どう考えたらいいのか――『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一)(2)

そもそも南海トラフ地震は、高知県室津港〔むろつこう〕の水深データを測って、それに基づき推測したものだ。
 
著者は、このデータは一体いつごろ測ったものか、という疑問を抱く。そしてこれが、なんと江戸時代に遡ることを発見する。

土佐藩では、江戸時代に「港役人」という役職があり、代々、久保野〔くぼの〕家の者が、港の水深を測っていたのである。

江戸時代の役人に、近代科学における港の水深データを測ることはできない。というか、そもそもどこをどうやって水深を測ったものか、皆目見当もつかない。

ところが、1930年に「久保野文書」を引用して、港の深さを学者が報告し、そのデータをもとに1980年に、ときの学者が、南海トラフ地震に適合するモデルを提唱したのだ。
 
そして国がそのモデルを利用して、70~80%の確率で地震が起こることを、予測したのである。
 
つまり「久保野文書」に書かれた、室津港の水深データが、予測モデルの最大の根拠なのである。このデータに基づき、厖大な予算が組まれた。

「南海トラフ地震対策は2013年度から2023年度までに約57兆円が使われ、さらに2025年度までに事業規模15兆円の対策が講じられる国土強靭化計画の重要な旗印の一つで、地震調査研究関係予算は年間約100億円(2023年度概算要求額)が使われている。古文書は南海トラフ地震の『切迫性』を示す重要な根拠だ。」
 
この「第4章 久保野文書を追う」と「第5章 久保野文書検証チーム」は、まことに面白い。
 
物事の前提に戻り、そのまた前提に戻り、ということを繰り返していけば、とんでもないところに出てしまう。そういうことが、こともあろうに、地震予測データの世界で起きたのである。
 
そもそもこの原典は「写し」であり、さらにその原典も「写し」であり、もう一つ奥の原典も、江戸時代の村役人が、手帳に書いていたものの「写し」なのである。では、本物の原典はどこにあるのか。
 
著者たちは、さまざまな史料を捜したが、これが原典だというものは、ついに見つからなかった。著者は、藪の中というか、深い森の中をさまよい、途方に暮れている。
 
私にはここまででも十分面白いが、これから先は、地震をどう予測するかの話で、もっと面白くなる。いや、面白いでは済まない、厄介な問題を抱えている。
 
ところで、「地震予測」と「地震予知」は、地震関係者の間では違うということを、私は知らなかった。

「地震予測と地震予知とでは、その手法が異なる。地震予測は過去に起きた地震の統計から、『30年以内に何%』などと大ざっぱな次の地震の時期を予測するものに対し、地震予知は地震が起きる前に発生すると考えられている前兆現象を観測でとらえ、『3日以内に静岡県で地震が発生する』などとピンポイントで言い当てるものだ。」
 
結論を先に言うなら、現在の地震学では、因果関係が証明された前兆現象は、発見されていない。つまり地震予知はできない。
 
しかし政府は、1978年から約40年間、地震予知ができることを前提とした、防災対策を取り続けた。「地震予知のため」といえば、巨額な研究予算が下りてくる、という体制が続いてきた。
 
1978年に地震予知を前提とした、「大規模地震対策特別措置法」(「大震法」)ができ、静岡県は地震防災対策強化地域として、1979年度から2020年度までに、2兆5119億円の対策費がとられた。

「『予知情報』を発表した場合は、首相が強制力のある『警戒宣言』を発令し、百貨店の営業停止や鉄道の運行停止など経済活動を制限して地震に備えるという、国家を巻き込んだ大がかりな仕組みだ。なお、空振りの場合一日数千億円の損失が出ると試算されていた。」
 
このころは世論も含めて、地震予知ができればいいな、から地震予知はできる、にすり替わっていたのだ。今になって、その迷妄はいくらでも非難できる。
 
ただ私は、今から振り返って、地震予知はできる、とした人々を、一方的に非難する気持ちにはなれない。そのとき、地震予知に一生をかけた科学者は、かならず何人かいたはずである。それを、できるわけないじゃないか、と笑うことは、私にはためらわれる、というかできないのだ。