2021年3月6日、33歳のスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。名古屋の出入国管理局に無期限に収容され、ストレスで食事ができなくなり、飢餓状態に陥るも治療は受けられず、見殺しにされた。
遺族の代理人、指宿昭一弁護士は、名古屋入管の責任者らを、「未必の故意」による殺人容疑で、名古屋地検に告発した。
でもこれは、検察も入管も一蓮托生なのだから、どうしようもない。
そのころウィシュマさんの遺族が来日し、テレビや新聞で、入管の非人道的な対応を訴え、監視カメラのビデオの全面開示を迫った。
「だれがウィシュマさんを殺したのか」の章は、正直、あまり読みたくない。なんども報道されたので、ほとんどのことは知っている。
この内容を読むたびに、少し前までは、血が頭に上って沸騰したようになった。特にビデオ映像が開示され、それをテレビで見たときは愕然、憤然となった。政府の関係者、役人以外は、みんなそうなったろう。
それはこんなふうだった。
「ベッドから落ち、何度助けを求めても無視される様子。鼻から飲み物をこぼしたウィシュマさんを見て、『鼻から牛乳』などと笑いものにする職員たち。死の前日『あー。あー』と繰り返す泣き声は、『まさに死んでいく人の声でした』と指宿さん。姉の悲惨な映像にショックを受けた妹二人は途中で見ていられなくなり、一時間一〇分ほどで出てきた。」
これは入管庁が、ビデオ映像の残る13日分を、2時間に編集したもので、部分開示に過ぎない。つまり、本当に不都合と考えるところは、隠してる。
入管は、このくらい開示されても、どうということはない、と考えている。外国人が入管と関われば、なぶり殺しにあっても、それが公開されても、どうしようもないとなるわけだ。
しかし部分開示にしても、こういうものを残して、入管の誰も罪に問われないとはどういうことか。日本国は人の命を、いとも簡単に奪い去る。それはロシアと変わるところがない。
移民の話は、このブログで何度も取り上げた。だからここでは繰り返さない。ただ入管の方針、姿勢は、今の日本が取るべき態度とは、真逆である。そういうことに鈍感な国は、いずれ滅びるほかはない。
他の章も、同じような方向性で書かれている。著者が癌で死んだのは、メディアに対して悶死したのではないか。ついそういうふうに考えてしまう。
最後に、これだけは言っておきたい。
「菅〈臭いものにフタ〉政権誕生を助けたメディア」の章で、菅義偉が首相になる前、官房長官だったときのことだ。
官房長官といえば、内閣のスポークスマンである。一日一回は記者を集めて会見をする。この会見が噴飯もの、というか開いた口がふさがらないものだった。
「菅氏の独裁的性格を物語るのが、官邸記者会見で常用した言葉だ。記者の質問を、『ご指摘には当たらない。ハイ次』『まったく問題ない。ハイ次』と問答無用で切り捨てていく。質問で指摘されたことについて、なぜ『指摘に当たらない』のか、『問題がない』のか、その理由を何も示さず、説明を一切省いて答弁したことにしてしまう。恐るべき傲慢さであり、異論・反論を許さない独裁者の振る舞いである。」
2013年から16年まで、この人が内閣官房長官として毎日、記者会見を開いていたのである。
その期間、毎日ムカムカしていた。子どもがこんな大人の真似をしたら、と考えると、正気ではいられなかった。
小学生の国語の教科書は、「読み・書き・話す」という教材が均等に入っていて、「話す」は、人に話すとき、あるいは人の話を聞くときは、一生懸命気持ちを込めて、よくわかるように、と指導しているはずだ。
管の態度は、それとは正反対だった。管よ、もう一度、小学一年生からやり直せ。少なくとも人前で、テレビで喋るのは、絶対にやめてくれ。全国の小中学生に、正反対の手本として害悪を垂れ流しているだけだ。
ということを思い出すから、こういう本は、できれば読みたくないのだ。
私は9年前に脳出血で倒れ、半身不随になった。いわゆる公けの場所へは、もう行くことができない。私が社会参加するのは、選挙のときのみ。だからこういう本は、できれば読みたくないのだ。しかし無理だろうなあ。
(『言いたいことは山ほどある―元読売新聞記者の遺言―』
山口正紀、旬報社、2023年3月10日初刷)