曲がり角で逝ってしまった――『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』(坪内祐三)

これは、『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。』と対になるものだ。『右であれ左であれ……』の出たのが、2017年12月22日。坪内祐三が亡くなったのが、2020年1月13日。
 
するとこんどのは、2020年7月15日の発行だから、最初から姉妹編として対になるものではなく、死んだ後に雑誌の記事を集めて、1冊にした可能性が強い。
 
というような経緯を、編集者が書いておくべきではないか。
 
これは文句を言っているのではない。むしろ坪内さん亡きあと、編集者が選んだにしては、あの難しい坪内祐三の体臭まで、微細に汲み取っていて素晴らしい。それにこのタイトル、坪内さんが付けたとしか思えない。
 
あるいは夫人の佐久間文子さんも、かなり深いところまで編集に携わったのだろうか。
 
そういうことが、あったのかなかったのか、やはり書いておくべきだと思う。
 
本の全体は、一時代を築いた文人と、その周辺の人々を、追悼するものだ。

人だけではなく、書店が消えていき、坪内さんの主戦場だった、雑誌が消えていくさまも、痛恨の筆でもって書き留められている。

「第1章 文壇おくりびと」は、福田恆存、山口昌男、常盤新平、大西巨人、野坂昭如などを点描する。どれも坪内流というか、しみじみしていて、ちょっと悲しく、温かい気持ちにさせる。

「第2章 追悼の文学史」は、小林秀雄、正宗白鳥、長谷川四郎、十返肇など。身近に接した人たちではないから、ちょっとかしこまって追悼の「文学史」なのである。
 
第3章の「福田章二と庄司薫」は、長さも結構ある異色の文芸批評。しかし庄司薫は全部読んだはずなのに、僕はもうあらかた忘れていて、申し訳ない。
 
あとは出版をめぐる環境というか、それを取り巻く空気を考察する。「第4章 雑誌好き」、「第5章 記憶の書店、記憶の本棚」、「第6章 『東京』という空間」、「第7章 『平成』の終り」と続く。読書をめぐる空間と時間が、目まぐるしく変わりつつあるのを書き留めている。
 
たとえばこんなふうだ。

「今、本の世界は二極化してしまった。
 三千部(以下)の世界と三万部(以上)の世界に。〔中略〕
 三千部と三万部の間、すなわち八千部から二万部売れる新刊が存在する余地は今の書店状況にはない(それらの本を支えてくれたのが、昔は目にした町の書店だったのだ)。」
 
そこで坪内さんは、地域の本屋として、下高井戸にあった近藤書店や、経堂駅のキリン堂書店などを思い出す。
 
僕は烏山の駅近くにあった、烏山書房を思い出す。女房と2人で書棚を見ていて、「みすずのハンナ・アーレントがないね」と小声で言うと、いつの間にか店の人が寄ってきて、耳元で「ハンナ・アーレントの××と○○は、1週間以内に入ります」と言って、なんでもないように離れていった。そんなことは初めてで、あとにも先にもないことで、ドキドキした。
 
坪内さんの近藤書店やキリン堂書店、僕の行きつけだった烏山書房などは、とっくにない。
 
でもね、僕はもう要介護の身で、八幡山の啓文堂を見てまわるのが精いっぱい。都心の三省堂やジュンク堂には、行くことができない。そういう身としては、アマゾンや「日本の古本屋」を筆頭とするネット書店は、最後の命綱なのだ。

(『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』坪内祐三、
 幻戯書房、2020年7月15日初刷)

どう考えたらいいのか――『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一)(3)

地震予知は、今では行われていない。地震予知の批判のきっかけを作ったのは、ロバート・ゲラー東大名誉教授である。

「ゲラー氏によると『地震の前兆現象』といわれているものは1万件以上あるという。いずれもその現象が起きれば必ず地震が発生するという再現性があるものではなく、因果関係が証明されたものはないという。米国では1980年代に予知の研究はほぼ行われなくなった。」
 
ゲラー氏はまた、「地震の前兆現象」はオカルトみたいなもの、予知が可能と言っている学者は全員、「詐欺師」であると言い切る。ゲラー氏は、日本の学者の「地震ムラ」からは弾かれた存在だから、言いたい放題である。
 
それでも90年代半ばまでは、地震予知の研究をしていると言えば、他の分野よりも、よほど楽に研究費が出たという。
 
そういう流れに終止符を打ったのは、95年の「阪神・淡路大震災」であった。関西では大地震は起こらない、といった「安全神話」ができていたが、それはもろくも崩れ去った。
 
当時、科学技術庁長官の田中真紀子は、地震予知推進本部長を兼ねていたが、「地震予知に金を使うぐらいだったら、元気のよいナマズを飼ったほうがいい」と言い放ったという。
 
面白いなあ。しかしこういう威勢のいい、完膚なきまでの批判は、なにか引っかかるものがある。
 
それはともかく、「地震予知推進本部」は「地震調査研究推進本部」に看板を掛け代え、政府の目標も地震の「予知」から、「予測」に切り替わった。
 
さあそれで、何が変わったのだろうか。ピンポイントの地震予知の代わりに、向こう何十年かに、何パーセントの確率で地震が起こるというのは、文字通り看板の掛け代えの意味しかないのではないか。著者はそう考える。
 
一方、ある学者はこう言う。

「地震防災に貢献してほしいと手厚い予算を付ける国の意志に反し、研究者は地震学を防災へ役立てようという意識はそれほど強くない。本気で予知を目指している研究者なんていませんでした。」
 
この歪みは大きい。ほとんど国策になっている地震防災策が、どこを目指しているのか、分からなくなっている。
 
現在の地震予測における、「30年以内の地震発生確率」を公表する必要性は、どれほどあるだろうか、と著者は言う。
 
そもそも「全国地震動予測地図」は、どうしてこれほど外れるのか。近年の地震で、当たったものは皆無である。

著者はその理由を、こう説明する。

「理由の一つとして、数十年から数百年ごとに起きるとされる海溝型地震と、数千年、数万年単位で起きる内陸の活断層型の地震を、『30年』という短い間隔に当てはめて予測をしていることが挙げられる。」
 
この「30年」という数字は、人が人生設計をする上で、ちょうどいい長さということで、地震学的な意味はまったくない。
 
著者は最後にこういう。

「地震学がするべき事は、いつにこだわるのではなく、その地にどのような被害が起こりやすいのか、防ぐためにはどんな対策が必要なのかということを正しく伝えることなのではないだろうか。」
 
こんなきれいごとでは、それこそ何も言っていないに等しい、と私は思う。
 
ではどういうふうに、この国の地震学を引っ張っていけばよいか。そう考えると、私などには見当もつかない。
 
いっそ地震学なんて、きれいさっぱり辞めてしまってはどうか。そういう乱暴なことを思えば、この日本にいて絶対に必要なのは、地震学だということが分かる。
 
元気なナマズでも飼っていた方がいい、という田中真紀子の言い草が、面白いけれどもそうはいかない、と引っかかったのは、そういうことである。
 
読み終えてしばし呆然とし、今もまだ同じ心持ちである。

(『南海トラフ地震の真実』小沢慧一、
 東京新聞、2023年8月31日初刷、2024年3月11日第5刷)

どう考えたらいいのか――『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一)(2)

そもそも南海トラフ地震は、高知県室津港〔むろつこう〕の水深データを測って、それに基づき推測したものだ。
 
著者は、このデータは一体いつごろ測ったものか、という疑問を抱く。そしてこれが、なんと江戸時代に遡ることを発見する。

土佐藩では、江戸時代に「港役人」という役職があり、代々、久保野〔くぼの〕家の者が、港の水深を測っていたのである。

江戸時代の役人に、近代科学における港の水深データを測ることはできない。というか、そもそもどこをどうやって水深を測ったものか、皆目見当もつかない。

ところが、1930年に「久保野文書」を引用して、港の深さを学者が報告し、そのデータをもとに1980年に、ときの学者が、南海トラフ地震に適合するモデルを提唱したのだ。
 
そして国がそのモデルを利用して、70~80%の確率で地震が起こることを、予測したのである。
 
つまり「久保野文書」に書かれた、室津港の水深データが、予測モデルの最大の根拠なのである。このデータに基づき、厖大な予算が組まれた。

「南海トラフ地震対策は2013年度から2023年度までに約57兆円が使われ、さらに2025年度までに事業規模15兆円の対策が講じられる国土強靭化計画の重要な旗印の一つで、地震調査研究関係予算は年間約100億円(2023年度概算要求額)が使われている。古文書は南海トラフ地震の『切迫性』を示す重要な根拠だ。」
 
この「第4章 久保野文書を追う」と「第5章 久保野文書検証チーム」は、まことに面白い。
 
物事の前提に戻り、そのまた前提に戻り、ということを繰り返していけば、とんでもないところに出てしまう。そういうことが、こともあろうに、地震予測データの世界で起きたのである。
 
そもそもこの原典は「写し」であり、さらにその原典も「写し」であり、もう一つ奥の原典も、江戸時代の村役人が、手帳に書いていたものの「写し」なのである。では、本物の原典はどこにあるのか。
 
著者たちは、さまざまな史料を捜したが、これが原典だというものは、ついに見つからなかった。著者は、藪の中というか、深い森の中をさまよい、途方に暮れている。
 
私にはここまででも十分面白いが、これから先は、地震をどう予測するかの話で、もっと面白くなる。いや、面白いでは済まない、厄介な問題を抱えている。
 
ところで、「地震予測」と「地震予知」は、地震関係者の間では違うということを、私は知らなかった。

「地震予測と地震予知とでは、その手法が異なる。地震予測は過去に起きた地震の統計から、『30年以内に何%』などと大ざっぱな次の地震の時期を予測するものに対し、地震予知は地震が起きる前に発生すると考えられている前兆現象を観測でとらえ、『3日以内に静岡県で地震が発生する』などとピンポイントで言い当てるものだ。」
 
結論を先に言うなら、現在の地震学では、因果関係が証明された前兆現象は、発見されていない。つまり地震予知はできない。
 
しかし政府は、1978年から約40年間、地震予知ができることを前提とした、防災対策を取り続けた。「地震予知のため」といえば、巨額な研究予算が下りてくる、という体制が続いてきた。
 
1978年に地震予知を前提とした、「大規模地震対策特別措置法」(「大震法」)ができ、静岡県は地震防災対策強化地域として、1979年度から2020年度までに、2兆5119億円の対策費がとられた。

「『予知情報』を発表した場合は、首相が強制力のある『警戒宣言』を発令し、百貨店の営業停止や鉄道の運行停止など経済活動を制限して地震に備えるという、国家を巻き込んだ大がかりな仕組みだ。なお、空振りの場合一日数千億円の損失が出ると試算されていた。」
 
このころは世論も含めて、地震予知ができればいいな、から地震予知はできる、にすり替わっていたのだ。今になって、その迷妄はいくらでも非難できる。
 
ただ私は、今から振り返って、地震予知はできる、とした人々を、一方的に非難する気持ちにはなれない。そのとき、地震予知に一生をかけた科学者は、かならず何人かいたはずである。それを、できるわけないじゃないか、と笑うことは、私にはためらわれる、というかできないのだ。

どう考えたらいいのか――『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一)(1)

こういう本はあまり好きではない。いろんな人が名前を挙げるので、何冊か本を買ったついでに、つい買ったものだ。

読む前に想像していたのは、地震のデータを集めるのに作為があり、それに従って予算が下りるために、科学界と政界が一緒になって、うまい汁を吸っている。それを熱血新聞記者が暴いてゆく、というものだった。
 
本の4分の1くらいまでは、そういうもので、大して面白くはない。

しかしそこから先が、自分でもどういうふうに考えたらよいのか、分からなくなってしまった。つまり大変面白かった。こういうことがあるから、本のついで買いはやめられない。
 
そもそも南海トラフの、トラフとは何か。

トラフは「盆」や「くぼみ」を意味する。南海トラフとは、「静岡県の駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域および土佐湾を経て宮崎県日向灘沖まで続く、海底の溝状のくぼみのことだ。」
 
もう少し細かく、地震に即して言うと、南海トラフのこのくぼみは、海側のプレートが、陸側のプレートの下に沈み込むことで生じている。これはたぶん、テレビなどで見たことがあると思う。

「海側のプレートは年数センチのペースで沈み込むが、そのときに陸側のプレートが一緒に地下に引きずり込まれる。元の形に戻ろうとする陸側のプレートにはひずみが溜まり、やがて限界に達して跳ね上がると、大きな揺れが起こる。」
 
この「やがて限界に達して(地震が起こる)」の「やがて」が、どのくらいかが問題なのだ。
 
現在は「2013年評価」というのが出ていて、これによれば地震は、2034年ごろに60~70%の確率で起こるとされている。
 
こんなに高い確率は、南海トラフ以外には知られていない。そこで、それ以外の地域では、むしろ安全を売り物にする。

熊本や、北海道地震の札幌市、苫小牧市は、長期評価においては地震がない、というデータを使って、企業誘致を進めていた。とんでもないことだった。

逆に言えば、南海トラフの研究だけは、国からの予算を獲得する「打ち出の小づち」だったのである。

「第三章 地震学側vs.行政・防災側」は、2013年の議事録によれば、地震学者と行政・防災側が真っ二つに割れている。著者は議事録を逐一読んでいくが、これがスリリングな面白さに満ちている。

「〔南海トラフ地震の〕対策は実務者レベルでも、地方でも、全部動いているわけです。何かを動かすというときにはまずお金を取らないと動かないんです。」
 
議事録は公開されるにあたっては、発言者は黒塗りである。こういうことでは、情報公開制度の意味がないだろう、と私は思う。
 
それはともかく、著者は、この生々しい発言に絶句する。

「確率が防災予算に影響することはあるだろうが、確率を決める議論と防災予算獲得の議論は別の話で、一緒に論じるべきではないだろう。」
 
ここまでの私の要約は、非常に乱暴なものだが、ごく大筋を言えば、そういうことだ。そしてここまでは、予想されたことだ。しかし、この後が違う。

NHKの朝ドラ?――『水車小屋のネネ』(津村記久子)(2)

第二章はそれから10年。その間、何も起こらない。もちろん細々したことは起こる。起こって、そして、落ち着くところに落ち着く。ちょうどNHKの朝の連続テレビ小説と、同じことだ。
 
陰のある、わけありの男が流れてくるが、そういうものとして配置されているだけ。理佐はこの男と縁ができる。そして第三章では、その男と結婚している。

そういう安易な成り行きはやめてくれよ、と思いながら読んでいくと、そういうことになっている。

仮にそうであるにしても、理佐がその男と結婚するまでが、人生の本体ではないかと思うが、そこは省略される。
 
いろんな出来事があり、それを記述する文章の張りもあって、ついつい読まされてしまうが、終わりまで読むと、何にも残らなかったなあ、とつくづく阿保らしくなる。
 
オビの文句に、「誰かに親切にしなきゃ、/人生は長く退屈なものですよ」とあるが、これは次のように変えたい。

「よってたかって親切にする場面だけでは、/読書も長く退屈なものですよ」
 
人生が描けてない、つまり文学作品でないことについては、端的に2つのことを指摘すればよい。
 
1つは、金の話を徹底的に避けていること。第一章で、高校を出たばかりの理佐の心配の大半は、金のことに尽きている。そう言うことが露骨に書いてある。
 
ところが、蕎麦屋に雇われるときの給与は、なぜか伏せられているのだ。これでは「第一話 一九八一年」にした意味がない。時はバブルの前兆期、そういう世間に背を向けて、つましく生きてゆく姉妹。そこを際立たせないと、「一九八一年」に設定した意味が、まったくない。

そういう細部を押さえないで、蕎麦屋のおじさんもおばさんも、いいひとだ、いいひとだと、ただ礼賛されている。バカにするんじゃないよ!

ちなみに金の話は、50年にわたる五章の中で、ただ一カ所だけ。理佐と結婚することになる男に向かって、蕎麦屋のおばさんが、ネネの世話は時給900円、というところだけ。
 
もう1つは、水車小屋のネネだ。ネネの創作は実に見事で、もしこれがなかったら、本当にのんべんだらりとした、NHKの朝ドラと変わりがなくなる。
 
そういう魅力的なネネだが、肝心なことが抜けている。
 
最初に世話をする理佐や律が、ネネにエサを一度も与えず、フンの世話を、ただの一度もしないのだ。大きな鳥であれば、まず第一にフンの世話があるだろうに。
 
登場人物も、すべてこのありさま、人物に陰翳を与えるところは、すべてカットしてある。その結果、登場人物はすべていい人になり、いいこともすれば悪いこともする、といった濃淡や影は、みごとになくなり、譬えてみれば、みな極楽浄土の人のようだ。

その結果、オビには、「人々の親切」以外に書くことがなくなる。

「キノべス!2024」や「本屋大賞」は、それで仕方がない。追い詰められている書店にとっては、売れているものが「正義」なのだ。たとえそれが、どんなに安っぽい、いずれ読者が離れていく「正義」であったとしても。
 
問題は谷崎潤一郎賞だ。そう思って見てみると、『万延元年のフットボール』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『夢の木坂分岐点』は遥か昔のこと。だったら谷崎賞は、受賞作なしで通せばいいのに、ここでも追い詰められた出版界は、どうしようもなく『水車小屋のネネ』を選んでしまったのだ。
 
付け加えておけば、「キノべス!2024」や「本屋大賞」が、全部クビを傾げるものだというのではない。この間の最大の収穫、川上未映子『黄色い家』は、どちらにもちゃんと入っている。
 
要は売れているという以外に、基準がないので、つまり批評がないので、ミソもクソもごった煮になるということだ。
 
とはいえ津村記久子の小説は、これからも読むだろう。これだけはっきりとした文体を持った人なのだ、失敗したものもあれば、成功するものもある。次は期待している。

(『水車小屋のネネ』津村記久子、
 毎日新聞出版、2023年3月5日初刷、2024年1月20日第9刷)

NHKの朝ドラ?――『水車小屋のネネ』(津村記久子)(1)

津村記久子の毎日新聞連載小説。本は去年の3月に出て、僕が今年1月に買ったのは第9刷。ほぼ毎月、重版している。紀伊國屋の書店員が薦める「キノべス!2024」の第3位、2024年「本屋大賞」の第2位である。

「キノべス!2024」と、2024年「本屋大賞」の上位にランクされているのは、やや気になるが(つまり安っぽいんじゃないかと)、しかし谷崎賞受賞作だから間違いはあるまい。
 
津村記久子は『とにかくうちに帰ります』というのを、1冊だけ読んだことがある。すばらしく面白い小説だった。続けて読もうとしたが、あまりに作品が多すぎて、かえってわからなくなり、シュリンクしてしまった。
 
だから『水車小屋のネネ』は大いに期待した。

「理佐」と「律」は、年の離れた姉妹である。理佐は高校を出たばかり、律はこの4月から小学3年生だ。姉妹はおよそ10歳違う。
 
この小説は5章からなる。「第一話 一九八一年」、「第二話 一九九一年」、「第三話 二〇〇一年」、「第四話 二〇一一年」、「エピローグ 二〇二一年」と、10年ごと、50年にわたる大河小説なのだ。
 
姉妹の母親は、家族に暴力をふるう父親と離婚し、3人で暮らしているが、そのうち母親に男ができる。男は、小学生の律を邪険にし、律にとって家庭は、安心して住めるところではなくなる。
 
理佐は律を連れて、家を出て、田舎に職を求める。この姉妹が、これから暮らしてゆくには、周りの様々な助けが必要となる。その実際を、きめ細かい文章で描いて、第一章は見事である。
 
理佐が働くのは、蕎麦屋の夫婦のところで、この店は蕎麦粉を練って、打ち立てを出す。蕎麦粉は、近くにある水車小屋で挽いており、それを監督するのは、なんと一羽の、オウムに似たヨウムという鳥である。

この鳥は「ネネ」という名で、人間とごく初歩的な話ができる。だからこの小説のタイトルに使われているし、また50年にわたって活躍もする。

はじめに言っておくと、実際にヨウムがそういう鳥であるのか、それとも空想上のことなのかは、どちらでも構わない。ちなみに僕は、ヨウムが、そういう鳥であることを前提に読んだ。
 
姉妹はどちらも魅力的だ。第一章は、理佐の視点で書かれており、高校を出たばかりの女性が、妹を連れて、自活してゆく大変さと、周りの人々の、じわりと沁みこむ温かさが、絶妙の加減でストーリーを成り立たせる。
 
その中で、妹の律の、添景のような描写がすばらしい。

「律は図書館から、小学生向けの〈平家物語〉と〈シャーロック・ホームズ〉、そして印刷工場の仕組みを説明する本と、水田の一年を説明する本を借りていた。」
 
どうです、この書目の取り合わせは。小学3年になったばかりで、この組み合わせは素晴らしい。この女性が年頃になれば、実にいい女になっているに違いない。そう思わせる描写だ。
 
第一章はこうして姉妹が、おぼつかなくはあるけれど、いろんな人に助けられつつ、荒波を越えていく準備が出来たところまでである。
 
2人の姉妹は、ところがなんと、そのまま年は取るけれども、ずっとそのままなのだ。

このサブタイトルは必要か?――『戦後詩―ユリシーズの不在―』(寺山修司)(6)

後の4人は、谷川俊太郎、岩田宏、黒田善夫、吉岡実である。寺山は、谷川俊太郎、黒田善夫、吉岡実はすんなり選んだが、岩田宏を選ぶときに、田村隆一、長谷川龍生、北村太郎を思い浮かべて迷ってしまう。
 
つまりベストセブンはシャレであるとして、それ以外にも何人かの詩人が、同列、同ランクに入ってくるのだ(そういえばこのブログの最初に、長谷川龍生の「恐山」を引いている)。

そういう詩人たちのいちいちを述べるのは、骨である。ここでは寺山の、「実証不能のいいまわし」という、田村隆一のこんな詩句を挙げておこう。

 「ウイスキーを水でわるように
  言葉を意味でわるわけにはいかない」

谷川俊太郎と岩田宏については、詩を1篇ずつ引用しているだけだ。谷川については、もう十分すぎるほど書いた、と寺山が言っている。
 
岩田宏については、この本の別のところで、「神田神保町」という詩を引用している。私はこの詩が好きだ。

 「神保町の
  交差点の北五百メートル
  五十二段の階段を
  二十五才の失業者が
  思い出の重みにひかれて
  ゆるゆる降りて行く
  風はタバコの火の粉をとばし
  いちどきにオーバーの襟を焼く
  風邪や恋の思い出に目がくらみ
  手をひろげて失業者はつぶやく
  ここ 九段まで見える子の石段で
  魔法を待ちわび 魔法はこわれた
  あのひとはこなごなにころげおち
  街いつぱいに散らばつたかけらを調べに
  おれは降りて行く」(抜粋)

これは大学時代に、同級生のFが教えてくれたものだ。Fは今でも詩人である。
 
私は岩田宏というと、すぐに本名の小笠原豊樹を思い出す。その名前で厖大な翻訳がある。『ウィチャリー家の女』や『さむけ』のリュウ・アーチャーもの、つまりロス・マクドナルドの作品は、この人の翻訳なしには考えられない。小説などもたくさんある。
 
というふうに、岩田宏論を書こうとすれば、このブログの倍では効かないスペースがいる。
 
吉岡実は、ここにも引かれている「僧侶」を、学生のころから知っていた。

 「四人の僧侶
  庭園をそぞろ歩き
  ときに黒い布を巻きあげる
  棒の形
  憎しみもなしに
  若い女を叩く
  こうもりが叫ぶまで
  一人は食事をつくる
  一人は罪人を探しにゆく
  一人は自瀆
  一人は女に殺される」(抜粋)

吉岡実は筑摩書房で、少しの間だけ一緒だった。私が入って、筑摩は4か月で倒産し、吉岡さんはすぐに辞められた。考えてみれば、挨拶しかしたことはない。部署が違ったから。もう少し同じ会社にいれば、と思わずにはおられない。
 
黒田善夫については、暗唱できる詩もなく、思い浮かぶ詩句もない。
 
さてそこで、このサブタイトルは是か非か、という最初の問いに戻ってくる。

荒川洋治はこう述べる。

「『ユリシーズの不在』とはいったい何だろう。日本人の大多数はギリシア神話に暗い『風土』だから、これは無理。副題の失敗例かと思われる。『ユリシーズ』もわからないうえに『不在』がくると、よりわからないという、ぼくのような人は他にもいるだろう。」

だからサブタイトルとしては、失敗だというのだ。
 
寺山が一カ所、副題に関連して書いている。

「思えばホーマーの『オデッセウス』は、遠大な記号の世界への冒険を果したものである。彼は直径五〇センチにも足りない書斎のテーブルを無量の大洋と見なすことによって、自分をオデッセウスに化けさせたのだ。」
 
まあ、なんだか結局は分からない。本文では「オデッセウス」なのに、副題としては英語の「ユリシーズ」になっているのも、なんだかよく分からない。彼の頭の中には、ジェームズ・ジョイスが浮かんでいたのか。
 
寺山のサブタイトルを、そのまま読めば、「書斎のテーブルを無量の大洋と見なすことによって、自分をオデッセウスに化けさせた」戦後詩人はいない、ということになる。
 
たしかに『荒地』から『凶区』まで、寺山は集団の戦後詩を、全般的に否定している。
 
しかしそれなら、谷川俊太郎や吉岡実を称揚したのは、何だったのか。
 
結局、このサブタイトルはない方がよいか、と問われれば、そんなことはない、と私は思う。『戦後詩』というタイトルだけでは、まったくニュートラルで、どこにも引っ掛かりようがないのだ。
 
寺山修司は、「ユリシーズの不在」と付けても、誰にも分からないことを、分かっていたのではないか。その上で、渦巻く内面の気持ちを、なんとか伝えたかったのではないか。

(『戦後詩―ユリシーズの不在―』寺山修司、講談社文芸文庫、2013年8月9日初刷)

このサブタイトルは必要か?――『戦後詩―ユリシーズの不在―』(寺山修司)(5)

あとは、肩書としては役に立たない「詩人」とは何者であるか、という古くて新しい問いの考察があり、続いて詩は何の役に立つのか、という頓智めいた謎かけがある。
 
その流れで、脳に皺を寄せて考えても分からない「難解詩」と、これは寺山がネーミングした「安解詩」へと話は進んでいく。「安解詩」とは、誰でも簡単に理解できる詩を指し、例として谷川俊太郎の次の詩が挙げられる。

「積上げる/会談を/あいさつを/積上げる/京劇を/文化人を/積上げる/政治を/経済を/積上げる/ゆらゆらと/ふらふらと/積上げる/いちばん下にあるものは何?」
 
谷川俊太郎が言葉遊びに徹すればするほど、なぜか楽しめなくなる、と寺山は言う。
 
最初からここまで読んできて思うのは、詩歌つまり文学も、一般普遍の事柄を扱っているようで、実はその時代に固有の問題を扱っている、ということである。もちろん現在でも問題になることはあるが、全体としては古色蒼然、今ではお話にならないことが大半である。
 
これは、ここに挙げた問題が、解決したというのではない。そうではなくて、問題は問題のまま、遠景に退いてきたということだ。
 
ただし寺山修司も、この本全体が否定の色を帯びているのは、気に入らなかったらしい。最後の「第五章 書斎でクジラを釣るための考察」では、身もふたもなく「戦後詩人」のベストセブンを挙げている。そして、その7人を挙げていく過程で、さまざまな考察をしている。
 
ちなみに「書斎でクジラを釣るための考察」の章題が、サブタイトルの「ユリシーズの不在」と関係しているかどうかは、私には分からない。
 
最初は俳句界から、西東三鬼を挙げる。しかしもちろん、石田波郷や中村草田男、山口誓子などは外すわけにはいかない、という留保を付してだ。
 
短歌は、戦後は不毛であった、と寺山は言う。短歌こそは、初期の寺山の土俵だから、ここはどうしても辛口になる。

「近藤芳美、葛原妙子、塚本邦雄、岡井隆といった人たちが戦後短歌史で評価に耐える数少ない『詩人』だと私は思っている。ここではその中の塚本邦雄をベストセブンに加えるのがいいのではないだろうか。」
 
寺山の塚本邦雄評は圧巻である。

「彼の短歌はいわばサキやジョン・コリアの短篇を読むようなエンターテイメントなのである。『遊び』ではあるが『慰戯』ではない。今日、彼の定型詩が自由詩よりもはるかに自由に見えるのは彼の詩の天賦の才のせいだということができるだろう。」
 
塚本邦雄についてはこのあと、締めに一首、例示してほしかった。

「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」(『日本人靈歌』)
 
残った5人を、詩人で埋めるのは芸がない。

そこでまず歌謡詩を考えてみる。戦前ならば西条八十、戦後ならば星野哲郎か青島幸男だが、ここは星野哲郎でいこう。そう言いつつ寺山は、青島幸男について書く。

「青島幸男もまたユニークな仕事をした詩人である。植木等のパーソナリティを媒体にして、停滞した一九六〇年代に怒りの詩を書きつづけた彼の漫画的な諷刺詩は、いわば市井からのメッセージ、落首の思想といったものに根ざしていた。それは戦前の『恋しい母の名も知らぬ』ような境涯ムードから脱却し、みずからの時代の無気力さへ呼びかける、話しことばの詩だったのである。」
 
このあと、青島幸男の詩が引用されている。

 「学校出てから 十余年
  今じゃ無職の 風来坊
  通いなれたる パチンコで
  取ったピースが 五万箱」

部分的に引いたが、寺山に称賛されても、こういう詩で人生を全うする気は、なかったものらしい。

その後、青島は国会議員から東京都知事になったが、晩年は冴えない顔でしょぼんとしていた。彼が特異な詩人であったことを、みな忘れてしまった。ここで「都知事詩人」という、あっと驚く大胆極まりない発想には、至らなかったようである。
 
これであと4人、以下はすべて詩人である。

このサブタイトルは必要か?――『戦後詩―ユリシーズの不在―』(寺山修司)(4)

『凶区』は1964年に創刊し、1971年に「廃刊宣言号」を出して活動を終了した。天沢退二郎、渡辺武信、鈴木志郎康たち詩人が中心になり、ほかに金井美恵子、菅谷規矩雄らがいた。
 
私は学生時代、下北沢の古書店で、『凶区』のバックナンバーを見たことがある。当時はまったくの貧乏だったので、1冊も買うことはなかった。『凶区』という名にインパクトがあり、装幀も金をかけずに主張があった。
 
寺山修司は『凶区』を論じる中で、作品の引用はほとんどせずに、同人たちの日々の記録の抜粋を挙げる。

「×月×日 渡辺、大岡信に天沢の病気を報告。凶区はユニコンが満員でふられてアボニを発見。ホットドッグとミルク一〇〇円にカンゲキ。そのあと出て来たコブ茶のサービスに感泣。
 ×月×日 とうとうアメリカ原子力潜水艦シードラゴン佐世保へ入港。
 ×月×日 渡辺『ウェストサイドストーリー』を観る。
 ×月×日 野沢、藤田と下北沢で会い、北海道行きを引きとめムード。あとから来た彦坂と3時間話す。
 ×月×日 藤田、北海道へ出発。なお謎のある旅!」

これは『凶区』に毎号、4,5ページを取って公表される「凶区日録」の抜粋である。

「『凶区』は、私と同年代の詩人たちによる、のびのびとしたリトルマガジンで、詩のほかに作家論や映画のベストテン、ノンセクションのベストテンまでも載せている。いわば書斎派六本木族の機関誌といった感じのタイプ印刷誌である。」
 
だから詩人が多いとはいっても、どこかサロンふう雑誌のところがある。
 
それでも『凶区』の読者は、同人の知り合いばかりで、近況報告の葉書でも読むようなつもりで、この雑誌を読むのではあるまい。

「私が、この〈日録〉にこだわるのは、ここに戦後同人誌活動の一つの典型を見る思いがするからである。ここには『映画を観た』『本を読んだ』『万年筆を買った』という事柄はあるが、『怒った』『笑った』『泣いた』という感情の記録はない。なぜなら、事柄は連帯できるが、感情や欲望は連帯できがたいからである。」
 
私は先の「日録」を読むや、ただもう気恥ずかしさでいっぱいになり、身の置きどころが無くなる。それを公表して堂々としておられたのは、各人が自信を、今となってはよくわからない故ない自信を、持っていたからだろう。
 
しかし寺山は、どこまでも冷静である。

「私は、このできがたい感情の連帯、欲望の公約数といった広場へふみこもうとしている〈日録〉ならば、そこにこそ同人誌の本当の意味を認めるだろう。だが、それぞれが各自の性的問題にも(政治的関心の方向の差にも)踏みこまず、不可侵のドアをへだてて夏休みの宿題の日記帳を書いているのでは、いかにも『慰戯』の域を出ないと考える。〔中略〕自慰やエゴイスティックな個人的感情のことなどまで報告しなければ、こうした〈日録〉の意味はないのではなかろうか。」
 
書き写していると、寺山修司も、どこまでも冷静というわけでもない、と思い直す。