あとは、肩書としては役に立たない「詩人」とは何者であるか、という古くて新しい問いの考察があり、続いて詩は何の役に立つのか、という頓智めいた謎かけがある。
その流れで、脳に皺を寄せて考えても分からない「難解詩」と、これは寺山がネーミングした「安解詩」へと話は進んでいく。「安解詩」とは、誰でも簡単に理解できる詩を指し、例として谷川俊太郎の次の詩が挙げられる。
「積上げる/会談を/あいさつを/積上げる/京劇を/文化人を/積上げる/政治を/経済を/積上げる/ゆらゆらと/ふらふらと/積上げる/いちばん下にあるものは何?」
谷川俊太郎が言葉遊びに徹すればするほど、なぜか楽しめなくなる、と寺山は言う。
最初からここまで読んできて思うのは、詩歌つまり文学も、一般普遍の事柄を扱っているようで、実はその時代に固有の問題を扱っている、ということである。もちろん現在でも問題になることはあるが、全体としては古色蒼然、今ではお話にならないことが大半である。
これは、ここに挙げた問題が、解決したというのではない。そうではなくて、問題は問題のまま、遠景に退いてきたということだ。
ただし寺山修司も、この本全体が否定の色を帯びているのは、気に入らなかったらしい。最後の「第五章 書斎でクジラを釣るための考察」では、身もふたもなく「戦後詩人」のベストセブンを挙げている。そして、その7人を挙げていく過程で、さまざまな考察をしている。
ちなみに「書斎でクジラを釣るための考察」の章題が、サブタイトルの「ユリシーズの不在」と関係しているかどうかは、私には分からない。
最初は俳句界から、西東三鬼を挙げる。しかしもちろん、石田波郷や中村草田男、山口誓子などは外すわけにはいかない、という留保を付してだ。
短歌は、戦後は不毛であった、と寺山は言う。短歌こそは、初期の寺山の土俵だから、ここはどうしても辛口になる。
「近藤芳美、葛原妙子、塚本邦雄、岡井隆といった人たちが戦後短歌史で評価に耐える数少ない『詩人』だと私は思っている。ここではその中の塚本邦雄をベストセブンに加えるのがいいのではないだろうか。」
寺山の塚本邦雄評は圧巻である。
「彼の短歌はいわばサキやジョン・コリアの短篇を読むようなエンターテイメントなのである。『遊び』ではあるが『慰戯』ではない。今日、彼の定型詩が自由詩よりもはるかに自由に見えるのは彼の詩の天賦の才のせいだということができるだろう。」
塚本邦雄についてはこのあと、締めに一首、例示してほしかった。
「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」(『日本人靈歌』)
残った5人を、詩人で埋めるのは芸がない。
そこでまず歌謡詩を考えてみる。戦前ならば西条八十、戦後ならば星野哲郎か青島幸男だが、ここは星野哲郎でいこう。そう言いつつ寺山は、青島幸男について書く。
「青島幸男もまたユニークな仕事をした詩人である。植木等のパーソナリティを媒体にして、停滞した一九六〇年代に怒りの詩を書きつづけた彼の漫画的な諷刺詩は、いわば市井からのメッセージ、落首の思想といったものに根ざしていた。それは戦前の『恋しい母の名も知らぬ』ような境涯ムードから脱却し、みずからの時代の無気力さへ呼びかける、話しことばの詩だったのである。」
このあと、青島幸男の詩が引用されている。
「学校出てから 十余年
今じゃ無職の 風来坊
通いなれたる パチンコで
取ったピースが 五万箱」
部分的に引いたが、寺山に称賛されても、こういう詩で人生を全うする気は、なかったものらしい。
その後、青島は国会議員から東京都知事になったが、晩年は冴えない顔でしょぼんとしていた。彼が特異な詩人であったことを、みな忘れてしまった。ここで「都知事詩人」という、あっと驚く大胆極まりない発想には、至らなかったようである。
これであと4人、以下はすべて詩人である。