ただもう、びっくりした――『鬼の筆―戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折―』(春日太一)(7)

橋本忍は『真昼の暗黒』や『私は貝になりたい』を書いたので、共産党員だと思われていた。
 
しかし1958年に、松本清張の『張込み』をやって、「あれ以来、誰も僕を共産党だって言わなくなった」。

『張込み』は、刑事2人が犯人を待ち伏せして、ただひたすら張り込む話だった。暑い夏の盛りで、モノクロの画面から、汗が噴き出るようだった。ということも含めて、50年前にリバイバルでみて、単純な話だけれど鮮明に憶えている。
 
これは刑事の側に立ってシナリオを書いたので、誰も橋本を、共産党員とは見なさなくなったという。
 
しかし原作者の松本清張は、筋金入りの共産党シンパだったと思うが、そこはどうなっているのか。
 
付け加えて言っておくと、一方の『私は貝になりたい』は、芸術祭に出品されて、テレビドラマで初めて芸術祭賞を受賞した、記念碑的な作品である。
 
1960年代、橋本忍は「スター脚本家」の道を、まっしぐらに進んでいった。
 
おもなものを挙げれば、1960年『黒い画集 あるサラリーマンの証言』、61年『ゼロの焦点』、62年『切腹』、63年『白と黒』、64年『仇討』、65年『侍』『霧の旗』、66年『白い巨塔』、67年『日本のいちばん長い日』、68年『首』、69年『風林火山』『人斬り』などなど。
 
作品の規模やジャンルを問わず、名作や問題作を毎年のようにシナリオにし、ヒットさせている。橋本忍は日本の映画界に、確固たる地位を確立していった。
 
ここでもう一つ、橋本に関して重要なことがある。それはシリーズ作品をやらなかったことだ。

「たとえば頭から『三船敏郎でこれをやるんだ』ってなことになってると、こっちは三船君を思い浮かべればすぐ書けちゃうわけ。でも、それはとってもつまらないんだよね。もう三船君のできることでしか芝居が繫がらないから、それ以上のものにならない。だから役者のイメージってのは一切持たないというのが大事なんだよ。黒澤さんがそういうところがあったから僕もそれを受けた。〔中略〕
 役者を当て込んだらもうダメ。最初からもう三流の映画にしかならんね」。
 
60年代から70年代にかけて、シリーズ全盛のころである。加山雄三の「若大将」、市川雷蔵の「眠狂四郎」、高倉健の「昭和残俠伝」「網走番外地」、小林旭の「渡り鳥」など、どのシリーズも全体を見たわけではないが、それでもテレビなどで見れば懐かしい。
 
しかし1本の映画としてはどうだろう。
 
その意味では、深作欣二の『仁義なき戦い』だけが、違っている。これはシリーズとはいっても、主人公が毎度おなじみの活躍をするのではなく、菅原文太を狂言回しとして、表に出てこない裏の戦後史を描くものだから、一連のシリーズものとは違う。
 
橋本忍に関しては、勝新太郎から、『座頭市』シリーズへの参加を求められたことがある。

「一本一本は面白いのよ。だけどね、午前中に二本と午後二本ないし三本見て、二日目からはしんどいんだよ。それでもう何も見たくなくなったね。結局やらなかった。最初は書くってことで引き受けてみたんだ。大変に無責任な話だけどね。」
 
橋本忍の「座頭市」は見たかった、と私は思う。
 
それとも、最後は座頭市が、スーパーマンとして斬りまくる、というシリーズものの約束事が、我慢できなかったのか。