どう考えたらいいのか――『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一)(3)

地震予知は、今では行われていない。地震予知の批判のきっかけを作ったのは、ロバート・ゲラー東大名誉教授である。

「ゲラー氏によると『地震の前兆現象』といわれているものは1万件以上あるという。いずれもその現象が起きれば必ず地震が発生するという再現性があるものではなく、因果関係が証明されたものはないという。米国では1980年代に予知の研究はほぼ行われなくなった。」
 
ゲラー氏はまた、「地震の前兆現象」はオカルトみたいなもの、予知が可能と言っている学者は全員、「詐欺師」であると言い切る。ゲラー氏は、日本の学者の「地震ムラ」からは弾かれた存在だから、言いたい放題である。
 
それでも90年代半ばまでは、地震予知の研究をしていると言えば、他の分野よりも、よほど楽に研究費が出たという。
 
そういう流れに終止符を打ったのは、95年の「阪神・淡路大震災」であった。関西では大地震は起こらない、といった「安全神話」ができていたが、それはもろくも崩れ去った。
 
当時、科学技術庁長官の田中真紀子は、地震予知推進本部長を兼ねていたが、「地震予知に金を使うぐらいだったら、元気のよいナマズを飼ったほうがいい」と言い放ったという。
 
面白いなあ。しかしこういう威勢のいい、完膚なきまでの批判は、なにか引っかかるものがある。
 
それはともかく、「地震予知推進本部」は「地震調査研究推進本部」に看板を掛け代え、政府の目標も地震の「予知」から、「予測」に切り替わった。
 
さあそれで、何が変わったのだろうか。ピンポイントの地震予知の代わりに、向こう何十年かに、何パーセントの確率で地震が起こるというのは、文字通り看板の掛け代えの意味しかないのではないか。著者はそう考える。
 
一方、ある学者はこう言う。

「地震防災に貢献してほしいと手厚い予算を付ける国の意志に反し、研究者は地震学を防災へ役立てようという意識はそれほど強くない。本気で予知を目指している研究者なんていませんでした。」
 
この歪みは大きい。ほとんど国策になっている地震防災策が、どこを目指しているのか、分からなくなっている。
 
現在の地震予測における、「30年以内の地震発生確率」を公表する必要性は、どれほどあるだろうか、と著者は言う。
 
そもそも「全国地震動予測地図」は、どうしてこれほど外れるのか。近年の地震で、当たったものは皆無である。

著者はその理由を、こう説明する。

「理由の一つとして、数十年から数百年ごとに起きるとされる海溝型地震と、数千年、数万年単位で起きる内陸の活断層型の地震を、『30年』という短い間隔に当てはめて予測をしていることが挙げられる。」
 
この「30年」という数字は、人が人生設計をする上で、ちょうどいい長さということで、地震学的な意味はまったくない。
 
著者は最後にこういう。

「地震学がするべき事は、いつにこだわるのではなく、その地にどのような被害が起こりやすいのか、防ぐためにはどんな対策が必要なのかということを正しく伝えることなのではないだろうか。」
 
こんなきれいごとでは、それこそ何も言っていないに等しい、と私は思う。
 
ではどういうふうに、この国の地震学を引っ張っていけばよいか。そう考えると、私などには見当もつかない。
 
いっそ地震学なんて、きれいさっぱり辞めてしまってはどうか。そういう乱暴なことを思えば、この日本にいて絶対に必要なのは、地震学だということが分かる。
 
元気なナマズでも飼っていた方がいい、という田中真紀子の言い草が、面白いけれどもそうはいかない、と引っかかったのは、そういうことである。
 
読み終えてしばし呆然とし、今もまだ同じ心持ちである。

(『南海トラフ地震の真実』小沢慧一、
 東京新聞、2023年8月31日初刷、2024年3月11日第5刷)