ただ、懐かしく――『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』(坪内祐三)(1)

坪内さんの本は、ただ懐かしく、坪内さん自身が、酔っぱらっていても、たとえぐでんぐでんであっても、折り目正しい酔っ払いだったし、書くことも、その文体、形式に至るまで、何か懐かしい感じがしてしまう。

今度の本は、雑誌に連載していたのを集めたものだ。章ごとの目次を示そう。

  第1章 戦後論壇の巨人たち

  第2章 文藝春秋をつくった人びと

  第3章 瀧田樗陰のいた時代

  第4章 ラディカル・マイノリティの系譜

  第5章 「戦後」の終わり

第1章の「戦後論壇の巨人たち」が、この本の中心である。総勢24人を、1人わずか6ページで紹介しているが、これが切れ味鋭く、しかも軽やかである。
 
そして必ずしも坪内さんが、人物の全体を買っていない人であっても、こういうところが魅力的で気にかかる、という指摘が鋭い。
 
その「巨人たち」は、以下の通り。
 
福田恆存・田中美知太郎・小林秀雄・林達夫・大宅壮一・三島由紀夫・小泉信三・花田清輝・唐木順三・竹山道雄・中野好夫・橋川文三・河上徹太郎・中野重治・鮎川信夫・竹内好・桑原武夫・宮崎市定・葦津珍彦・清水幾太郎・羽仁五郎・臼井吉見・山本七平・丸山眞男
 
福田恆存を最初に挙げてあるが、これには理由がある。坪内さんは、誰よりも福田恆存に私淑しているのだ。
 
私も、文藝春秋から「人と思想」のシリーズで、『日本を思ふ』が出たときは、一生懸命読んだものだ。中学3年生のときで、大人の本が読めるのが、嬉しくて仕方がなかった。
 
しかしそれに続いて、小田実を読んでたちまちイカれ、それで「保守反動」の福田恆存は見向きもしなくなったか、というと、そんなこともなくて、『平和論に対する疑問』や『私の國語教室』などは、そういう見方もできるなあと思い、半分納得して読んだ。
 
各章の初めに書き下ろしで、「この章について」という注釈があり、これが面白い。

第1章はこんなふうに始まる。

「戦後五十年を迎えたのは一九九五年(平成七)年だが、それは一つのエポックとなる年だった。
 つまりこの時、『戦後』というタイムスパンの耐用期限が過ぎ、その時代が終わろうとしていた。ちょうどそれは阪神淡路大震災とオウム真理教事件が立て続けに起きた年だった。」
 
だから戦後を総括するという意味で、この連載を『諸君!』で続けたのだ(私は『諸君!』を読まないので、連載中はまったく知らなかった)。

そして問題は、この知識人たちの後が続かないことだ。

「この国には知識人がもう殆ど残っていない。
 しかも、まったく補填されていない。
 その情況を考えると私は恐ろしくなってしまう。
 かつての左翼と右翼という対立に変わって今、サヨとウヨという言葉がある。サヨであれウヨであれ、そんなことはもはやどうでもよい。
 事態はもっと深刻なことになっているのだ。」
 
では一体、どんなふうに深刻になっているのか、そして、それはなぜなのか。