』の編集責任者のⅯさんや、その上司のAさんとは、別の編集部にいたから、たぶん正式の祝いの会ではない。でも非常に楽しかった記憶はある。
思えばこのころにはもう、筑摩における僕の位置はほとんどなかった。さっさと辞めればいいものを、その先が分からなくて、シュリンクしていた。実に平凡極まる〝優等生〟だった。
大岡のこの日の日記は終始、映画のことが占める。
「わが家にも遂にVTRが入って、念願の『東京物語』を見て、まさに傑作であることを納得した。『東京』が鉄材の組立てで表わされ、死に行く老母の寝姿とカットバックで、尾道の水や舟が映し出されるのに感服した。笠〔智衆〕という老父役の『そこにいる』だけの演技に感服した。この俳優を見付け出した小津安二郎の眼に感服したのである。」(10月6日)
『東京物語』は傑作である。もっとも笠智衆は、「『そこにいる』だけの演技」以外は、たぶんやれないんだろうが。笠智衆はどこにいても、いつでも笠智衆なのだ。
さらにこんな反省も。
「『パリの屋根の下』も見た。いくら歌謡曲映画とはいえ、こんなばかげた人物ばかり出没する映画を、我慢できたわが青春がいかに痴呆的であったかを反省した。いまの若い者のことばかりいえない。」(10月6日)
ルネ・クレール監督の映画。僕も見たけれど、まったく覚えていない。「パリ祭」だけを聞いていたに違いない。「ばかげた人物ばかり出没する映画」、果たしてそうか。なんだか観たくなってきたぞ。
読んだ本を忘れている、というのは、すべての読書家の嘆きである。
大岡昇平は、ギュルヴィッチの『弁証法と社会学』と聞いて、書庫を捜す。するとあった。これはフランス語の本で、フラマリオンから出ている。
ギュルヴィッチは、ソルボンヌの教授らしい律義さで、プラトン、フィヒテ、ヘーゲル、マルクスを論じ、補遺としてサルトルの弁証法までを講じている。
「そして驚くべきことに、私はそれを読んでいるのだ。傍線がずっと引いてある。しかしいま私の頭には何も残っていない。読んだことも、本が書庫にあることも忘れている。私の中にはこの本から何も残っていないのだ。
情けない。失われた時間だ。」(10月17日)
いくら傍線を引いても、そしてそれが書庫にあっても、まったく忘れている。
これは山田太一も『月日の残像』に、嘆きつつ書いていた、どうして自分は、本を読んで、そして忘れてしまうのだろう、と。
大岡昇平も山田太一も、忘れてしまうんだ。脳の病気をした僕が、片っ端から忘れていくのもしょうがない。そう思って安心する。ま、安心してもしょうがないけど。
12月10日の項に、「大型新人山田詠美『ベッドタイムアイズ』(「文藝」)」が注目すべきだ、として挙がっている。
ちょうどこのころ、新宿のバー「アンダンテ」で山田詠美さんを見ている。河出の編集者と一緒だったが、店にいる間、一言も喋らなかった。『ベッドタイムアイズ』の宣伝で、文壇バーを回っていたのだろう。
僕はこの小説を読んだことはない。でもここで、大岡昇平が挙げているのは縁である、読んでみよう。
この本の「解説」を金井美恵子が書いていて、そこにこんな文章がある。
「大岡昇平には、『何が潔いもの』があるのではないだろうか。」
本当にこういう人は、ずっと生き続けてほしかった。そして『成城だより』を出し続けてほしかった。
大岡昇平はこの「日記」を書いてから、3年後、1988年に亡くなった。
(『成城だより Ⅲ』大岡昇平、中央公論新社、2019年10月25日初刷)
「午後は仮寝。蓮實重彥氏編集の映画誌『リュミエール』創刊号(筑摩書房)を読む。ヴェンダース、エリセ、シュミット、イーストウッドの名を表紙に刷り、『パリ・テキサス』のスチールを載す。台本も収録。〔中略〕エリセが『ミツバチのささやき』の監督で、シュミットが死にかけているオペラを甦らせるために『トスカの接吻』を撮ったのを知った。」(10月6日)
そうか、『リュミエール』はこの年の創刊だったのか。何かお祝いの会があり、筑摩書房の人間が7,8人、レストランで蓮實先生を囲んで集まり、その中に僕もいた。
僕は、筑摩の『リュミエール』の編集責任者のⅯさんや、その上司のAさんとは、別の編集部にいたから、たぶん正式の祝いの会ではない。でも非常に楽しかった記憶はある。
思えばこのころにはもう、筑摩における僕の位置はほとんどなかった。さっさと辞めればいいものを、その先が分からなくて、シュリンクしていた。実に平凡極まる〝優等生〟だった。
大岡のこの日の日記は終始、映画のことが占める。
「わが家にも遂にVTRが入って、念願の『東京物語』を見て、まさに傑作であることを納得した。『東京』が鉄材の組立てで表わされ、死に行く老母の寝姿とカットバックで、尾道の水や舟が映し出されるのに感服した。笠〔智衆〕という老父役の『そこにいる』だけの演技に感服した。この俳優を見付け出した小津安二郎の眼に感服したのである。」(10月6日)
『東京物語』は傑作である。もっとも笠智衆は、「『そこにいる』だけの演技」以外は、たぶんやれないんだろうが。笠智衆はどこにいても、いつでも笠智衆なのだ。
さらにこんな反省も。
「『パリの屋根の下』も見た。いくら歌謡曲映画とはいえ、こんなばかげた人物ばかり出没する映画を、我慢できたわが青春がいかに痴呆的であったかを反省した。いまの若い者のことばかりいえない。」(10月6日)
ルネ・クレール監督の映画。僕も見たけれど、まったく覚えていない。「パリ祭」だけを聞いていたに違いない。「ばかげた人物ばかり出没する映画」、果たしてそうか。なんだか観たくなってきたぞ。
読んだ本を忘れている、というのは、すべての読書家の嘆きである。
大岡昇平は、ギュルヴィッチの『弁証法と社会学』と聞いて、書庫を捜す。するとあった。これはフランス語の本で、フラマリオンから出ている。
ギュルヴィッチは、ソルボンヌの教授らしい律義さで、プラトン、フィヒテ、ヘーゲル、マルクスを論じ、補遺としてサルトルの弁証法までを講じている。
「そして驚くべきことに、私はそれを読んでいるのだ。傍線がずっと引いてある。しかしいま私の頭には何も残っていない。読んだことも、本が書庫にあることも忘れている。私の中にはこの本から何も残っていないのだ。
情けない。失われた時間だ。」(10月17日)
いくら傍線を引いても、そしてそれが書庫にあっても、まったく忘れている。
これは山田太一も『月日の残像』に、嘆きつつ書いていた、どうして自分は、本を読んで、そして忘れてしまうのだろう、と。
大岡昇平も山田太一も、忘れてしまうんだ。脳の病気をした僕が、片っ端から忘れていくのもしょうがない。そう思って安心する。ま、安心してもしょうがないけど。
12月10日の項に、「大型新人山田詠美『ベッドタイムアイズ』(「文藝」)」が注目すべきだ、として挙がっている。
ちょうどこのころ、新宿のバー「アンダンテ」で山田詠美さんを見ている。河出の編集者と一緒だったが、店にいる間、一言も喋らなかった。『ベッドタイムアイズ』の宣伝で、文壇バーを回っていたのだろう。
僕はこの小説を読んだことはない。でもここで、大岡昇平が挙げているのは縁である、読んでみよう。
この本の「解説」を金井美恵子が書いていて、そこにこんな文章がある。
「大岡昇平には、『何が潔いもの』があるのではないだろうか。」
本当にこういう人は、ずっと生き続けてほしかった。そして『成城だより』を出し続けてほしかった。
大岡昇平はこの「日記」を書いてから、3年後、1988年に亡くなった。
(『成城だより Ⅲ』大岡昇平、中央公論新社、2019年10月25日初刷)
いつまでも書き続けてほしい――『成城だより Ⅲ』(大岡昇平)(3)
自身の小説についても、大岡は苦い反省を込めて書いている。
「結局、『武蔵野夫人』は独歩『武蔵野』に及ばず。多摩川流路変遷と富士の崩壊を結びつける雄大なる空間構成が、独歩の迷路としての武蔵野のセンチメンタルな描写にかなわないのはうらめしい。」(7月1日)
『武蔵野夫人』が、どういう小説かは知らない。ただ「××夫人」というからには、主人公は女性で、どちらかといえば、裕福な有閑マダムを想像するではないか。
「多摩川流路変遷と富士の崩壊を結びつける雄大なる空間構成」など、どこをどう探っても出てこない。これはやはり一読に値するか。しかしこれ、終戦直後のベストセラー小説だった気がするが、それでも独歩の『武蔵野』に及ばない?
8月6日は「ヒロシマ記念日」。大岡は、富士の裾野の山小屋にいる。
いろんなことが書かれている中に、次の記事が。
「世界中に反核デモあり、アメリカ国内百五十名逮捕、イギリス四十七名、西独『緑の党』五十八名、デンマーク七十二名、デモまったくなく逮捕者なきは日本のみ。
ニューヨークタイムスのコラムニスト、アンソニー・ルイスはこの日ヒロシマに来り、式場の異様な『静けさ』『平和の息吹』を報告す。」
大岡はこれについては、いかなる論評も加えていない。
最初はみんな、やりきれない思いを抱いただろう。第2次大戦は、日本が真珠湾で戦争を仕掛け、最後はアメリカが、広島・長崎の市民の命を奪ったのだ。
そういうもろもろの感情を内に秘めたまま、それは儀式として凍結されてしまった。
かわって、次のような記事もある。
「グリコ・森永事件の犯人取逃がした滋賀県警元本部長、昨日焼身自殺。警察制度動脈硬化の犠牲なり。傷ましきこと重なる八月。」(8月7日)
グリコ・森永事件は、あのころだったんだ。劇場型犯罪と言われ、大捕物をやって失敗したにしては、誰も直接には傷つけることなく、すべては忘却の彼方へ、と思っていたが、自殺者がいたんだ。
このごろでは、兵庫県知事の辞職問題で自殺者が出ているが、官吏の自殺の事情は、外からは分からない。官吏の人生を歩んでくれば、それが断ち切られているように見えたとき、世界がなくなるのだろうか。そういうことなのか。
この8月は、日航ジャンボジェット機123便の、遭難のニュースがある。
また例年のごとく、靖国神社参拝問題が世間を賑わしている。
「政府、靖国審議会答申を無視し、合憲といい切る。昇殿する。しかしお祓いを受けず、榊〔さかき〕ではなく花を供えるから宗教儀式ではない、しかし花代三万円は公費出費する。それでも『合憲』と称す。前日になってのこの居直りは自民党のお家芸なるも、戦後四十年、かかるインチキまかり通る世の中になりたるを銘記すべし。」(8月14日)
これも今となっては形骸化して、かえって意味のある儀式になってしまった。
「靖国参拝、一パーセント枠撤廃、スパイ防止法の三種の神器と日航事故は、同根なり。高度成長の裏の手抜きの結果、五百二十人の人民の死来れり。それをまたごまかそうとして、今年の八月十五日の悪夢となれり。」(8月14日)
よくある嘆きだが、しかし考えてみると、政治面については、なぜこうも次から次へと、うまくいかないことが続いていくのだろう。
かりに日本人がもう少し賢くなったら、というのは、選挙でもう少し自覚的に投票すれば、この国の歴史は変わっていくのだろうか。
大岡昇平がこの嘆きを書きつけて40年、いまだに賢くなれない私たちは、このままずっと、この嘆きを書きつけていくのか。
「結局、『武蔵野夫人』は独歩『武蔵野』に及ばず。多摩川流路変遷と富士の崩壊を結びつける雄大なる空間構成が、独歩の迷路としての武蔵野のセンチメンタルな描写にかなわないのはうらめしい。」(7月1日)
『武蔵野夫人』が、どういう小説かは知らない。ただ「××夫人」というからには、主人公は女性で、どちらかといえば、裕福な有閑マダムを想像するではないか。
「多摩川流路変遷と富士の崩壊を結びつける雄大なる空間構成」など、どこをどう探っても出てこない。これはやはり一読に値するか。しかしこれ、終戦直後のベストセラー小説だった気がするが、それでも独歩の『武蔵野』に及ばない?
8月6日は「ヒロシマ記念日」。大岡は、富士の裾野の山小屋にいる。
いろんなことが書かれている中に、次の記事が。
「世界中に反核デモあり、アメリカ国内百五十名逮捕、イギリス四十七名、西独『緑の党』五十八名、デンマーク七十二名、デモまったくなく逮捕者なきは日本のみ。
ニューヨークタイムスのコラムニスト、アンソニー・ルイスはこの日ヒロシマに来り、式場の異様な『静けさ』『平和の息吹』を報告す。」
大岡はこれについては、いかなる論評も加えていない。
最初はみんな、やりきれない思いを抱いただろう。第2次大戦は、日本が真珠湾で戦争を仕掛け、最後はアメリカが、広島・長崎の市民の命を奪ったのだ。
そういうもろもろの感情を内に秘めたまま、それは儀式として凍結されてしまった。
かわって、次のような記事もある。
「グリコ・森永事件の犯人取逃がした滋賀県警元本部長、昨日焼身自殺。警察制度動脈硬化の犠牲なり。傷ましきこと重なる八月。」(8月7日)
グリコ・森永事件は、あのころだったんだ。劇場型犯罪と言われ、大捕物をやって失敗したにしては、誰も直接には傷つけることなく、すべては忘却の彼方へ、と思っていたが、自殺者がいたんだ。
このごろでは、兵庫県知事の辞職問題で自殺者が出ているが、官吏の自殺の事情は、外からは分からない。官吏の人生を歩んでくれば、それが断ち切られているように見えたとき、世界がなくなるのだろうか。そういうことなのか。
この8月は、日航ジャンボジェット機123便の、遭難のニュースがある。
また例年のごとく、靖国神社参拝問題が世間を賑わしている。
「政府、靖国審議会答申を無視し、合憲といい切る。昇殿する。しかしお祓いを受けず、榊〔さかき〕ではなく花を供えるから宗教儀式ではない、しかし花代三万円は公費出費する。それでも『合憲』と称す。前日になってのこの居直りは自民党のお家芸なるも、戦後四十年、かかるインチキまかり通る世の中になりたるを銘記すべし。」(8月14日)
これも今となっては形骸化して、かえって意味のある儀式になってしまった。
「靖国参拝、一パーセント枠撤廃、スパイ防止法の三種の神器と日航事故は、同根なり。高度成長の裏の手抜きの結果、五百二十人の人民の死来れり。それをまたごまかそうとして、今年の八月十五日の悪夢となれり。」(8月14日)
よくある嘆きだが、しかし考えてみると、政治面については、なぜこうも次から次へと、うまくいかないことが続いていくのだろう。
かりに日本人がもう少し賢くなったら、というのは、選挙でもう少し自覚的に投票すれば、この国の歴史は変わっていくのだろうか。
大岡昇平がこの嘆きを書きつけて40年、いまだに賢くなれない私たちは、このままずっと、この嘆きを書きつけていくのか。