こういう本はあまり好きではない。いろんな人が名前を挙げるので、何冊か本を買ったついでに、つい買ったものだ。
読む前に想像していたのは、地震のデータを集めるのに作為があり、それに従って予算が下りるために、科学界と政界が一緒になって、うまい汁を吸っている。それを熱血新聞記者が暴いてゆく、というものだった。
本の4分の1くらいまでは、そういうもので、大して面白くはない。
しかしそこから先が、自分でもどういうふうに考えたらよいのか、分からなくなってしまった。つまり大変面白かった。こういうことがあるから、本のついで買いはやめられない。
そもそも南海トラフの、トラフとは何か。
トラフは「盆」や「くぼみ」を意味する。南海トラフとは、「静岡県の駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域および土佐湾を経て宮崎県日向灘沖まで続く、海底の溝状のくぼみのことだ。」
もう少し細かく、地震に即して言うと、南海トラフのこのくぼみは、海側のプレートが、陸側のプレートの下に沈み込むことで生じている。これはたぶん、テレビなどで見たことがあると思う。
「海側のプレートは年数センチのペースで沈み込むが、そのときに陸側のプレートが一緒に地下に引きずり込まれる。元の形に戻ろうとする陸側のプレートにはひずみが溜まり、やがて限界に達して跳ね上がると、大きな揺れが起こる。」
この「やがて限界に達して(地震が起こる)」の「やがて」が、どのくらいかが問題なのだ。
現在は「2013年評価」というのが出ていて、これによれば地震は、2034年ごろに60~70%の確率で起こるとされている。
こんなに高い確率は、南海トラフ以外には知られていない。そこで、それ以外の地域では、むしろ安全を売り物にする。
熊本や、北海道地震の札幌市、苫小牧市は、長期評価においては地震がない、というデータを使って、企業誘致を進めていた。とんでもないことだった。
逆に言えば、南海トラフの研究だけは、国からの予算を獲得する「打ち出の小づち」だったのである。
「第三章 地震学側vs.行政・防災側」は、2013年の議事録によれば、地震学者と行政・防災側が真っ二つに割れている。著者は議事録を逐一読んでいくが、これがスリリングな面白さに満ちている。
「〔南海トラフ地震の〕対策は実務者レベルでも、地方でも、全部動いているわけです。何かを動かすというときにはまずお金を取らないと動かないんです。」
議事録は公開されるにあたっては、発言者は黒塗りである。こういうことでは、情報公開制度の意味がないだろう、と私は思う。
それはともかく、著者は、この生々しい発言に絶句する。
「確率が防災予算に影響することはあるだろうが、確率を決める議論と防災予算獲得の議論は別の話で、一緒に論じるべきではないだろう。」
ここまでの私の要約は、非常に乱暴なものだが、ごく大筋を言えば、そういうことだ。そしてここまでは、予想されたことだ。しかし、この後が違う。